第1章 巡り合わせ

第2話 運命の日(1)

 

 新学期が始まってもうじき二ヶ月。

 

 

 蒸し暑い空気が肌に染み始めるこの時期は、屋外へと繰り出すのが最も憂鬱になる。

 

 運動は嫌いじゃないから、気候の変化に慣れてしまえば駆けずり回るのだが。


 白くて壮大な入道雲を拝むまでは、今しばらく辛抱が必要だろう。

 

 

 

 昇降口を抜けてグラウンドの手前を曲がった右の奥。


 校舎と部室棟の間に位置する中庭。

 

 この場所を放課後に訪れる生徒はほとんどいない。

 


 天気が良ければ昼休みに賑わうけど、それ以外の時間は基本的にただの通り道だ。

 

 主に部室棟に向かおうとする部員達の為の。

 

 

 しかし俺の目的地はその中庭である。

 

 今朝下駄箱に入ってた差出人不明の手紙が、名指しでこの場所へと呼び出した。

 

 自分の名前やクラスぐらい書くのが礼儀だと思うが、どうやら訳ありらしい。

 

 少女感を匂わせる丸文字の文章と、放課後に中庭という時間と場所の指定。

 

 間違いなく果たし状ではない。

 

 

 

 決して気乗りはしなかった。

 

 だが今日の環境下では外に放置もできない。

 

 

 到着した指定場所には、木陰から更に伸びる一人分の人影が目に入る。

 

 遠目でも分かる、スタイルの良い少女。

 

 俯き加減の胸元を飾るリボンは、垢抜けた雰囲気に反して、一年が身に付ける色だった。

 

 

 となると、手紙の主も恐らく彼女だろう。

 

 こちらから歩み寄ったところ、気付いた後輩も照りつける日光の下へと踏み出した。

 

 

 目の前で見た彼女は、分かりやすく赤い頬。

 

 スカートの裾をギュッと掴み、口を開きたいのに躊躇してしまうといった様子。

 

 

 ここは先輩として、そして男として、会話の入口まではエスコートすべきだろう。

 

 

「俺に用事があるのってキミだよね?」

 

「はっ……はい! あの、来てくださってありがとうございます、若苗先輩!」

 

「無視できなかったってだけだから。それで、わざわざこんな所に呼んだ理由はなに?」

 

 

 再びモジモジし始めた彼女は、決意を固めたように目を閉じながら声を出す。

 

 

「私のこと、覚えてませんか? 前に忘れ物を教室まで届けてもらったんですけど……」

 

 

 言われてようやく気が付いた。

 

 確か二週間くらい前、化学室の机の中に教科書一式を置き去りにしたドジっ子だ。

 

 拾ったその日の休み時間に渡しに行ったけど、この子が授業後に何を抱えて帰ったのか、未だに疑問が残る。

 

 

 少し回想した後、質問に答えた。

 

 

「あったね、そんなこと。そのお礼でも言いたかったの?」

 

「いえ、あの日から私、ずっと若苗先輩のことが頭から離れないんです。親切で爽やかで、すごく素敵な人だなぁと思ってまして……」

 

「大したことしてないぞ。普通返すだろ」

 

「そうかもしれません。でも……一目惚れなんです! わ、私と付き合ってください!」

 

 

 外見的特徴に比べてあどけなさがあり、天真爛漫な印象を受ける。

 

 これはこれで悪くはない。

 ただ、俺の好みではない。

 

 もっと上品さや繊細な部分が欲しかった。

 

 

 総合的にはギャップ萌えなんて見方もできるけど、生憎あいにく俺にはそんな性癖はない。

 

 外見との差なんぞクソ喰らえである。

 

 

 こうした胸中が口からポロッと漏れるのが俺の悪い癖だ。

 

 つい評価が声に乗っかってしまう。

 

 

「……六十五点くらいか」

 

「えっ? な、なんでしょうか?」

 

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 

「は、はぁ……」

 

 

 六割以上ならそこそこ良い得点だが、せめて八割を超えてこないとこの胸には響かない。

 

 

 何を隠そう、俺は生粋きっすいの声フェチである。

 

 日々の生活において、アニソンやボイスドラマは必須。

 

 宿題を片す時や自主トレで走りに行く時などは、イヤホン越しに好みの声を聴いて活力としているのだ。

 

 

 正直、顔の作りはどうでもいい。

 

 むしろ声さえ理想に届けば、どんな容姿でも惚れる自信がある。

 

 この陽射しにこんがり焼かれた肌でも、蒼っ白い体の不健康なオタク系でも。

 

 

 拘りがそこにしか無いからこそ、誰からの告白にも首を縦に振ったことがない。


 当然、こちらからしたこともない。

 

 入学から一年以上経った高校生活でも、片手の指では収まらない回数お断りしてきた。

 

 

 今回の後輩女子も、モテそうなルックスの持ち主なのは認める。

 

 そこに価値を見い出せない相手を選んだことこそが、彼女の運の尽きであろう。

 

 

 必ずもっといい男に巡り会える。

 

 そんな思いで返事をした。

 

 

「気持ちは嬉しい。でも今は誰とも付き合えないんだ。俺には大きな目標があるから」

 

「……そう……ですか。ボクシングをやってるって聞きましたが、そこに先輩の目標があるんですか?」

 

「そう、それ。よく知ってたな。放課後はジムかバイトに行くから、時間も取れないんだ。だから諦めてくれ」

 

 

 ジムの会員には違いないが、練習生コース。

 

 アマチュアさえ目指さないトレーニング目的だから、スパーリングをたまにやる程度。

 

 ほとんどストレス発散にサンドバッグを殴りに行ってるだけだ。

 

 

 彼女の解釈は都合が良いから、否定しない。

 

 そのまま後輩は肩を落として頷いた。

 

 

「わかりました……頑張ってください」

 

 

 伏し目がちにボソッと呟かれると、少なからず心が痛む。

 

 かける言葉などあるはずもなく、俺は背を向けて自転車置き場へと向かった。

 

 

 

 自分のチャリを掘り出し、正門を出て跨ると、ふと空を見上げたくなる。

 

 

 彼女はどんな思いで告白したのだろうか。

 

 器用貧乏の代表みたいなこんな男に、どうして惹かれる人間がいるのだろうか。

 

 惚れる基準が甘くて羨ましい。

 

 

 気付けば雲が薄ら黄色くなっている。

 

 まだ夏になりきってないから、夕方は日が沈むのが早い。

 

 センチメンタルな気分だと、もっと青々とした風景が見たかったところ。

 

 そんなことを考えながら、バイト先に向けてチャリを走らせた。

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