仕込み
翌朝、紅葉が真っ先に向かったのは夜空達が属する生存者グループ、彼等が暮らす体育館だった。それも単身である。
校舎内にゾンビの姿はなく、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下を横断するゾンビもいない。難なく体育館の扉の前まで行くと、紅葉はその扉をゴンゴンと叩いた。少し待てば中から扉が開かれ、夜空が出迎えてくれる。
そう、確かに歓迎の笑顔を浮かべていた。しかしどことなく表情が強張っている、緊張した面持ちのようにも見える。
紅葉は彼の後を追うようにして、体育館の中へ。そこには昨日出会った女性達六人の姿もあり、紅葉の下……というより夜空の傍へと集まってきた。
そうして女性達に囲まれた状態で、夜空の方からこう話を切り出す。
「昨日の放送、どう思う?」
こちらの要件を問わず、自分の方から質問してくる。一般的な会話としては些かマナー違反であるが、今回に限れば問題はまい。
何故なら紅葉もその事について尋ねようとしていたのだから。
「私的には、五分五分だな」
「そうか……」
「五分五分ってどういう事? まさか、あの放送が『嘘』って事?」
夜空を囲う女性の一人、翡翠から問われて紅葉はこくりと頷く。ざわざわと女性達がざわめく中、夜空もまた静かに頷いていた。
自衛隊が助けに来た。
そうであれば実にありがたい話だ。これでようやく日常に戻れるのだから……しかし果たして本当に、あの放送を流したのは自衛隊だと断言出来るだろうか? ひょっとすると、自衛隊からヘリや放送機器を奪い取った不埒者という可能性もある。
普通の災害時ならば、そんな馬鹿なの一言で切り捨てて良い可能性だ。仮にも先進国の『軍事組織』から装備を盗むなど、そう簡単に出来るものではない。されど今はゾンビパンデミックスの真っ只中。拡大防止の過程で自衛隊に混乱が生じていた場合、放置された装備を奪う事が出来てしまうかも知れない。
紅葉としては自分でもゾンビ退治のやり方を見付けられたのだから、自衛隊がそこまで追い込まれるとは考え難い。しかし紅葉にそんな余裕があったのは、この町がごくごく普通の市街地だからかも知れない。大都会東京の人口は約一千四百万人。昼間には労働者や学生の流入があるためもう百万人ぐらい増える。仮に、この十分の一がゾンビになったとしても、百五十万もの大群となるのだ。ちなみに中国の人民解放軍の陸軍が八十五万人と言われているので、大体その倍の『戦力』が東京に集結していると思って良い。勿論ゾンビは銃も大砲も使わないが、代わりに撃っても死なない。
この大群が流れ込めば、自衛隊基地の一つ二つ、簡単に壊滅するだろう。練度や士気など関係なく、物量に押し潰される。
そして自衛隊の装備を盗むのに、自衛隊そのものが機能を喪失している必要はない。ただ一機でも、入手の『チャンス』があれば……悪い事は出来るのだ。
「救助の時間がたった一日なのもおかしい。自衛隊員が大勢でやってくるなら兎も角、ヘリコプターなんだろ? その日体調が悪くて動けない人は見殺しか? 老人や子供はどうやって目立つ場所、家の屋根とかにサインを描けば良い? 仮にも救助のためなのに、一番に助けないといけない人達を無視するなんて怪し過ぎる」
「自衛隊を騙れば、助けを求める人がワラワラ集まる。そいつらを銃で始末するなり、高いところから落とすなりで始末すれば……彼等が貯め込んでいた物資はこっちのもの。平時なら割に合わない上に成功率も皆無だが、今なら採算が取れそうだな」
「やってきたのが女なら、乱暴とかするかも知れないね」
「ひっ……」
恐ろしい想像をしたのか、女達の誰かが悲鳴を漏らす。
紅葉としても、乱暴されるのは御免だ。怖いのは勿論、そんな輩に身体を触られるなど想像するだけで気持ち悪い。
「とはいえ、これは私の憶測だ。本当に自衛隊が助けに来たという可能性は否定出来ない」
「……ああ。確かにね」
「今のまま待つにしても、食糧や水が何時まで持つか分からない。賭けになるが、私は助けを求めるべきだと考える。あなたはどう思う?」
紅葉は真っ直ぐに、夜空の目を見つめる。
夜空は沈黙する。
やがて目を逸らし、考え込む。真剣な面持ちで思案する事、数十秒は経っただろうか。
「……俺達は、止めておこう。怪し過ぎる」
出てきた答えは、紅葉と正反対のものだった。
「そうか。まぁ、どう判断するかはそれぞれだ。あなたの意見は尊重しよう」
「俺としては、君にも止めてほしいと思う。そうだ? 一緒に暮らさないか? 食糧や水が不安なら、俺が集めるからさ」
「ありがとう。私だけならその申し出を受けたかも知れないが……一緒に暮らしている女の子が、口が利けない状態なんだ。小さな子だし、ストレスなども気になる。早く専門的な者の診察を受けたい」
「……そう、なのか。そんな子が一緒とは、知らなかった」
紅葉の意見に、夜空は少し驚いたような反応を示す。
そして紅葉の事を、それ以上引き留めようとはしなかった。
