第22話 桜を遠くに見ながら(3)

 「そこで顧問になって、コンクールやマーチングコンテストで上位を狙うより、地元のイベントやなんかにたくさん出て存在感を示す、っていう方針で部を立て直したのが、あの上部かんべって先生。もう三十年くらいは顧問やってるんじゃないかなぁ?」

 その言いかたは、感慨かんがいなのか、愚痴ぐちなのか。

 「それとね。そのころになって、中学校にもマーチングバンドをつくることになって。あ、瑞城ずいじょう、小学校もあるのね」

 小学校も認定こども園もある。それは就職のときの説明で聞いていた。

 「その小学校にもマーチングバンドあって、それも名門で。まあ」

河原崎かわらざき先生は笑う。

 「泉ヶ原いずみがはらで、っていうより、県北の女子教育で名門っていうと、もちろん明珠めいしゅじょなんだけど、ことマーチングバンドに限っては瑞城が名門、っていう、そのころは、そんなのだったわけ」

 先生はもういちど笑って肩をそびやかした。

 「そのころ」というのは、その高校マーチングバンドが非行少女の「収容所」だったころだろう。

 続ける。

 「でも、中学校だけマーチングバンドがなかったから、バブルのころから中学校にもマーチングバンドをつくるって話が進んで。バブルで地元も賑わってたし、おカネあったからね。保護者からも地元からも寄附が集まって。それで、バブル期が終わってからその構想が実現して、中学校にマーチングバンドができた。そのころから、上部先生は中学校にマーチングバンドをつくることには反対だったらしいんだけど、まあ、高校マーチングバンドへの足慣らしみたいなものならいいか、と思って納得したらしい」

 なぜその先生が中学校にマーチングバンドをつくることに反対だったのか?

 高校とは関係がないはずだし、マーチングバンドが学校全体で盛んになればそのほうがいいはずなのに。

 よくわからないけど、軽くうなずいて、黙って聴く。

 「ところが、十年ぐらい前かな。中学校の音楽の担任にまき守恵もりえって先生が来て、ソプラノ歌手だったかな、音楽の専門家だったのよね。その牧先生が指導して、中学校マーチングバンド部はどんどん上達して。コンクールでもマーチングコンテストでも、全国まで行ったことはないけど、県でいい賞を取るくらいまでは行くようになった。まあ、平たく言うと、高校マーチングバンドのレベルを超えてしまったわけ。だから、中学校マーチングバンド部を卒業して高校に入ってくる子たちはレベルが高くて、高校の田舎教師の手には負えなくなってしまった」

 「高校の田舎教師」。

 それが上部先生のことだろう。

 河原崎先生は今度は少し長めに間をおいた。

 「高校のマーチングバンド部、レベルも落ちてきたし、コンクールなんかの舞台にも乗らないわけだから、知名度ももう県北もこのあたりだけって状態まで落ちたのね。中学校の部がコンクールとかで県大会行って「あれ? 高校にもマーチングバンドあるんですか?」って言われるありさまで。ま、逆転したんだよね。中学と高校、知名度も実力も。それで、卒業生とかも含めて、この際、中学校のマーチングバンドを中心に、高校と中学校のマーチングバンドを統合してレベルアップしよう、って話がここ数年出てきた。そんな統合構想には上部先生はもちろん猛反対してるんだけど、このまま行くと、上部先生、もうすぐ定年だから」

 ああ、それで、と景子けいこは声が出そうになったのを止める。

 それで、あんなに白く顔を塗りたくり、口紅もピンクに塗りたくって「若作り」していたのだ。

 歳をごまかしているつもりなのだろう。

 でも、そのせいでかえって無理をして若く見せているのがわかってしまう。

 「そんなところにね、その高校マーチングバンドのメンバーと、中学校マーチングバンドの卒業生で、まあ有志で合同演奏をやろう、って話が具体化して。毎年、三月に、瑞城で生徒たちがやってる音楽祭でその合同演奏会をやろうとしたんだけど、上部先生が本気で激怒したのか、それともいい機会だと思ったのか、音楽祭自体をつぶしてしまって。しかも、その音楽祭をつぶした責任を、さっきの猪俣いのまたっていう部長におっかぶせて、OG呼んで来て圧力かけて、部長を辞めさせて、っていうのが、いまの子たちが相談に来てた事件」

 河原崎先生は、ふうっ、と大きく息をついた。

 「その、中学校マーチングバンド部の牧先生がちょうどお子さんが生まれたところでね。身動き取れないうちにそんなことをやってしまって。牧先生も三月になって退職届出されて」

 それで、今日、新任の音楽の先生がまだ来ていなかったのだ。

 前の先生が辞めたのが三月だとすると、新任の先生が決まったのは三月も後半だろう。つまりここ二週間のあいだくらいだ。それで、その音楽の新任の先生は準備が間に合わなかった。

 「でも、名門かどうかはべつにして、高校マーチングバンド部フライングバーズといえば、メンバー数七十人とかいう巨大部活だし、それにねぇ」

 河原崎先生は、いままでとは違う、掠れぎみの声で言って大げさにため息をついた。

 「おお財産ざいさんちなのよ。楽器一つで何十万って楽器を何十とか持ってるわけだから。もちろん減価げんか償却しょうきゃく終わってるのもあるだろうけど。それ、学校の財産なんだけど、フライングバーズ、あ、つまり高校マーチングバンド部の専用だから。そんなのだから、先生方のあいだでも反発強くてね。それを、演奏経験もない、さっき言った三人で統率させようとしてるんだから」

 上部という先生が、だろう。

 「ま、何か起こるよね。だから覚悟はしておいて」

 先生が言って、立ち上がる。

 景子もあわてて立ち上がった。先生に立たせて、自分が座っているわけには行かないから。

 「じゃ、桜の話でもしながら帰りましょ」

 先生が景子に言った。

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