三度あれば四度もある
どんなに万全を期しても、トラブルは起きるもの。
これを自覚しておくのとしないのとでは、後の対処に大きく影響する。勿論、自覚している方が遥かにマシだ。慌てる事が少なくなるし、問題に備えて色々準備している事が多い。
紅葉もまた自覚しているタイプであり、また極めて念入りに用意しておく性格でもある。しっかりと睡眠を取り、朝食もよく噛んで食べ、手にした除草剤は容量いっぱいの新品を持った。
普段から準備は念入りにしているが、今回は特に念入りだ。何しろ本格的に生存者を探そうというのだから。そしてその生存者が危険人物という可能性まである。出来れば頭にヘルメットでも被りたいところだ。
そういう意味では不足はあるが、やれる限りの準備はしている。図書室の外に出て何かしらのトラブルに見舞われても、紅葉は対処出来るつもりだった。
そう、図書室の外であれば。
――――本日最初のトラブルは、朝日が照らす図書室の中で起きた。
「えーっと……菜之花ちゃん? 出来れば離れてほしいなーっと……」
困ったような声を出しているのは海未。
そんな海未の身体に、菜之花がぎゅっと抱き着いていた。いや、拘束しているという方が近いかも知れない。両手に渾身の力を込め、絶対離さないと言わんばかりだ。
お願いしても菜之花はぴくりとも動かない。海未は紅葉の方を振り向き、助けを求めるような視線を送る……生憎、紅葉にもどうにも出来ないが。まさか除草剤を顔面に吹き付ける訳にもいかないので。
「(元気さを取り戻した事で逆に不安を感じる余裕が出てきたのか、それとも昨日話した事が記憶に残っているのか)」
事の発端は、海未が菜之花に留守番を頼んだ事。紅葉と海未で生存者探しをするため菜之花には図書室に残ってもらおうとしたところ、今のように抱き着き、動きを阻んできたのだ。あれこれ説得してみたが菜之花は聞いてくれず、今に至る。
この行動の理由を知ろうにも、菜之花は喋る事が出来ない。筆談も試みたがペンを持つ手が震えてしまい、文字にならなかった。
恐らく、それだけ怖がっているのだろう。
……その気持ちを事前に分かっていれば、留守番してほしいと海未が頼む事もなかっただろうに。
「どーする? 今日の探索は中止する?」
海未が言うように、それもまた一つの手である。菜之花に無理やり留守番をさせるのも可哀想であるし、ましてやゾンビがいる図書室の外に連れ出すなんて出来ない。
しかし紅葉は首を横に振った。
「いや、今日のうちに確かめたい事がある。明日でも良いかも知れないが、早い方が恐らく良い」
「……どゆ事?」
「ここで理由は言えない」
視線で「菜之花がいるから」と言外に臭わせれば、海未は察したように口を閉ざす。
犯人は現場に戻る。
刑事ドラマでよく聞く台詞だが、現実の犯人も同じ行動を取るという。犯人の関心事は、勿論犯罪の種類によっても異なるが……基本的には捕まりたくない、証拠を残したくないという部分だ。犯行直後は興奮状態や急いで逃げたいという心理が働いて離れるものの、後になって様々な事が気になる。
そこで現場に戻る。自分が証拠を残していないか、警察が捜査をしていないか、確かめるために。
勿論合理的に考えれば確かめるべきではない。確かめたところで警察が調べている現場に足を踏み入れる事は出来ないし、現場に来た人間は警察にマークされる。中には死体の隠し場所を確認しに行った事がきっかけで逮捕された犯人もいるほど。
だが、人間は安心を得たがる生物だ。安全と安心は異なるとも言うように、安心そのものにはなんの『価値』もないというのに。
「(もしも菜之花を傷付けた相手なら、見に来る可能性がある)」
或いは菜之花のトラウマが人ではなくゾンビによるものだとしても、逸れた仲間を探して心当たりのある場所に誰かが訪れるかも知れない。
いずれにせよ菜之花と出会った一階教室に行けば、生存者と出会う可能性が高い。しかしその確率は日に日に下がる筈だ。犯人にしても仲間にしても、一度見れば用は済むのだから。
行くならば今日が一番良い。
……しかしそれで菜之花を説得しようとすれば、彼女は確実にパニックに陥るだろう。いたずらに怖がらせるのは紅葉としては不本意であるし、仮に納得させても菜之花に留守番をさせるのは今や忍びない。
ならばプランBだ。
「仕方ない。私が一人で行こう。君は菜之花の傍にいてやってくれ」
