動きを生む声
約束通り二時間以内に図書室へと帰った紅葉は、生存者について海未達には話さなかった。
理由は菜之花のトラウマを刺激したくないから。生存者がいると聞けば、菜之花は怯えてしまうかも知れない。それで情報を引き出せるなら、という冷酷な考えも紅葉にはあるが……怯え方が酷過ぎてあまり期待出来ない。最悪過度のストレスで全部忘れてスッキリ! なんて事になる可能性もある。
ゆっくりと、時間を掛けて、少しずつ。心の傷を探る時は慎重さが必要なのだ。
それに、何時までも話さないという訳ではない。要はタイミングを測れば良いのだ。菜之花が聞いていなくて、海未だけは聞いているような状況。
夜更しをすれば、その時は簡単に訪れる。
「うん。菜之花ちゃん、よく寝てる」
「私達に慣れたと考えるべきか、はたまた未だ精神的疲労が残っているのか。まぁ、眠る事は良い事だ。睡眠時間が七時間以上ある人間が最も寿命が長いという研究報告もある」
「で、私らはその大切な睡眠時間を削って大人の話し合いという訳ですな」
「ま、それでも八時間睡眠は余裕で出来ると思うがね」
海未の軽口に、紅葉は同じく軽口を返す。それから床に横になっている菜之花をちらりと見て、起きる気配がない事を確かめてから本題を話し始めた。
「今朝の探索で生存者には会えた。二グループ存在していて、体育館と実験室で生活している。これで全員とは限らないがな」
「うわーお、見事に三つに分かれてる。今まで誰にも会わない訳だ」
「ああ。体育館側は七人が共同生活をしていて、実験室側は一人で生活していた。体育館にいたのは三原夜空、実験室にいたのは薩摩雪男。どちらか知り合いか?」
「うーん。二人とも知り合いではないけど、多少は知ってる」
海未は腕を組み、首を傾げつつ、そう答える。
答え方も態度も、なんとも頼りない。しかしながら紅葉は二人について全く知らない身だ。少しでも情報があるのなら、その時点で紅葉にとって有益というもの。
「是非とも聞きたいところだ」
本心からその言葉を伝え、海未に話を促す。海未は思い出すように少し考えた後、ぽつりと小声で語り出した。
「三原さんは部活の先輩と同じクラスの人。結構地味系で、いじられキャラだったみたい。先輩は面倒見が良いタイプだったから、いじめにならないか気にしてたっぽいんだよね」
「ふぅん。あんまりそんな風には見えなかったが……まぁ、仮にいじめられていたなら、いじめっ子が消えて素に戻ったのか」
「薩摩先輩は、うちの部活の先輩が惚れてた。何時もクールで硬派な感じがカッコいいとか。抜けてるところもあって可愛いらしいよ」
「あれは抜けてるじゃなくて無頓着と言う気がするんだが……」
「知らないわよ。私はあくまでも又聞きなんだから」
紅葉のツッコミを突き放すように、海未は悪びれた様子もなくそう告げてくる。実際、不確実な話なのだろう。
とはいえどちらも本当にこの高校の生徒だと断言出来たのは、かなり大きな収穫だ。不審者が学校の制服を奪い、生徒のふりをしている可能性も否定出来なかったのだから。海未からの情報提供に紅葉は感謝し、うんうんと大きく頷く。
「ところで、私からも一つ訊きたいんだけど」
そうしていると、今度は海未が問い掛けてくる。
「ん? 構わないが」
すぐに了承を伝える紅葉だったが、海未はすぐには話し出さない。一度口を閉じ、ゆっくりと……寝ている菜之花の方を見遣る。
「それより……どうなの? 菜之花ちゃんを酷い目に遭わせた奴、誰だが分かった?」
次いで顰めた声でそう尋ねてきた。
気になる気持ちは紅葉にも分かる。出会った生存者の中に、菜之花を殺そうとした輩がいるかも知れないのだから。
しかし、それは少々早計な物言いだとも思う。
「君ねぇ。昨日も話したが、まだ確定した訳じゃないだろう。単に逸れただけかも知れないし、出会った連中の中にその酷い奴がいるとは限らない。犯人を知りたい気持ちは理解するが、警察の真似事を素人がやるものではないと思うぞ」
「う……」
「……まぁ、一応私も意識はしていた。しかしどちらも菜之花に酷い事をするような人間には見えなかったよ」
三原夜空の方は仲間達と共に暮らしていた。それも女六人と。もしも女子に対する狼藉を働けば六人と敵対関係になり、比喩でなく人権を剥奪されるかも知れない。そこまでいかずとも、好かれる事はないだろう。少なくともあの女子達の前では、彼は見た目通りの好青年の筈だ。それに彼は食料調達も担っているらしい。ゾンビがいる外を歩き回る彼に、女をあれこれする余裕と時間があるとは思えない。
