第7話 「ひとまずお別れ」

 愛沙あいさは本館校舎の前の下足場に入った。

 「先生たちの玄関は中学校校舎のほうですけど、今日はこっちからでいいんじゃないですか?」

 愛らしい愛沙が言う。

 「そっちにお客さん用スリッパありますから」

 「あ、いや。サンダル持って来た」

 瑞城ずいじょう女子中学校・高校はお嬢様学校だという。

 そんなに高いものは買えなかったけれど、サンダルはお嬢様たちに笑われないくらいのものは買ってきたつもりだ。

 もちろん、校舎内で動きやすいものを。

 愛沙も、下駄箱に自分の靴は入れずに、鞄から出した袋に入れてぶら下げている。

 高校には初めて登校した。クラス分けも知らないだろうから、どこの箱に入れるかも決まっていないのだろう。

 「あ。わりといい感じですね」

 愛沙が景子けいこのサンダルをめてくれる。

 「それで、職員室は、そこ、なので」

 愛沙が入り口斜め向かいの部屋を指さす。

 広い部屋から廊下に磨りガラス越しに明かりが漏れている。

 その、しなやかな動き、「ぴしっ」と向かうところを示す指さしかたは、たしかに、バトントワリングをやっている子に似合っている。

 「ひとまずお別れなんですけど」

 「お別れ」と言われると、急に、寂しい、心細い感じが上がって来る。

 でも、愛沙とはこれからずっと同じ学校にいるのだ。

 たぶん愛沙が卒業するまで。

 「じゃ、またね」

 大人びたところを見せて、景子がそう言うと、愛沙は何かあわてたように

「あ、そうだ。この街、初めてなんですよね?」

と言う。

 あとで案内してあげる、とか言われるのだろうか?

 それならそれでいいけど。

 学校の職員が特定の生徒といっしょにいるところを見られるというのは、いいのだろうか?

 よくわからない。

 ここまでは、たまたま坂道で会った、というだけだから、いいのだろうけど。

 しかし、愛沙が言ったのは

「じゃ、晩ご飯なんですけど」

 ちょっと口ごもり、それから笑いを浮かべる。

 これまでのむじゃきな笑いとは違う、何か構えたような笑い……。

 というか、体を前に傾けて、何か構えている感じが伝わってくる。

 それはいいけど。

 ……晩ご飯?

 なんか遠い先の話のような……。

 とりあえず、続きを聞こう。

 「もしこの街で食べて帰るなら、ここから駅に行く途中に秋麺ってラーメン屋さんがありますから、そこの生姜醤油ラーメンというのがおすすめですよ」

 はい?

 「きっと、おいしいと思います」

 取ってつけたように言って、愛沙は、職員室よりも奥のほうへと弾むように歩いて行った。そちらに高校の校舎があるのだろう。

 「秋麺?」

 景子は頭の中で繰り返す。

 「……の、生姜醤油ラーメン……?」

 たしかに、ケーキにジンジャー風味というのは、いいと思うけど。

 それより、「ひとまずお別れ」の直前に、あの愛沙というかわいい子が、突然、晩ご飯の話なんかした理由が、よくわからない。

 そう思いながら景子は職員室の戸を開けた。

 思いながら開けたので、まだ学校に入れるはずのない時間に職員室の戸が自然に開いたことを景子はなんとも思わなかった。

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