第6話 校舎のこと、部活のこと

 その土手を下りると運動場で、運動場の向こう側が校舎だ。

 「右っ側の地味な校舎が中学校。中学校はこの校舎だけです」

 土手の下を並んで歩きながら愛沙あいさが解説する。

 桜の薄ピンクの明かりがいまは頭のずっと上から照らしている感じだ。

 「じゃあ、愛沙ちゃんは、去年までそっちの校舎?」

 「去年って言うより、昨日までですね」

 またくすんくすんと笑って、肩を上げる。

 「昨日、校舎に置いてた荷物を両手に持って帰りました」

 三月三一日だから、だろう。

 この一日で、この子は中学生から高校生になったのだ。

 「で、その中学校から、空中渡り廊下でつながってるのが本館。そこの、三角定規みたいな飾りのある建物ですね」

 「ああ、はい」

 生徒に「はい」もなかろうとは思うけど。

 校舎の上に、ピンクや薄緑や水色の直角二等辺三角形の飾りが空に突き立っている。

 これがこの学校のシンボルらしい。もう何十回と見たこの学校のホームページにもこの建物の写真が出ていた。

 「高校の校舎は、ここの運動場とは反対側にずーっと延びてて、それで、本館から向こう側にあるのが図書館とか食堂とかある建物です」

 中学校校舎と直角にその本館があって、本館の並びがその「図書館とか食堂とか」、そして、本館とはまた直角に、中学校校舎とは反対側に高校校舎がある。

 そういうことらしい。

 「その本館の手前が体育館、で、この土手に一番近いところの道をずっと入って行くとボイラー室っていうのがあって、その向こうは同窓会の建物です」

 桜の列はその体育館というところの横で終わっていて、その向こうは、最初に景子が考えたような「深山しんざん幽谷ゆうこく」的な木々の中に続いている。

 「ボイラー室って暖房の?」

 「ああ、昔は、ですね」

 肩の後ろに縮れぎみの毛を活発に揺すりながら、愛沙が振り向く。

 「いまはもう暖房には使ってなくて、ここの警備とか、いろんな管理とかやってくれているおじさんおばさんたちの部屋です」

 校務員さんが詰めている部屋ということだろう。

 そのボイラー室へ続く道と体育館の分かれ道の角を曲がったところで、景子けいこはきいてみる。

 「愛沙ちゃんはいつもこの時間に来てるんだ?」

 違うだろうな、という予感はしている。

 「いいえ」

 あっけらかんと愛沙は答えた。

 「いつもぎりぎり、じゃないですけど、でも、間に合ういちばん最後の電車で来ます。で、だいたい十分じゅっぷん前に学校に着く、って感じですね」

 愛沙はくちびるを半分だけ閉じている。

 まだ言いたいことがありそうなので、景子は黙っている。

 「まあ、朝練とかなければ、ですけどね」

 朝の練習。

 「部活の?」

 「はい」

 「どんな部活?」

 「マーチングバンド部でバトントワリングやってました」

 また顔をくしゃんとさせて笑う。

 「高校でもいちおうやるつもりですけど」

 「いちおう、って何よ?」

 景子は笑って言った。

 マーチングバンド部は「いちおう」でできるような部活じゃないだろう、と思ったから。

 一瞬の間があった。愛沙はそのかわいらしい表情のまま凍りつく。

 その表情をどこかに冷凍保存したいぐらい。

 でも、愛沙の冷凍はすぐに解けて、すぐにもとと同じような笑いを浮かべた。

 「そうですね」

 言って、くくくっと笑い声を立てる。

 「でも、今日、四月一日で、それに高校一年生最初の日だから、そんな日ぐらい朝一番に来ようと思って」

 景子も同じように笑う。

 「わたしもそうだけどね」

 それに、初日から遅れるよりは早く着いたほうがいいと思っていたから。

 八時二〇分に来れば間に合うと言われていた。たぶん愛沙の言う「間に合ういちばん最後の電車」の時間がそれだろう。でも、途中で迷ったり、アクシデントがあったりすると間に合わない。

 それよりは、早く来すぎるほうがいいと思った。

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