囲まれた男

「三原くんか。よく今まで無事だったな……何処にいたんだ?」


 握手を手放し、紅葉は三原夜空に尋ねる。

 尋ねられた夜空は一瞬目をパチリと瞬き。次いで紅葉からの問いに答えた。


「体育館だよ。ゾンビが現れてから、あそこにずっと暮らしていた。そういう君は?」


「……教室だ。そこで一緒に避難した人と暮らしていた」


 夜空に聞き返され、紅葉が告げた答えは嘘ではないもの。正確な生活場所を把握されたくなかったため、少しぼかした。

 それと仲間の存在を仄めかす。

 紅葉は夜空を警戒している。男というのもあるが、菜之花がゾンビに襲われていた場所にいたのだ。もしかしたら彼が『犯人』かも知れない。一人でいると思われたら『狼藉』を働く可能性もある。しかしそうでなければ迂闊に手は出してこないと考えての牽制だ。

 果たして夜空は紅葉の臭わせた言葉をどう感じたか。崩れない笑みを見ても、内心は窺い知れない。


「仲間がいるのか。それは良かったね。俺も一緒に暮らしている人達がいるけど、もし自分一人だったら……ぞっとするよ」


 しかし引き出せた情報は、悪くないものだったが。


「君にも仲間がいるのか。何人だ?」


「結構大勢だよ。今は、六人の人達と暮らしている」


「六人。それは随分と大所帯だな」


 表向きは喜ぶように振る舞いつつ、紅葉の内心は警戒心を上げる。

 数というのはそれだけで『戦力』だ。とある方程式曰く、数が倍になると戦闘力は四倍になるという。紅葉達のグループが菜之花を入れても三人なのだから、夜空側はざっと四倍以上の戦闘力と計算出来る。

 ましてやそこに一人で乗り込めば、戦闘力の差は四十九倍。どこぞの戦闘民族が怒りで覚醒しない限り、一瞬でやられてしまう。


「そうだ、君の事を仲間に紹介したい。どうだろう? 体育館に来てくれるかい?」


 夜空のこの誘いに乗るのは、その危険地帯にみすみす足を踏み入れるのと同義。


「――――ああ、構わない。仲間に戻ると告げた時間まで、少し余裕があるからね」


 されど紅葉は、このリスクを承知した。

 断れば夜空の心象を悪くする恐れがあったし、仮に海未と共に来ても数では夜空側が圧倒している。現状、戦闘力差を改善する術はないのだ。

 加えて、紅葉の方は仲間がいる事だけを告げている。夜空は紅葉側の戦力が具体的にどれだけいるのか分からず、仮に紅葉に狼藉を働いた場合、どれだけの戦力と敵対するか不明な状況だ。ここで紅葉に手を出すのは、茂みから出ている尻尾がネコか獅子かキマイラかも分からないうちに踏むようなもの。迂闊な行動は起こせまい。

 不信感が安全を生む。紅葉は短い会話の中で、そう立ち回っていた。


「そうか! いやー、久しぶりに新しい生存者と出会えて嬉しいよ!」


 尤も、夜空の底なしに明るい笑顔を見ていると、どうにも心配無用だった気もしてくる。

 思えば夜空は渋る事もなく、ぺらぺらと情報を話してくれた。警戒心をまるで感じられず、こちらが危険だとは露ほども思っていない雰囲気だ。

 底なしのお人好しなのか、或いは単に馬鹿なのか。お人好しならばまだ良いが、馬鹿であるのが一番困る。紅葉が仕込んだ立ち回りは、ある程度情報が分析出来るだけの頭がないと意味がない。「戦力差? 知らねー、俺最強!」みたいな馬鹿が行動を起こすだけで、紅葉の思惑はたちまち破綻してしまう。

 勿論、一番好ましいのはお人好しである。別段誰かと敵対したい訳ではないのだから。最悪と最良が表裏一体になってしまい、気持ちが顔に出ないよう取り繕うのが少し辛い。


「……私も嬉しいよ。情報交換もしたいところだ」


「そうだね。困った時は助け合いが大事だ。仲良くやろう……さ、こっちに来てくれ。みんな体育館にいる」


 先導する形で歩く夜空。倒れているゾンビを邪魔そうに跨いだ後、振り返って紅葉を待つ。

 昨日自分が退治したゾンビ達の横を通って、紅葉も体育館へと向かった。

 ……………

 ………

 …

 体育館までの道のりで、ゾンビは一体もいなかった。

 恐らく昨日、菜之花が集めたのだろう。しかし念には念を入れ、紅葉は辺りを見回しながら歩く。夜空はといえば一度通った道だからか、比較的歩みはスムーズだ。

 渡り廊下(外に伸びているタイプ。土足を気にしなければ外から入れる作りだ)を通れば、やがて体育館の前に辿り着く。以前食料を取りに向かった備蓄倉庫が少し離れた位置に見えた。行動した時間が昼間だったなら、あの時にはもう夜空と出会えたかも知れないと紅葉はふと思う。

