第3話 一切衆生悉皆成仏(1)

 昼過ぎ、お父さんは、勤行ごんぎょうというのが終わってお接待の場所に出て来た。

 お手伝いの檀家だんかさんも、拝みに来る信者さんもいない時間だった。

 富貴恵はその疑問をお父さんに聞いてみることにした。

 「ねえ。お釈迦しゃか様は、生まれてすぐに自分が世界で一番偉いって言ったってことになってるよね?」

 「ああ」

とお父さんは柔らかく答える。

 「でも、自分が一番偉いなんて自分で言うような人に、どうしてみんなついて行くの?」

 怒られるかな、とも思った。

 お釈迦様の誕生日、仏教徒ならば信じるべきお釈迦様、釈迦如来にょらいのお誕生の日に、「そんな人にはだれもついて行かないでしょ?」と言っているのだ。教祖様への「誹謗ひぼう中傷」のように受け取られるかも知れない。

 しかし、そのお釈迦様の誕生日、お祝いすべき日、だれがお参りに来るかわからない日に、お父さんも富貴恵のことをしつこく怒ったりはしないだろう、とも思った。

 お父さんは怒らなかった。

 「ああ、そうだなあ」

 やわらかい雲に覆われた空を見上げて、お父さんは言った。

 「自分が世界で一番偉いから、ほかの人はみんな偉くない、偉くないおまえらは偉いワタシについて来い、って態度を取るとしたら、そんな人にはだれもついて行かないだろうなぁ」

 富貴恵はまばたきする。

 当然の判断なのだけど。

 それは、だれもお釈迦様について行かない、ということだから。

 お坊さんが……。

 ……仏様に使えるのが専門の人が、そんなことを言っていいのだろうか?

 富貴恵は、なまいきに、続きを聞く。

 「じゃあ、なぜお釈迦様にはみんなついて行くわけ?」

 そんな反発を問題にしないくらいにお釈迦様は偉いから、という反応を予想する。

 「そうだな」

とお父さんはずっと空のほうを見上げながら続けた。

 「自分は世界一尊い、でも、わたしの前にいるあなたもやっぱり世界一尊い、その隣のあなたも世界一尊い、地球の裏側にいるひとまで含めて、世界じゅうの人が、それぞれ世界一の尊さをもっている、って態度で接したなら、つまり、わたしもだけど、あなたも世界一尊い人なんです、って接してくれたらどうだ? それは気もちよくなって、じゃあ、この人の話も聞いてみようか、ってなるんじゃないかな?」

 それは、皮肉ではなく本気で「あなたは尊い」と言われれば、それはいい気分になるだろうけど。

 明らかにまちがいなのに、先生に

「うん、それはいい答えだね」

と言ってもらえれば、その先を考えよう、という気になるのと同じだろうけど。

 「いや」

 富貴恵はなまいきに正直に反応した。

 「一番偉いとか、一番尊いとか、それは世界に一人だけでしょ?」

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