語られる動機

「支配者。支配者ねぇ……」


 夜空の言葉を噛み締めるように、その言葉を何度か呟く紅葉。

 訝しむような視線を夜空に向けながら、紅葉は鼻息を一つ吐く。呆れた気持ちを吐き出さねば、次の言葉を綴れそうになかったがために。


「色々言いたい事はあるが、そうだな……こんなゾンビだらけの世界、支配して何か面白いのか?」


「ああ、面白いね。今までずっと思っていたんだ。こんなくだらない世界、壊れてしまえば良いって」


「……………」


「それに、俺にはこの世界を思うがままにする権利がある」


「権利とは、また随分と大きく出たものだな。私には君がそんな大層な人間には見えないが?」


 煽るように紅葉は尋ねるが、夜空は動じた様子もない。むしろ紅葉を見下すような、嘲笑を含んだ眼差しを向けてくる。

 ジョークや比喩ではなく、本当に、夜空はその権利とやらを信じているようだ。

 馬鹿馬鹿しい、と紅葉は一蹴したいところだが……夜空の自信に満ちた態度が気に掛かる。ただのブラフという可能性もあるが、それを確信するには証拠が足りない。

 ご丁寧にも、夜空は如何にも話したそうだ。余計な口を挟まなければきっと色々教えてくれるだろう……紅葉の予想通り、夜空は上機嫌な口振りで語り出した。


「見ろよ、この町を。ゾンビが出てきて、殆どの人間が噛まれてゾンビになった。あんなウスノロ連中にやられたんだ」


「……………」


「今まで俺に絡んできていた、つまんねー奴等も全員喰われた。だが、俺だけは生き延びた。何故か分かるか? 俺が! この世界に選ばれたんだ! だったらこの世界を好きにするのは当然じゃないか」


「世界に選ばれたとは、随分大きく出たものだ。生存者バイアスでしかないと思うがね……」


 少しだけ煽ってみると、夜空は小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

 次いで彼は屋上から校内へと通じる扉へと向かい、力強くその扉を開けた。


「うぅううぅうう」


「ううぅあぁあ」


 すると扉の奥から、ぞろぞろとゾンビがやってきたではないか。

 数は五体。屋上は広いものの、これだけの数がいると極めて危険だ。紅葉は思わず息を飲む。

 だが、それ以上に意識を引き付けるものがある。

 夜空だ。扉を開けた彼は、当然ながらゾンビ達のすぐ傍にいる。ゾンビは人間の臭いに反応して襲い掛かるが、臭いの強いものを優先して襲う。遠くで眺めている紅葉よりも、すぐ隣にいる夜空を襲うのが『法則』だ。

 ところがどうした事か――――

 それどころか夜空が間に割って入ってきても、まるで反応を見せないではないか。紅葉が大きくその目を見開けば、夜空は愉快そうに笑う。


「俺はゾンビ共に襲われる事がない」


 見たままの事実。されど今まで紅葉が見た事もない事実を、夜空は告げた。


「他の奴等は喰われたが、俺だけは! 見向きもされずに生き延びた!」


 夜空はゾンビの前に腕を出す。普通ならば、ゾンビはその腕に噛み付いてくるだろう。

 だが、見向きもしない。障害物がある事も分かっていないように、うーうー言いながら進もうとするだけ。頭を掴んでも、肩を掴んで転ばせても、ゾンビ達は夜空に抵抗すらもしないのだ。

 本当に、ゾンビ達は見向きもしていなかった。


「ゾンビに俺だけが襲われない。まるで漫画や小説みたいだろう? 俺はそうなったんだ! 俺だけが!」


 声高に叫び、笑い、夜空は勝ち誇る。

 そしてその間も、ゾンビ達は彼を襲わない。ただただ紅葉に迫ろうとして、話の途中で動き回る死体を夜空は引きずり倒す。さながら、自らの力を誇示するように。


「……何かトリックがある、という訳ではなさそうだな」


「その通り。俺はなーんにもしていない。なのにゾンビ達は俺に見向きもしないんだ」


 堂々と、誇らしげに、夜空は『タネ』を明かす。

 果たしてゾンビに襲われない人間など、存在するのか? 可能性としては、あり得る事だと紅葉は思う。

 ゾンビは人間の臭いに反応して襲い掛かる。つまり言い換えれば、その臭いがなければゾンビは人間を襲わない訳だ。そして人間の体臭には個人差がある。食べ物の影響もあるし、体質の問題もあるだろう。何より、体臭はたった一つの物質で出来ているものではない。

 体質的に特定の臭い物質を出さない。平時ならば、きっとろくに役に立たない性質だ。もしかすると臭いのバランスが崩れて、出会う相手に不快感を与える臭いになっているかも知れない。だが、ゾンビ達が支配する世界では、それは生き抜くのに極めて有利な能力と言えよう。

