第5話 運命的な失恋

 

 放課後になり、浮き足立つ感情を抑えながらチャリンコを転がしている。


 店に着く前に事故ってしまえば、元も子もない。



 結局なんだったんだ藤之宮のやつ。


 今まで「声と人柄は関係ないよー」の一点張りだったのに、急に心変わりしやがった。


 あんなに取り乱すとか、結局自分も他人の声質を気にしてるんじゃねーか。


 聞きたいなら、素直に言えばいいのに。




 モヤモヤする部分が残るものの、それでもこの後の時間に期待が大きいことには変わりない。


 早く安栗さんの美声に癒されたいものだ。



 今日は出退勤共に同じ時間だったはず。




 そしていつもの場所に到着すると、見慣れない自転車が先に停められていた。



 なんとか詰めて俺のも隣に並べたが、これの持ち主はもしかしなくても——

 



「おはようございまーっす♪」


「おはよう若苗くん。今日は上機嫌だね」


「分かりますか店長? こんなに楽しみなのはバイト始まって以来ですよ!」


「ハハハ……ごめんね、つまらない店で」


「あ、いやぁ〜そういう意味じゃないっす」


 

 店内に踏み込む直前から上がり続けるテンションに、自分でも若干戸惑っていた。



 だが飛んでしまったかのように、喋り始めた時には止まらなくなっていた。



 ここまで来たら、もう開き直るしかない。


 スキップは妄想の中だけに留めておき、バックルームのドアをゆっくりと押していく。



 そこには予想通り、バイト前の支度をしている安栗さんの姿があった。

 


「あっ、若苗さん、おはようございます。今日もよろしくお願いします」


「お、おはようございます安栗さん」


「あれ? もしかして体調が優れませんか? ちょっとお顔が熱っぽく見えますけど」


「全然です! 学校から店に来るまでだいぶ急いだんで、きっとそのせいですよ!」


「そうでしたか。若苗さんの体力が回復するまで、私がレジや品出しを頑張りますね!」


 

 優しいなぁ。

 些細な発言なのに、彼女の口から言われるとありがたみがハンパない。


 気分を鎮めきれずに、声が裏返りそうだし。




 まだ慣れない出勤登録などを手伝いながら、辛うじて自制心を保ちつつ売り場へと赴いた。



 安栗さんの「いらっしゃいませー」が軽快に響く度、俺の脳細胞が活性化されていく。


 冗談抜きでそんな風に思っている自分に、だんだんと吐き気を催してきた。


 おい若苗緑、今のお前ガチでキモいぞ。

 ここで嫌われたら、お前は何の為に声フェチやってきたんだ?

 ただのキモオタか?

 残念キモオタなのか?

 チャンスを棒に振るな。

 まだ何も始まっていない。



 頭の中で己を叱責していると、まるで慰められるように名前を呼ばれた。

 


「若苗さーん、これ、どうやるんですか?」


「はーい、すぐ行きます」

 


 品出しの手を止めてレジに向かうと、お客さんを前に難しい表情をする安栗さん。


 原因は画面を見てすぐに判明した。

 


「あぁ、レシート切れですね。ここにある新しいレジロールをセットして、あとは指示通りにボタンを押すだけですよ」


「こ、この蓋、開け方が分かりません……」


「こうやって押し込みながら引き上げれば——ほら、中にカラになった芯があります」


「本当だ! 私もやってみます!」


 

 どうやら彼女は機械類の扱いが苦手らしく、壊してしまったらどうしようという不安から、積極的に触れる一歩手前で躊躇っている。



 しかしこのバイトを始めた以上、レジやプリンターを避けては通れない。

 


「安栗さん、今日は手始めとして、レジに慣れましょうか。俺も近くで作業しながら、お客様の対応だけ隣でサポートしますから」


「いいんですか? そんなに付きっきりで教えていただいても……」


「平気ですよ。売り場に二名、レジ周りに二名というのは、普段と同じやり方ですので」

 


 ちょうど揚げ物を補充する時間だし、フォローしながらでも充分に仕事を分担できる。


 品出しは他のスタッフ達にお願いして、俺はレジの後方でせっせと働いた。



 気が付けば自然に話せていたし、今はただ安栗さんの真面目さに応えたくなっている。



 業務がある程度落ち着いてきた頃、俺はどうしても訊きたかったことを彼女に尋ねた。

 


「あの……声優を目指したキッカケって、ご自身の声が特別だと感じたからですか?」


「その真逆かもしれません。中学まではこの声でからかわれることも多く、本音を言えば、喉を焼き切りたいと思ったりもしました」


「なんともったいない! 実行されなくてよかったです。安栗さんの美声を馬鹿にするような輩は、ナメクジ以下の感性ですね」


「……私も悪かったんです。自信がなくて、ボソボソと憂鬱そうに喋っていたので……」

 


 俺は人の声に点数をつけるけど、低い得点が悪いと思っているわけではない。


 大抵の場合は個性が薄いという理由。


 あるいは俺の心に響かない、苦手な種類の音色であると感じているだけ。


 自分のも含め、芸術性に乏しさを覚える。



 だが見方を変えると、どんなに素晴らしい声質であっても、本人が活かそうとしなければ駄作になってしまうのだろうか。




 イマイチ腑に落ちないまま、続けられる内容に耳を傾けた。


 

「でも色んなアニメ作品を観るようになって、私は可能性と目標を手に入れたんです」


「演技に感銘を受けたとかですか?」


「はい♪ 中森なかもり隆一りゅういちさんっていう声優さんがいまして、彼は役柄によってすごく雰囲気が変わるんです。渋い敵役から、明るくて中性的な主人公まで、ガラッと豹変します!」

 


 めちゃくちゃ有名人じゃないか。


 確かに中森さんは演技力が高いし、主役級のキャラを数え切れないほどこなしている。


 素の声が地味めなのも印象的だった。




 瞳をキラキラ輝かせる安栗さんから、どれだけ尊敬しているのかは存分に伝わってくる。



 けれどなんとなくだが、面白くない。


 そう感じた原因は即座に判明した。


 

「私も彼みたいになりたい、共演してみたいと強く憧れ、いつしか好きになっていたんです。中森さんの声に心から惚れ込みました」

 

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