「えっ!? それは危険じゃ……」
「危険だが、背に腹は代えられない。得られるものの大きさを考えれば、この程度のリスクは妥当なところだろう」
紅葉は軽い口調で語り、心配させまいとする。
海未は最初不安げな眼差しを向けていたが、やがてため息を吐くと、吹っ切れたような明るい顔を見せた。
「そこまで言うなら仕方ないけど、気を付けてね。私がいないんだから、ゾンビが出たら逃げるんだよ?」
「そこまで心配せずとも、私には気配が分かるという『悪癖』があるんだがね。それに、君がいない方が何かと都合が良いかも知れん」
「どーいう意味よそれ」
「いや、だって君なんか余計な事言いそうなタイプだろ? カマをかけるにしても横から正解を言う感じの」
「だからどういう意味よそれ!」
怒る海未であるが、紅葉は不敵な笑みを返すだけ。ぷんぷんという音が聞こえそうなぐらい海未の頬が膨らんだ時は、思わず吹き出してしまったが。
そう、そこまで深刻に考える必要はない。生存者に会える云々は所詮確率の話であるのだから、会わない可能性も十分にあるのだ。
「じゃ、行ってくる。一応体育館まで見に行くつもりだが、時間が掛かりそうなら途中で帰ってくる。一時間か二時間ぐらいで戻るよ」
帰宅予定を告げてから、紅葉もまた軽めの気持ちで外へと出るのだった。
「(まぁ、そういう時に限って重大な出来事がある訳だが)」
廊下の曲がり角に身を隠しながら、紅葉は己の『悪運』についてぼやく。
誰かがいる。
何処に? 無論、昨日菜之花と出会った一階の教室前に、だ。
誰がいるのか、ハッキリ見てはいない。気配を察する『悪癖』のお陰で、角から身を乗り出す前に立ち止まったからだ。透視能力でも持っていない限り、相手も紅葉の姿は見ていないだろう。
恐る恐る、紅葉は廊下の角から顔を出す。
そこにいたのは一人の青年だった。
着ている制服から判断するに、紅葉が通っているこの学校の生徒のようだ。とはいえその顔に見覚えはない。ネクタイの色から考えるに、恐らく三年生だろう。
顔立ちは爽やかな、所謂好青年だ。遠目から身長を測るのは難しいが、平均的な男子よりやや低めか。制服を着ている身体も痩せ気味であり、筋肉質とは程遠い。
ごく普通の男子生徒――――それが菜之花の次に出会えた、新たな生存者だった。
「(いやはや、こうもあっさり見付かるとは。ついているのか、それともいないのか)」
予想していた結果の一つ。しかしそれがこうもあっさり実現するとは思わず、逆に紅葉は困惑してしまう。
さて。彼こそが菜之花に酷い事をした犯人なのか?
それは分からない。現時点で確かなのは、彼が生存者の一人である事だけだ。そして彼の人格云々を知るには、遠くから見ているだけでは分からない。
接触はリスクがある。されどリスクを拒めばリターンは得られない。
海未には無理をするなと言われたが、ここは多少の無茶をすべきタイミングだと紅葉は考える。
「……こんにちは」
道の角から僅かに身を出し、紅葉は声を掛けた。
青年は最初、ゆったりと顔を上げた。落ち着きある振る舞いなものの、顔には驚きの表情が浮かんでいる。
そして紅葉と目が合う。
しばしの間、青年と紅葉は互いを見つめ合う。学生生活中ならロマンスでも始まったかも知れないが、生憎今は緊急事態中。紅葉は警戒を弛めず、注意深く観察する。
「……こんにちは。すごい、まだ生存者がいたなんて思わなかったよ」
対して青年は、敵意のない言葉を掛けてきた。爽やかな笑顔も浮かべている。
フレンドリーな対応に、紅葉は一瞬息を飲んだ。果たしてそれが演技なのか、或いは素なのか。出会ったばかりで彼の事を何も知らない紅葉には分からない。
ただ、友好を示す相手に何時までも警戒心を向けるのも、相手にいらぬ不信感を植え付ける要因になるだろう。廊下の影から完全に身体を出し、歩み寄る。
そして彼からほんの少しだけ離れた、腕を伸ばしてきても簡単には捕まらない位置で、紅葉は一旦立ち止まった。
「……まずは自己紹介でも。私は秋川紅葉。よろしく」
まずは様子見。自分の名前を伝え、青年の反応を見る。
「俺は
彼の見せた行動はなんの躊躇いもなく名前を告げ、親しげに手を出す事。
今のところ彼に嫌悪を覚えていない紅葉は、表向きはその手をしっかりと掴んだ。
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