「とりあえず、私は屋上にサインを書くよ。気が変わって手伝いをしてくれるなら、是非とも来てくれ」
「……ああ。考えておくよ」
「じゃ、私はこれで」
軽く手を振り、別れを告げて紅葉は体育館から出る。扉はしっかりと、紅葉が閉めておいた。
一人になったところで、紅葉は小さく息を吐く。
「……さぁ、次だ」
自分に言い聞かせるように独りごちてから、紅葉は第二校舎へと向かうのだった。
……………
………
…
第二校舎は、昨日よりもゾンビの数が幾分減っていた。
というのも昨日の帰り道、紅葉はゾンビ達に除草剤を掛けておいたのだ。積極的にやった訳でなく、安全を最優先にしていたので全てのゾンビに掛けた訳ではないのだが……お陰で今日の通行は大分楽になった。
それでも廊下の行き止まりにある部屋・実験室へと向かうのは、あまり気の進まないものではあるが。
「もしもーし。まだ生きてるかー?」
紅葉は扉をガンガンと力強く叩き、中の人物――――雪男に声を掛ける。
返事は、ない。
しばし待ってみるが、やはり返事はなかった。普通の人間なら、その静けさと死が容易く結び付くだろう。されど紅葉には『悪癖』がある。
室内に動く気配があるのは察知済み。
面倒臭がっているのか、手が離せないのか。どちらにせよしばし待ってみると……やがて気配は扉の方に近付いてくる。
「何時までそこにいるつもりだ」
鍵の開く音と共に、雪男が顔を出した。
「無論、顔を出すまで」
「……喰われても知らんぞ」
「そうなりそうなら逃げるさ。まぁ、それは兎も角として、だ。話したい事がある」
許可を得る前に紅葉が前に足を踏み出せば、雪男はため息と共にそれを受け入れる。
実験室に入り、紅葉はある程度奥まで進んでから振り返る。話を切り出すのは、そこからだ。
「昨日の放送、君はどう思う?」
「……自衛隊のやつか。胡散臭さ、というより違和感は覚える」
「ほう? 具体的には?」
「救援時間があまりに短い。実質半日しか救助をしないなんて、あれでは励ましというより脅しだ。期間限定を謳う悪徳セールスマンのようだな」
「確かに。私もそこに疑問を持っている。可能性としては一つ、自衛隊という名乗りが嘘ではないかというのが挙げられるな」
「……その可能性も、中々突飛だとは思うが」
あまり賛同していない様子の雪男。しかし自分の考えを口にする様子はない。
紅葉も特段追求はせず、雪男の言葉を待たず自分の話を続ける。
「とはいえ、私としては救援を求めるつもりだ。私のところで小さな女の子を保護していてね。その子、どうにも口が利けないようだから、私のような素人ではフォローも限界がある。可能な限り早く専門家に預けたい」
「……何? そんな子がいたのか?」
「ああ、最近保護したよ。今のところコミュニケーションに問題はないが、やはり専門性の高い質問は出来なくてね」
「……今までの生活についても、聞き出せていないのか?」
「具体的には聞けていないね。ま、あまりいい暮らしはしてなかったようだが」
紅葉が語れば、雪男は考え込むように沈黙する。
紅葉はその考えが纏まる頃まで待たず、再び話を切り出す。
「そういう事だから、今日のうちに第一校舎の屋上にサインを描こうと思う。一人でも出来ると思うが、手伝いをしてくれると助かるね」
「……………ああ、安全が確保出来れば、行こうと思う。しかし……」
ぶつぶつと、呟きながらまた考え込む。
今、普通に話し掛けても雪男の反応は薄いだろう。
「じゃ、私はそろそろ帰るよ。鍵の締め忘れには気を付けてくれ」
「ん? あ、ああ。そうか」
紅葉が肩を叩きながら別れを伝えれば、雪男はハッとしたように目を見開きつつ、我に返る。
紅葉は手を振りながら実験室の扉を通り、外へと出た。しばらくすれば、ガチャリ、と内側から施錠される音が聞こえる。
扉近くの壁に背を預け、紅葉は思考を巡らせた。
「……成程な。まぁ、そういう反応だろう」
ぽつりと独りごち、更に思考する。
夜空と雪男。
二人の男子生徒と交わしてきた会話を思い起こす。その時に伴った行動も振り返る。そうすれば、彼等の内面が薄っすらとだが見えてきた。
どちらであれば、『悪事』が出来たのかも。
別段紅葉は正義感が強い訳ではない。仮に、『アイツ』が悪事を目論んでいたとして……自分に被害が及ばないなら、見逃すのも吝かではない。
ただ、小さな女の子を傷付けた落とし前は付けさせたいところだ。
それだって積極的にやろうというつもりはないし、証拠もないので問い詰められるかも分からないが……向こうが食い付くのであれば話は違う。
「さて、『餌』に食い付くのは私の予想通りの相手か……ま、食わないなら、悠々と脱出させてもらうだけだがな」
ぽそりと独りごちてから、紅葉は歩き出す。
まずは図書室に戻って仲間達に報告。
そして『宣言』通り、屋上へと向かうために……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます