第24話 対決(2)

 ところが、景子けいこ

「指導歴とか病歴とかはお見せできないことになってるんですけど。それに、担任していらっしゃらないならば、成績も」

と言ったとたんに

「何を言ってるんです!」

上部かんべ先生は大声で怒鳴り出した。

 「あなたは事務職員でしょ? 教員にこれがほしいと言われたらこれを出す、あれがほしいと言われたらあれを出す。それがあなたの仕事です。あれこれ理屈をこねるのはあなたの仕事じゃありません。さっさとやるべきことをやりなさい!」

 大声というだけでなく、早口だ。

 「はい。やるべきことをやります」

 景子はとっさに答えた。

 びっくりはしていた。ああ、来たかと思った。

 怖かった。

 でも、ことばはふしぎに普通に流れるように出て来た。

 「先生にお見せできないものはお見せできない。ですからお見せしません。それがわたしの仕事です。それだけですが」

 そう言って上部先生の顔を見上げる。

 上部先生の顔が大きくぶれて見えるのは、景子の視覚がおかしくなったせい?

 いや。ほんとうに震えているらしい。

 人間って、震えるときにはこんなに震えるんだ、と思った。

 「あなたっ」

 ここで上部先生のことばが詰まった。

 ことばが詰まると、人間ののどってこう動くんだ、ということがよくわかる。

 「来たばっかりで、自分の仕事とか、自分の立場とか」

 「立場」ということばを強調したつもりか、「タァチバ」という、意味不明の外来語のようになっている。

 「よくわかっていないようですね! やれと言われたら、さっさとそのとおりにやりなさい」

 上部先生がいきり立つにつれて、景子の気もちはかえって落ち着いてくる。

 その落ち着きのまま、言う。

 「ですから、先生のご要望には応じられない、とお断りするのがわたしの仕事ですけど」

 「そういう言いかたをするとハラスメントで訴えますよ! ほんとうにものがわかってないんだから!」

 「いいですよ」

 景子は応じた。

 景子のなかに湧いてきたのは……。

 巻きにされ、窒息ちっそくしそうになるまで口に砂を押し込まれ、財布を奪われたうえに泥まみれにされた、同じ学校の先輩たちの無念の思いだった。

 さっきの話だと、この教師が学校に来たのはその時代よりあとだという。

 でもかまうものか。この教師はたぶんそのころのことを知っている。そのまま部を消滅させることもできたのに、生き延びさせたのだ。

 したがって責任がある。

 景子は戦わなければ、と思う。

 同じ学校の卒業生として。

 景子は、立ち上がると、職員室を見回して大声で言った。

 「ハラスメントのご担当はどなたですか? 上部先生が、わたしをハラスメントで訴えたいとおっしゃってますけど!」

 景子がその声を上げるまで、職員室の中の雰囲気は「こんなもめごとに関わりたくない」というものだった。わざとらしく、なのかどうなのか、自分の仕事を黙々と続けている先生や職員が大半だった。

 ところが、その大声で、みんながいっせいに顔を上げた。立ち上がったひとも何人もいる。

 それが「なに? この新任の職員、なまいきな!」という視線だったらどうしよう、と、景子は、一瞬、思った。

 でも、そうなれば、辞めるまでだ。たしかに景子は失業者になるけれど、傷が浅いうちに撤退てったいしたほうがいい。

 景子はまだ若いのだ。

 でも、景子に見えた範囲では、そのみんなが、迷惑そうに、または、もっと敵意のこもった目で、上部先生を見ていた。

 うわ。

 ほんとに嫌われてるんだ、と思う。

 そのなかから、景子の席へとやって来たのは、さっきの河原崎かわらざき先生だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る