第20話 桜を遠くに見ながら(1)

 会長と副会長はまたタイミングを揃えてお辞儀をして小会議室を出て行った。

 その瞬間だけ外から生徒たちのざわめきが聞こえる。

 二人を帰らせてから、河原崎かわらざき先生も職員室に帰り、小池こいけ先生というひとに生徒会がSDGsエスディージーズの何かを立ち上げるという話をするのだろうと思った。

 しかし、河原崎先生は

「ちょっと座ってて」

と言って景子けいこを座らせたまま、その生徒会の子たちが出て行った会議室の入り口まで行き、扉に鍵をかけた。

 戻って来るときには、向こう側、さっきまで生徒たちが座っていたほうを通る。通りながら、景子を手招きした。

 景子は、河原崎先生が机の上に置いていた書類をまとめてフォルダーに入れる。

 河原崎先生が窓際の応接セットのソファに腰を下ろし、景子に向かい側を指さして

「そっち座って」

と言う。

 「遠慮いらないから」

と言われたので、景子は軽く頭を下げて、先生の向かい側に腰を下ろした。

 先生は窓の外に顔を向けた。

 「ここ、桜を観賞するには特等席だから」

 たしかに、ここからだと、校庭の向こうに、朝見た桜が一列に咲いているのが見える。一部分が隣の体育館に隠れるだけだ。

 その下の校庭では、高校生たちが、部活の練習をやったり、制服のままボール遊びをやったりしている。

 紺の制服にほこりがついてだいじょうぶなのかな、と思うけど。

 先生が桜を見せるために景子をそこに座らせたわけではないのはわかっている。それでも、景子は、その桜のほうに目を向けて

「この学校、桜、きれいですね」

と言った。

 そう感じているのは事実だ。

 先生が答える。

 「電車から見てごらん。その桜の上のほうだけが見えて、山の奥に霞がたなびいてるみたいできれいだから」

 やっぱり、ここは「深山しんざん幽谷ゆうこく」感のある場所だったんだ。

 先生は、ふうっ、とまた大きく息をつく。桜の話のときよりも声を低くした。

 「ごめんなさいね。着任初日からややこしい問題に関わらせてしまって」

 「あ、いえ」

 問題はややこしいかも知れないが、景子の仕事は言われた資料をプリントして持って行くだけだった。すこしもややこしくない。

 先生が続ける。

 「去年、というか、三月だから前の年度末ね」

 先生はため息を繰り返す。

 「ちょっとややこしい事件が起こって」

 「はい」

 ややこしい事件が起こったから、ややこしい問題がいま続いているのだろうけど。

 アシストするつもりで景子がことばをはさむ。

 「それが、この、猪俣いのまたっていう生徒がマーチングバンド部を退部した事件ですか?」

 「退部させられた事件、ね」

 生徒がいないところでは先生ははっきりと言う。

 「朝、目立ってた上部かんべっていう先生がいたでしょ?」

 「はい」

 よく覚えている。

 瑞城の伝統がなんとか、と、大きい声で発言していた先生だ。

 そのときの職員室の雰囲気で、嫌われている、というのがはっきりわかった。

 「が高校マーチングバンド部の顧問なんだけど、どうも、その猪俣っていう生徒が気に入らなかったらしくてね。それで、OGを何人も呼んで圧力をかけて辞めさせてしまったの」

 それは……。

 顧問が部員に「圧力」をかけて辞めさせたりしていいのだろうか?

 「わたしが学校にいればなんとかしたんだけど、春休みに入ったところで、出張期間中だったんだよね」

 「はい」

 まぬけな答えだけど、そう言っておくしかない。

 「まあ、ちょっと複雑な話だけど、さっきあの子たちにも言ったように」

 生徒会の幹部に、だろう。

 「これからもっとややこしいことに発展するかも知れないから、説明するね」

 言って、河原崎先生は話を始めた。

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