第4話 ただの友人


「あれ? 緑くんどしたの?」


「大木さん……俺、どんな顔してます?」


「なんか見るからにどんよりしてるねぇ。店長のお叱りでも受けた?」


「その方がまだマシですよ、ホントに……」

 


 商品棚の整理をしていた先輩は、こちらを見るなり本気で心配そうにしている。



 大木さんは学校こそ違えど、面倒見が良くて接しやすい一つ年上の男子高生だ。


 俺より一年早くこの店に勤めてるから、仕事に関しては初歩的な部分から教わってきた。



 でも今回の件はさすがに相談しにくい。



 悩んでいる俺の下に、すかさず先輩が歩み寄ってくる。

 


「お気に入りの声優が結婚でもしたかい?」


「いやそれはむしろファンとして祝福すべきでしょう!」


「じゃああれかな。あの有名歌手が旦那に浮気されたってニュース、続報が悲惨な内容だったとか?」


「確かに胸は痛みますが、それも本人達の問題ですから……って、大木さんは俺をなんだと思ってるんですか!?」


「んー? 声フェチでアニオタの残念イケメンかなぁ?」


「はいはい、真っ当な評価あざっす」

 


 ぐうの音も出ませんなこれは。


 理解者を得られて嬉しいやら、残念イケメンというワードに複雑な気分やら。


 てゆーかすでにそんな位置付けなら、多少頬がフニャっとしてても悪影響は無いのか?




 実際には開き直れるはずもなく、三時間勤務していた安栗さんを避けてしまっていた。



 とりあえず店長から基本を学び、その後も大木さんが懇切丁寧に教えていたから、気にするまでもなかったけど。




 彼女の甘い声が鼓膜を撫でる度、俺は集中力を切らさぬように脳内で唱えていた。


 煩悩退散……煩悩退散………と。



 おかげで念仏は安栗ボイスでも脳内再生が可能となった。


 最早それ自体が煩悩に他ならない。





 とまぁ運命的な一日を終え、その後の二日間は無我夢中でサンドバッグを殴りまくった。



 学校でのイメージダウンは避けたかったから、狂ったように拳を振り抜き自我を整えた。




 グローブが打ち鳴らす爽快な打撃音や、イヤホン越しに聴く惚れ惚れしてしまう音色。


 それらは乱心した俺を日常へと連れ戻す。


 しかし、あくまでも一時的な効果しかない。



 三日目を迎えた今でも、放課後のバイトについて考えれば、記憶は快楽まで鮮明に呼び起こす。

 


 これは重症である。





「おーい、みーどりんっ! なーにがそんなに嬉しいんだーい?」


「お、おう、藤之宮か。別になんでもないし、その呼び方やめれ」


「なんでもないってことはないでしょー。朝からちょいちょいニヤけてんぞー?」

 



 昼休みになり、弁当片手に馴れ馴れしく寄ってきたのは、クラスメートの藤之宮ふじのみや桔梗ききょう


 一年の時も同じクラスだし、初めて会話した頃から割かし懐っこい性格だった。



 女子高生にしては壁が薄く、男女問わずに友達を作れる明るい奴。



 進級時のクラス替えを機に、こいつと昼飯を共にする日も多くなっていた。

 



「たまには女子同士で食ってくれば?」


「えー、なんで?」


「いや、質問を返される意味が分からん」


「それよりさー、みどりん聞いた?」


「話の脈絡も主語も迷子で、謎しかないが」


「去年同クラだった如月っていたじゃん? あの子、ちょっと前から行方不明だってさ」


「如月って、如月きさらぎ翔真しょうまか。他人と関わらない奴だったけど、イジメでもあったのか?」


「そーじゃないみたいだよ。お婆さんが亡くなってから、親戚とかと揉めてたって噂」


 

 たった一年同じ空気を吸ったところで、別に何かしらの情が湧いたりはしない。


 会話をした記憶もなければ、声の印象すら残らなかった相手だ。


 興味の対象外だな。


 

「あいつにも色々あったんだろうよ。どっかで元気に生きててくれりゃ、それでいいさ」


「まぁねー。でもお姉ちゃんによると、最近妙に余裕がなさそうに見えたってさー」


「そういや双子の姉ちゃんがそっちのクラスか。てか藤之宮の姉貴って、普段は話しすんの?」


「家ではふつーに話すよ。あー、みどりん、お姉ちゃんの声が聞いてみたいんっしょ?」


「当然だ。俺の関心なんてそこにしかない」


「むぅ、どーせあたしは七十七点ですよぉ」

 


 そう、変な喋り方とウザいあだ名はどうあれ、こいつは中々優れた声質の持ち主である。


 だから友達になれたと言っても、決して過言ではない。



 さらに言えば、現段階では校内の女子でトップの得点だ。



 俺の独断と偏見プラス、直接声を聞いた人間に限ったランキングではあるけど。




 しかし八割に満たない無念を俺が露わにしてから、事ある毎に口を尖らせて見せる。


 悔しいのは俺の方だってのに。




 ちなみに姉とも面識はあるが、話したことは一度もない。



 清純派の長い黒髪に白い肌という共通点はあるものの、双子なのに性格が真反対なのだ。



 一つ結びの妹はこの通りだけど、髪を下ろした姉はとにかく無口でキリッとしている。


 遠目では等身大の日本人形にしか見えない。



 ルックスはどうあれ、妹に素質を感じている俺としては、姉の声もぜひ拝聴したいところ。


 

「まぁ、九十八点は超えないだろうなぁ」


 


 おかずを飲み込み、安栗さんを思い出しながら天井を見上げると、急に襟元を掴まれた。

 


「九十八点ってなに!? どこの声優!?」


「ぐ、ぐるじぃ……この手を離せアホ女」


「みどりんが満点近い点数つけるって絶対おかしいじゃん! どーしちゃったのさ!?」


 

 ネクタイを持ってブンブン振り回され、堪らずにむせ返ってしまう。



 改心した加害者はしょぼくれてるし、周りからは哀れみの視線を送られるしで、なんだかこっちが居た堪れない。



 とりあえず襟とネクタイを整えた。


 

「ったく、いきなりヒステリックになるなよ。バイト先に声優の卵が来て、すげぇ良い声してたってだけだ。正当な判断だよこれは」


「そんなに綺麗な声だったの……?」


「俺の好みにはハマったな。なんつーか、個性的なのに湧き水みたいに透き通ってた」


「そうなんだ……よく分かんないや。今度お姉ちゃんのも聞かせてあげるよ。あたしから頼めば、たぶんなんとかなると思うし」

 

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