第3話 運命の日(2)


「おはようございまーす」

 

「おはよう若苗くん。今日もよろしくね」

 

 

 チャリを停めて入ったのは、住宅街の並びにポツンと佇んでいるコンビニ。

 

 ここが半年以上勤めているバイト先だ。

 

 

 自動ドアをくぐると、安っぽい入店チャイムが鳴ると同時に、冷たい空気が押し寄せる。


 ちょっと冷房効き過ぎだろう。

 絶対体に悪い。

 

 その奥で目が合った男性がこの店の店長。

 

 

 先に挨拶を交わすと、スタッフルームに入る手前で呼び止められた。

 

 

「そうそう、あとで新人さんが来る予定だから、君も先輩として面倒見てあげてね」

 

「この時間だと、また学生ですか?」

 

「学生と言えば学生だね。君より二つ年上の女性で、コンビニは初めてなんだって」

 

「分かりました。すぐに着替えてきますね」

 

 

 チャリで片道二十分程度の通学路から少し外れ、自宅寄りの隣町に位置するチェーン店。

 

 何の変哲もないコンビニだが敷地が広い為、掃除や品出しの手間はそれなりに掛かる。

 

 

 前回の新人バイトは一ヶ月で辞めた。

 

 だから今回もあまり期待はしていない。

 

 

 軽く受け答えをした後、事務所兼休憩室に入り、学生服から店の制服ユニフォームに着替えた。

 

 

 出勤登録を済ませた後、まず最初に行うのは上がりのスタッフからの引き継ぎ。

 

 業務の進捗具合をレジの奥で確認し、いつも通りに仕事を始めた。

 

 

 

 それから約三十分が経過した頃、入店した途端にキョロキョロする女性客が目に留まる。

 

 店長が対応に向かったところを見ると、どうやらあの人が今回の新人さんらしい。

 

 

 赤茶色の髪以外は全体的に地味な印象。

 

 高校を卒業したばかりの歳にしては、少し落ち着き過ぎてるくらい。

 

 眼鏡も服装もなんとなくパッとしない。

 

 俺が外見に無頓着なだけとも言えるけど。

 

 


 店長が女性を事務所に連れて行ったのを見届け、仕切り直して業務に集中する。

 

 売り場の一部に露骨な欠品を発見し、在庫を取りにバックルームへと下がった。

 

 すると隣の部屋から店長に声をかけられる。

 

 

「あ、若苗くん、紹介しておくね。今日から夕勤をメインに入ってもらう安栗さんだよ」


「はじめまして、安栗あぐり結梅ゆうめと申します。コンビニは未経験なので、分からないことばかりですが、どうぞよろしくお願いします」

 

 

 店長の紹介を受け、丁寧に頭を下げる女性。

 

 さっき抱いた彼女に対する第一印象は、脳内で音を立てて崩れ落ちた。

 

 

「…………九十八点」


「えっと……きゅ、九十八……点?」


 

 ふわっとした柔らかな包容力があり、薄味の余韻は寂しいくらい潔く空気に溶ける。


 清艶せいえんで優雅な気品の漂う、澄み渡るように美しいウィスパーボイスだった。


 滑舌がしっかりしていて、一言一言聞き取りやすいのもポイントが高い。

 

 

 反射的に点数を口走りながらも、思わず数秒間放心してしまうのだった。




 外見は何一つ変化していないのに、感じたことの無い輝きに満ちている。

 

 そして俺自身もまた、経験したことが無い胸の高鳴りに困惑していた。



 言葉にならない。

 衝撃のあまり脳内が真っ白で、何を伝えたらいいのか判断できなくなっている。

 

 

 唯一分かったのは、四十歳前後の店長から向けられている視線の生ぬるさ。


 

 このままでは間が持てない。

 

 一切の思考を省き、セリフ内容を開いた口に任せた。


 

「も、ものすごく魅惑的な声ですね……」

 


 しかしこの選択は大失敗だった。

 


 自分でも引くほど残念な発言に、必死で目を泳がせて誤魔化そうとするばかり。

 


 せめて笑い者にしてくれと心で嘆いていると、予想もしていなかった反応が返ってくる。

 


「ありがとうございます。そう思っていただけるのは、とっても嬉しいです♪」


「え、いや……ごめんなさい。突然こんな褒め方されたら、普通にキモいですよね」


「とんでもないですよ! 私、昔はこのアニメ声がコンプレックスだったんですけど、今は前向きになって声優を目指してるんです」


「じゃあもしかして、養成所とか……?」


「はい。都内の養成学校に通ってます」

 



 これが噂に聞く運命の出逢いってやつか。



 演技とかはこれからなのだろうが、天から授かった美声は現時点でほぼ完成している。


 まさに探し求めていた理想の女性だ。



 熱くなる想いがひたすら鼓動を急かしてくる。

 

 ジム代と小遣い稼ぎが目的のバイトで、こんなサプライズが巡ってくるとは。

 

 俺の人生も捨てたもんじゃない。

 

 異常に荒ぶる鼻息はどうにかしたいけど。

 


 深呼吸して、なんとか呼吸だけは整える。

 

 店長からの苦笑交じりの催促に、理性を呼び戻して自己紹介の続きを始めた。

 


「えっと、申し遅れました。若苗わかなえみどりと言いまして、バイト歴半年ちょいの高校二年です」


「若苗さんですね。私も精一杯頑張りますので、これから色々と教えてください」

 


 名前を呼ばれただけで身悶えしそうな響き。

 

 本心からそう思える心地好さだった。

 

 

 急激に顔面が火照りだし、慌てて両手を使って覆い隠す。

 

 今の姿を客観的に想像したら、それだけで冷や汗が出てしまう。

 

 さすがにドン引きされたかもしれない。



 地味子だと捉えていた彼女の姿は、もうそこには無かった。

 

 軽くニコッとされただけで、直視できない。

 

 好みの声なら、全部が好印象に変換される。



 どんな現象だよこれ。


 プラシーボ効果?


 いやちょっと違うっけ? 


 どうでもいいか。



 混乱の最中に届いた低いオジサンボイスは、あからさまに冷えきっていた。


 

「僕は安栗さんに出退勤のやり方から説明しなくちゃいけないから、若苗くんはそろそろ業務に戻ってくれるかな?」


「はい、すいません。取り乱しました……」


「あと珍しく表情がゆるんでるから、売り場に出る前に鏡で確認しておいてね」


「マジっすか……じゃない、分かりました」

 




 うわぁ、これは確かに酷い。



 扉の前の鏡を覗くと、そこに映った自分の顔に呆然としてしまった。



 恋に落ちた思春期男子の痛々しさを、これでもかというくらい突き付けられた気分である。

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