 体育館の扉は左右に開く引き戸型。夜空は大きくて重たい扉の取っ手を掴み、ぐっと力を込めて片方だけを開ける。


「さぁ、こっちだ」


 先導する形で招いた夜空に続き、紅葉も体育館に入る。扉は紅葉が閉めて、少し奥で待っていた夜空と共に進む。

 体育館内の広々とした空間……正式にはアリーナと呼ぶ。要するにバスケなど運動する領域だ……に、六人の人影がある。

 間違いなく生存者だ。二十代ぐらいの大人や女子高生、或いは間違いなく小学生と分かる小さな子など、年齢は様々。強いて言うなら、全員女性である事が共通点か。


「夜空くん! えっと、その人は……?」


 女性達の中から一人、紅葉達と同学年と思しき ― ただし着ている制服が違うので他校の ― 女子生徒が話し掛けてくる。自己紹介しようと紅葉は前に出ようとしたが、それより先に夜空が答えた。


「この人は紅葉さん。さっき出会った生存者でね、どうやらまだ生存者グループがこの学校にいたらしいんだ」


「そうなんだ。よろしくね、紅葉さん! あ、私は翡翠。橋田はしだ翡翠ひすいって言うの」


「よろしく。秋川紅葉だ」


 翡翠が話し掛けてきた事をきっかけに、他の女性達もぞろぞろと集まってきた。次々に自己紹介してきて、紅葉はその名前をしっかり記憶に刻み込んでいく。

 それと共に、体育館に入った時から覚えていた違和感が強くなってきた。


「しかし、随分と女性だらけだな」


「そうだね。どうも出会ったのが女の人ばかりで……男の方は闘争心が強くて、ゾンビ相手に無茶をしてしまうのかも知れない」


「ふむ。可能性としてはあり得るか」


 実際、紅葉が最初に出会った生存者・海未も女性だ。男の生存者は……喰われるところを見たサラリーマンぐらいだろうか。

 確かに女性よりも、男の方が闘争心は強いだろう。危機が迫った時、逃げるより戦う事を好む傾向はありそうだ。時代錯誤の考えだと紅葉的には思うが、女子供は守らなければならないという考えの者もいるだろう。

 これで相手が映画に出てくるような、頭を破壊すれば倒せるゾンビならまだ良かったが……紅葉達が相手しているゾンビは頭部破壊でもどうにもならない存在。倒したと思ったら平然と動く相手に捕まり、噛まれて仲間入り。実に想像の容易い光景である。

 しかしそれを差し引いても、少々男女比が極端なような気もするが。他の理由があるかも知れない。


「(例えば体臭の濃さ、だろうか)」


 一般的に男性の方が皮脂の多さから体臭が強いとされている。また女性ホルモンには汗を抑える作用があるとされ、これもまた体臭を減らす要因となるだろう。

 ゾンビはより強い臭いに引き付けられる。ならば女性よりも男性の方が襲われやすいというのは十分あり得る事だ。狙われやすくなれば、当然生存率は低くなる。

 闘争心と体臭。二つの原因が合わさり、生存者の極端な男女比が生じたのか。だとしても少々差があり過ぎるような気もするが……

 興味深いテーマを見付け、紅葉は考え込もうとする。が、すぐにその集中は途切れた。


「ねぇねぇ、夜空くん。今日の探索は終わったのかしら?」


 女性の一人が夜空の身体に、抱き着くようにくっついたのだ。

 くっついたのは二十代ぐらいの女性。あまりにも堂々とひっつくので、紅葉は驚きから一瞬思考が停止してしまった。

 更に驚きは続く。

 成人女性がひっつくや、他の女子達も続々と彼にくっつき始めたのだ。誰一人恥ずかしがる様子もなく、あたかもそうするのが当然といった様子。驚く紅葉の事など気にもしていない。