薩摩雪男もまた、紅葉が一人で部屋に入っても手出しする気配もなかった。ただ遠巻きにこちらを観察しているだけ。確かに協調性はなさそうだが、積極的に人を害する性格には思えない。大体彼女を始末するとして、ゾンビが徘徊する第二校舎をあちこち歩き回るのはリスクだ。ましてや第一校舎に来る理由がない。食料が足りていないという発言からも、彼が『出不精』なのが窺える。
印象と環境。どちらも二人の悪事を否定する。
とはいえ……
「ただ、妙な行動をしている奴はいたが」
「妙?」
「別にそれが悪事と直接結び付くとは思わん。しかしもしもアイツがそうであるなら、前提が変わる。環境的に無理だからというアリバイが崩れるな。それに……いや、流石にこれは疑い過ぎか」
「え? え? 何? 誰か怪しいの?」
紅葉が少し語ってみると、海未はずいずいと近付いてくる。
元より、隠しておくつもりはない。その妙な行動について、紅葉は伝えておこうとした
丁度、その時だった。
頭が割れると思うほどに強烈な、サイレンの音が鳴り響いたのは。
「きゃあっ!?」
「ぐはっ」
「っ!?」
あまりの音量に海未が悲鳴を上げ、紅葉はダメージで仰け反り、寝ていた菜之花が飛び起きる。
紅葉の心境を正直に言えば、不快を通り越して怒りを覚える音量だ。ウーウーウーウー喧しくて、海未達と話をする事すら叶わない。
だがそれ以上に、胸が弾む。
サイレンの音――――つまりそれは、文明の機器が動いている証なのだから。
【近隣住民の皆様に、連絡いたします】
サイレンに続いて入ってきたのは、淡々とした、故に聞き取りやすい女性の声。
「も、もももももみっちゃん!? これ……!」
「静かに。聞き逃したくない」
呂律が回らないほど興奮する海未を宥め、紅葉は外から聞こえてくる音に意識を集中させる。
【こちらは、陸上自衛隊、です。皆様の、救助に、やってきました】
一言一言、聞き取りやすいように区切る話し方。市役所などの放送でよく聞く語り方だ。
そして救助に来たと、ハッキリ告げている。
【明日の正午から、明後日の正午まで、自衛隊所属のヘリコプターが、この地域を巡回します。生存者の皆様は、屋上など、空から見付けやすい場所に、サインをお書きください。そちらを目印にして、自衛隊所属のヘリコプターが、救援に向かいます】
「た、助けが、助けが来てくれる……! 本当に、来てくれるのね……!」
口に手を当て、目を潤ませ、海未は感極まったように声を漏らす。
菜之花も笑みを浮かべながら、紅葉にぎゅっと抱き着いてきた。もうこれで怖い想いをしないで済む。安全な場所に行ける。その想いでいっぱいなのだと紅葉は思う。
そして紅葉は、ただ一人表情を強張らせていた。
「(明日の正午から明後日の正午だと? いくらなんでも短過ぎるんじゃないか?)」
どれだけの数のヘリコプターが飛んでくるのか、それ次第ではあるが……だとしてもたったの一日しか猶予がないのは、あまりにも短い。いや、夜間に地上のサインを見付けるのが困難である事を思えば、実際の猶予はほんの半日程度ではないか。
ネットが使えた時、ゾンビ被害は日本全国に広がろうとしていた。救助が必要な地域が広いため一箇所に戦力を長期間投入出来ないのだろうか? 恐らく、それも理由の一つだろう。だが、もう一つの可能性が紅葉の脳裏を過る。
そして恐らく、その可能性は正しい。
「(だとすると……なら……)」
思考を目まぐるしく巡らせる。最悪の可能性、最良の展開、平凡な結末……あらゆる事態を想定し、取るべき行動を考える。
全く同じ文面の放送がもう一度流れ、そして終わった頃、紅葉は考えが纏まった。
「……良し。明日、私は少し出掛ける」
「あ、屋上に救援のサインを描くのね! なら私も」
「いいや、君は菜之花と留守番してほしい」
意気揚々と手助けを申し出た海未を、紅葉はきっぱりと断る。まさか断られるとは思わなかったようで、海未はキョトンとしたように目を丸くした。
傍にいる菜之花も、目をパチクリさせて戸惑い気味だ。また説明を求めるようにじっと見つめてくる。
海未も同じく紅葉の目を見つめてきた。今度も、紅葉は誤魔化したり隠したりするつもりはない。海未達にも協力してもらわねば困ると考えていたぐらいだ。
だから、正直に話す。例え菜之花が起きているとしても。
「明日、生存者達と接触する。『奴』が何かをしでかすかも知れないからな」
自分が考える限りという前置きは付くが、最悪の可能性を――――
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