天上天下唯我独尊

お花祭りの日 お参りに来た女の人は?

第1話 お花祭りの日

 この寺の名は、ほんとうは「小麟しょうりんざん寿福じゅふく」というらしい。

 でもそんな名まえはほとんどだれも知らない。それよりも、この寺は「八重やえまち藪寺やぶでら」として知られていた。

 その藪寺が村上むらかみ富貴恵ふきえの家だ。

 四月八日。

 今日は、学校は中学校と高校合同の入学式なので休み。

 そして今日は「お花祭り」、お釈迦しゃか様の誕生日だ。

 去年は、富貴恵はいちおう新入生なので入学式に出ていて、家にいなかった。

 「いちおう」というのは、瑞城ずいじょう女子中学校から瑞城女子高校への内部進学なので「新入生」という気分ではなかったからだ。新しい制服を着て、緊張感なく

「行って来まぁす」

と言って家を出た。

 でも、実際に入学式に出てみると、新しく外部から入ってきた生徒のほうが多かった。

 見回しても、見知らぬ子のなかに、ところどころ知っている顔が見える、という程度だった。

 そのときはじめて緊張したのを覚えている。

 でも、さいわい、ほかの学校から来た子たちともすぐに仲よくなった。

 そして、一年が過ぎ、今年は一年生ではないので、家にいる。

 お花祭りの日には、「誕生たんじょうぷつ」という、小さなお釈迦様の像を本堂の前に飾る。そのお釈迦様の像に、お参りに来た人たちが甘茶をかけて拝む。

 生まれたばかりのお釈迦様の像だというその「誕生仏」が、どう見ても生まれたばかりのプロポーションに見えないのは、まあ、いいとして。

 お釈迦様は、その生まれたばかりのときに、「おぎゃあ」と泣くかわりに「天上てんじょう天下てんげ唯我ゆいが独尊どくそん」と言ったのだそうだ。

 天の上でも天の下でも、つまり世界じゅうというより、宇宙で。

 ただ私だけ、ただ私一人だけがいちばん尊い。

 そう言ったという。

 それが、富貴恵にはに落ちない。

 ことばも知らない赤ん坊がそんなりっぱなことをしゃべるはずがない、という疑問は、脇に置くとしても。

 生まれたばかりのときに「自分は天の上も天の下も含めて世界じゅうでいちばん偉いんだぞ」と主張するなんて。

 富貴恵ならば、そんなことを言う人には絶対について行かない。

 たとえほんとうに偉い人だとしても、ついていく気にはならない。

 では、お釈迦様にはどうしてみんなついて行ったのだろう?

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