 進化の基本は適者生存。生き延びた個体が次世代を繋いでいき、そして世界を満たす。


「余裕で生き延びた俺は、これからの世界を支配するのに相応しい人間なのさ」


 選民思想剥き出しの夜空の発言も、その視点で言えばあながち間違いではないだろう。


「……選ばれた人間様なのは分かった。で? 選ばれた君は何を企んでいる? 世界の支配とは具体的にどんな事をするつもりだ? まさか国家転覆とか?」


「いいや、そんな大した事じゃない。ただ俺にとって必要な人間だけが生きる、俺の世界にするだけ」


「……あの女性達は取り巻きのつもりか」


「ああ。支配者だからな、女も好きに出来て当然だろう?」


 臆面もなく、悪びれる様子もなく、平然と語る夜空。

 女の事を自分の付属品としか思っていない。

 それを女に話す事そのものに憤りを覚えるが、ここで話の腰を折っても得られるものはない。それにで怒っていては後が続かない。

 紅葉は大きく息を吐く。感情を静め、また話を聞けるようにするために。


「……菜之花に、何をしていた」


「なのは? ああ、あのガキの名前か。口が聞けないのによく名前が分かったな……ま、いいけど。あのガキは俺の『練習相手』になってもらったよ。やっぱさ、いざって時童貞なのもカッコ悪いからな。で、一階の空き教室に閉じ込めていたよ」


 そうして務めた冷静さも、彼の言葉だけで一瞬にして失われる。

 練習相手? カッコ悪い?

 そんなもののために、コイツは菜之花に手を出したのか。彼女の心を傷付けたのか。

 選ばれた。ただそれだけの理由で、それをしたというのか。


「……以前、裸の女性ゾンビを見た。あれも、君の仕業か」


「裸ゾンビ? ……あー、あったかもな。今の女達と会う前に見付けた女で、俺に気があると思って相手したんだが、ぎゃーぎゃー騒いでさ。で、俺を突き飛ばして裸のまま逃げ出して、待ち伏せしていた奴にがぶり。ありゃあ滑稽だったな」


 ゲラゲラと笑う夜空。その顔に後悔や反省の念は感じられない。そんな彼が、今一緒に暮らしている女達を大事に扱うだろうか?

 紅葉には到底思えない。


「おいおい、俺を睨むのは筋違いだろ? 俺はアイツらに食べ物も水も持ってきている。アイツらに必要なものを与えているんだ。だったら俺からも求めて良いじゃないか」


 抑えきれない『殺意』。それを差し向けても、夜空は僅かに動揺した様子もない。むしろ本当に、怒りをぶつけられる謂れはないと言わんばかり。

 確かに、ゾンビに襲われない彼はなんのリスクも犯していないが、それでも食べ物という『価値』を女達に渡している。その対価に身体を要求するのは、不愉快な話ではあるが、紅葉としても理解出来なくはない。男はただで自分達の世話をしろ、等と主張する女がいたら、それはそれで腹立たしい相手だと紅葉も思う。何より、双方で交わした契約に横からあれこれ言うものではあるまい。

 しかし、だからといって相手の生命を脅かして良い理由とはならない。


「で、いらなくなったら処分か? 菜之花にゾンビを差し向けた時のように」


「仕方ないだろう? あの餓鬼、全然懐かないんだからな。しかも喋れない癖に、ぴーぴー泣いてばかり。ウザくなったから捨てて、後片付けをしたんだよ。そうでなけりゃあ俺だって酷い事はしないさ」


 笑いながら、本当に仕方なかったと言わんばかりに夜空は答える。

 外道とは、正にこういう人間を言うのか。

 元々性根が腐っていたかは分からない。惨劇を目にして、心が壊れてしまった可能性もある。先程語っていた「世の中の平和に飽きていた」なんて、別段珍しい話でもないだろう。しかし彼はこの新しい環境に『適応』した。きっと、誰よりも。


「ま、そーいう訳で俺はここで支配者になりたい訳だ。けれども自衛隊に救助されたら、その生活も終わり。だからお前に自衛隊の救援を求められたくない」


「……………クソが」


「あんまり嘗めた口は利かない方が良いぞ? 俺がゾンビを自由にしたら、どうなるか分かるだろう?」


 最早我慢出来ないほどの嫌悪を露わにしても、夜空は余裕を崩さない。

 それどころか宣言通り、今まで引き止めていたゾンビを手放す。止める手がなくなればゾンビの歩みを阻むものはない。少しずつ、ゾンビは紅葉に迫ってくる。


「そうだなぁ。土下座をして服従を誓うなら、助けてやっても構わないぜ? 俺ならこのゾンビ達を退かせるからなぁ」


 距離を詰められて紅葉が顔を顰める中、ニヤニヤと笑いながら、夜空はそう提案してくる。

 本当に助けてくれるのか。或いは嘘なのか。夜空が何を求めているかは紅葉にも分からないが……受け入れるにしても、断るにしても、彼は満足するだろう。恐らく、その『証拠』も見せるように要求した上で。