 例えるなら、昨今のアニメに出てくるハーレム主人公のようだ。


「……随分と、全員君に懐いているな」


「はは……まぁね。何かした覚えはないんだけど」


「だって夜空くん、みんなのために食べ物を集めてきてくれるんだよ?」


「ええ。彼がいなかったら、私達は今頃みんな飢え死にしていたわね」


「私達がゾンビに襲われた時も助けてくれましたし、命の恩人なんです!」


 次々と上がる彼を称賛する言葉。彼女達は余程好意を抱いているようだ。


「(まぁ、この状況下を考慮すれば、仕方ないかも知れないか)」


 食べ物を運んできてくれる。恐らく、それは原始の時代で男女間に交わされた最も強い『親愛』の表現だろう。

 生物学的に考えても、食べ物をたくさん持ってくる異性に惹かれるのは合理的だ。そういう男性と共に行動すれば、その分生存率が上がる。恋はそんな打算的なものじゃないよ! と海未あたりが言いそうだが……恋愛だのなんだのは所詮繁殖相手探しの本能を、人間があれこれ装飾したものに過ぎない。今でこそ異性に求めるものは経済力や優しさであるが、社会が崩壊した今となっては食料というシンプルなものが一番効くのだろう。

 そして極限状態ならシンプルな理由一つで相手を好きになるのも、仕方ない事なのかも知れない。自分(及び海未の協力)の力で食べ物を得ている紅葉は、少なくとも夜空にそこまで魅力を感じないのもその説を裏付ける。

 いずれにせよこれは彼女達の問題であり、紅葉が首を突っ込む話ではない。むしろ下手に突っ込むと、色んな意味で痛い目に遭いそうである。女性達が紅葉に向けてくる視線が、ちょっぴり刺々しいのもあって。


「……ところで一つ尋ねたいのだが、私達以外の生存者を知っているか?」


 話を逸らすように、紅葉は次の問いを夜空に投げ掛ける。

 とはいえこれは単なる誤魔化しではない。夜空達は他の生存者を知っている、と読んでの質問だ。

 何しろ夜空は女性達に紅葉を紹介する際、「まだ生存者グループがいたらしい」という表現をした。普通、初めて遭遇した生存者グループなら「俺達以外の生存者グループがいたらしい」等の表現になるだろう。先の言い方は、最低一つでも自分達以外のグループを知らねば言わない筈である。

 無論人間というのはコンピューター的にきっちり生きているものではなく、言い間違いをするものだ。単純に夜空の国語能力がアレなだけかも知れない。しかしそうでないなら、無意識だからこそ意味がある。


「ああ、一応知ってるよ……彼と会いたいのかい?」


 予感は的中した。それに、もう一つの情報も得る。

 彼。

 つまり生存者は男らしい。


「会うかどうかはまだ決めていないが、問題があるのか?」


「問題というか……少し暗くてね。協調性が欠けている感じがあるんだ。以前一緒に暮らさないかと声を掛けたけど、断られてしまってね」


 紅葉が尋ねると、夜空は躊躇いながらもそう答える。

 あまり好印象は感じられない人物のようだが、あくまでも夜空の意見だ。実際にそうであるかは出会ってみなければ断言は出来ない。しかし『心構え』にはなる。


「声を掛けた、という事は住んでいる場所も分かっているのか?」


「……まあね。第二校舎の二階奥に実験室があるだろう? あそこに一人でいるよ、俺が会ったのはかれこれ一週間以上前だけど」


 夜空はさらりとそう答える。

 紅葉達が寝泊まりしている図書室は第一校舎にある教室。体育館も第一校舎と渡り廊下で繋がっている。第二校舎は、図書室側から見た位置関係では体育館と反対方向だ。

 どうやら生存者は綺麗に三つに別れて生活していたらしい。これは確かに出歩いても中々遭遇しないなと、紅葉は納得する。

 同時に、疑問も抱いたが。


「第二校舎まで移動したのか。外ほど多くはないが、校内にもゾンビがいるのに」


「多少は危険を侵さないと得られるものもないだろう? それは紅葉にも言える事だと思うけど」


「……確かにな」


 口で同意しながら、紅葉は夜空から目を逸らす。

 新たな生存者の情報も得られた。あまり長居しても仕方ない。


「良し。とりあえず、その生存者の下に向かってみるとしよう」


「そうかい? まぁ、止めはしないけど……気を付けてくれ。第二校舎はゾンビも多かったと思うからね」


「そうだな。油断はしないでおこう」


 夜空の忠告をしかと聞き入れ、紅葉はこの場を後にする。手を振って別れを伝えると、夜空達も手を振り返す。

 体育館の外へと出て、扉を閉めた後、紅葉は再び慎重に歩む。外と面した渡り廊下は何処でゾンビが入ってくるか分からない。手に持った除草剤を掛けても、通じるのは二時間以上後。即効性がない以上、捕まらないのが現状唯一のゾンビ対策だ。

 室内に戻り、廊下を渡り、紅葉は再び菜之花と出会った教室の前を通る。


「……ふむ。成程な」


 そこでぽつりと独りごちてから、紅葉は倒れているゾンビを横切る。

 頭ではなく、足の方をと意識しながら……

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