第4話 一切衆生悉皆成仏(2)

 「そうとも限らないさ」

 世界に、一番偉い人、一番尊い人は一人だけだろう、という富貴恵の問いに、お父さんは穏やかに答えた。

 「柔道で一番の人が、ソフトボールで一番とは限らないだろう? ほかに、卓球で一番、野球で一番、バレーボールで一番もあれば、絵を描くので一番とか、そういうのもある。体操で金メダルを取る人と水泳で金メダルを取る人を較べても、意味がない。それぞれ偉いし、尊いけど、それを較べることはできない。そういうもんだろう?」

 「それは、そうだけど」

 中学校では、富貴恵は柔道部に属していて、地元ではソフトボールのチームに入って活動していた。

 いまはマーチングバンド部。

 二年生になって続けるかどうか迷っているところだけど、マーチングバンド部だ。

 でも、と思う。

 じゃあ、お釈迦しゃか様の偉さというのは、世界で金メダルを取れる選手の偉さと同じようなものなのだろうか?

 お父さんは、「それは、そうだけど」と言った富貴恵の顔をちらっと見た。

 「一切いっさい衆生しゅじょう悉皆しっかい成仏じょうぶつ、って」

 そう言って、ことばを切る。

 当然、富貴恵としては「何、その謎のことば?」ときくべきなのだろう。

 でも、何語かすらもわからないそのことばが謎すぎて、富貴恵は声が出ない。

 自分のほうにボールが飛んできた、とかいうのならすぐに反応できるのに、ダメだなぁ。

 お父さんが続けて言う。

 「父さんにはよくわからないけど、生まれてきた人間みんなが金メダリストになれる可能性があると言っても、生まれて育つ環境は別としても、才能があって、努力する、その努力を続けられる精神的強さとか、いろいろ条件があるだろう? チャンスは平等だ、といっても、なかなか実際に平等にはならない」

 「うん」

 それは、そうだと思う。

 富貴恵は柔道は強いほうだったけど、柔道部以外の生徒にあっさり負けたこともある。ソフトボールでも、強肩きょうけんの野手だし、走るのも速いけど、やっぱり一番ではない。

 学校の部活で一番になるのだって、けっこうたいへんだ。

 「ところが、ね」

 お父さんは富貴恵の顔をのぞき込むように見た。

 優しい目を向ける。

 「仏様になれる可能性は、人間みんな平等にもってる。善人も、悪人も、どんなにすばらしい人でも、どんなに欠点の多い人でも、同じように、仏様になることができる」

 「は?」

 富貴恵は、よくわからない。

 悪いことをした人は地獄に落ちて、それだけ仏様の世界からは遠ざかるんじゃないの?

 それはことばには出さないで、じっとお父さんの目を見返す。

 お父さんは、富貴恵から目を逸らさないで、続けた。

 「人だけじゃなくて、動物も、植物も、道ばたに落ちてる石ころでも仏様になる可能性をもってる。それも、同じだけもっている。それが仏様の教え、つまり、そのお釈迦様の教えだからね。だから、仏様であるお釈迦様が一番偉いのなら、仏様になる可能性をもっているほかの人も同じように偉い」

 「だから、いっしょにがんばろう」。

 そう言われれば……。

 ……富貴恵なら、ついて行くかな?

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