 しかしそれでも、命に比べれば安いかも知れない。

 突き付けられた選択肢。紅葉はどちらを選ぶか決め、更に考えて――――口を開く。


「君、馬鹿だろ?」


 そしてハッキリと、思った事を言い放った。


「……な、に? お前、俺の言う事がハッタリだと思ったのか? 嘗めんじゃねぇぞ! お前一人殺すぐらい今更」


「君がゾンビに噛まれない体質なのはとっくに気付いている」


「……………え?」


 紅葉の言葉に、勢い付こうとしていた夜空はぴたりと固まった。されど紅葉はそこで手心など加えない。


「君、私と一緒に行動していた時、ゾンビの事平気で跨いでいただろ? 倒れているゾンビだからといって、普通あんな危険は犯さない。何時起き上がるか分からないからな。それに体育館の扉。閉めるのを私任せにしていた。戸締まり意識が希薄過ぎる。喰い殺される可能性がある人間なら、神経質なぐらい戸締まりは意識すると思うがね」


「な、そ、そんな些細な……」


「些細な事を些細だと切り捨てるから馬鹿なんだよ。それに食料集めについても、一緒に暮らしている女達の話から察するに、一人でやっているんだろう? そこも気になっていた。いくら噛まれない体質だとしても、万一の安全や荷物運搬の手間を考慮すれば二人行動が基本だろうに。なのにわざわざ単独行動をする可能性は二つ。本当に取り巻きの女達を気遣っているか、或いは見られたくない何かをしているか。後者だと踏んだから、君が菜之花に危害を加えた張本人と判断した訳だがね」


「う、ぐ」


「つまり出会った日のうちに大体手の内はバレている。それに気付かずドヤ顔で話してきたんだ。馬鹿以外の評価はないだろう? ま、君の下種ぶりと間抜けさには何度も驚いて、如何にも予想外でしたみたいな反応にはなってしまったがね」


「な、な……!」


「更に言うとお前が屋上に来た時点で、お前が私に危害を加えようとする事は確信している。お前にとっては女も法も好き勝手出来る今の世界が良いのは想像していた通り。物理的に止めに来るのは読んでいたぞ」


「ぅ、ううぅ……!」


 紅葉が語れば語るほど、夜空はその顔を真赤にしていく。全身をぷるぷると震わせ、怒りに打ち震えている事が傍目にも分かる。


「あともう一つ教えてやる。菜之花がお前に乱暴されたと教えてくれたと言ったが……ありゃ嘘だ。私は君と違ってレディーには優しいものでね、怯えている子から話を聞き出そうとはしないんだ。だから証拠は実のところなーんにもなかったから、あれで白状してくれなかったら困ってしまうところだったよ。見事ブラフに引っ掛かってくれてありがとう。馬鹿は本当に扱いやすくて助かる」


 そして止めにこの言葉を投げ掛ければ、夜空の雰囲気が変わった。

 堪忍袋の緒が切れたのだと、紅葉にも分かるほどに。

 最早彼は、紅葉の答えを待たない。


「い、行けゾンビども! アイツを食い殺せ!」


「出来もしない事は、言わない方が良いぞ? 君、別にゾンビをコントロール出来る訳じゃないだろう? 腕を出したり掴んだりしても、ゾンビの前進が止まらなかったからな」


「ぐ、ぎ、ぎぃぃ……!」


 切れた挙句にまた煽られて、夜空は一層怒りの形相を歪める。

 きっと、今から泣いて土下座をしたところで夜空は許さないだろう。

 元より許してもらうつもりは更々ない。そもそもここまで怒らせたのもまた紅葉の思惑だ。怒りは冷静な判断力を失わせる。視野が極めて狭くなり、短絡的な判断しか出来ない。

 そうなってもらわないと困る。


「(さぁて、どうしたもんかな。私にはなんの手立てもない訳だが)」


 ただの人間である紅葉には、ゾンビをあれこれする能力なんてないのだから。

 しかしそれを知られる訳にはいかない。今、紅葉が夜空に対し圧倒的に勝っているのは、『賢さ』ぐらいなものなのだから。

 だが、それだけ優れば十分。


「さぁ、掛かってこい。選ばれた人間だかなんだか知らないが、その鼻っ柱、ここでへし折ってやる」


 なんの作戦もない中で、紅葉は一歩も退かずに宣戦布告をした。

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