本日の予定
「そろそろ校内の安全を確保したいと思う」
ある朝。紅葉は堂々たる口調で、海未にそう伝えた。
海未は朝食であるスナック菓子を食べながら、じっと紅葉の顔を見つめる。ごくんと飲み込んでから、首を傾げ、問い返してきた。
「安全確保って、除草剤を使ってゾンビ退治するって事?」
「要点を掻い摘めば、そうなる。朝から始めたいところだ」
「えー。嫌だよそんなの。危ないじゃん」
紅葉の真意を確かめると、海未は顔を顰めながら拒否する。強めの否定であるが、気持ちは紅葉にも分かる。
この三日間、紅葉はゾンビに対し繰り返し実験を行ってきた。実験数は十九にもなり、その全ての結果を記録している。
何度も実験をした事で、様々な情報が得られた。例えば除草剤を浴びたゾンビ達が『死ぬ』までに、二〜六時間ほどの時間が掛かる事。また、『特定条件』を除き、時間差はあっても最終的には全ての個体が死んだ事。除草剤の成分がなんであれ、効果に明白な違いはなかった事……
得られた知識は膨大。しかしこの知識から分かるのは、除草剤はゾンビ相手に効果的であるが、身を守るのには向いていないという事だ。直ちに活動停止に追い込めるものでない以上、未だゾンビへの接近はリスクが大きい。
それは分かっている。だがメリットがリスクを上回るなら、やる価値はあるだろうというのが紅葉の考えだ。
「確かに危ないが、現状自衛隊の救助が何時になるかは分からない。校内の安全を確保しておけば、夜間の食糧調達をもっと安全に行える。長期間の生存が可能になるだろう」
「そうだけど、でもゾンビなんて外にもいっぱいいるじゃん。校内の奴等をどれだけ駆除しても、減った分だけ入ってきたら意味ないと思うんだけど」
「いや、その心配はない」
ゾンビ観察で得られた知見は、除草剤の効き目だけではない。ゾンビの生態についても、少なからず新たな情報を得る事が出来た。
ゾンビの活発さもその一つ。ゾンビ達は日中でも、積極的に動き回る事はしない。一日中同じ場所に立ち尽くし、そのまま一日を終える。活発に『餌』を求めないという事は、それで生きていくのに問題はないという事。光合成が出来れば、何時までも活動し続けられるのだろう。
恐らくゾンビの原種も似たような生き方をしていたのだと紅葉は考える。感染した死骸の中で光合成をしながら生き延び、近付いてきた新たな生物に感染する……待ち伏せ型の狩りだと思えば、自然界で珍しい生き方ではない。獲物を求めて探し回る事はエネルギー消費も大きいので、必ずしも『高等』ではないのだ。
話をゾンビに戻すと、例え校内からゾンビが減っても、その隙間を埋めるようにゾンビが入ってくる事はない。奴等は延々と立ち尽くすだけだ。あくまでも、紅葉の推測ではあるが。
「という訳だから、よく使うルートとその近くにいるゾンビだけでも排除しようと思う。頻繁に使う道ならリスク低減の恩恵を多く受けられるからな」
「うーん。でもそれ、夜にやれば良くない? 朝にやる必要ないでしょ」
「いいや、朝にやらないと駄目だ。夜だと効果がない」
実験は昼間だけに行った訳ではない。夜間、倒れているゾンビにも実施した。
結果を述べると、夜間に除草剤を掛けてもゾンビは死ななかった。
何故かは分からない。だが五体のゾンビに試して全て効果がなく、朝の活動中に掛けたら普通に効いた事から推測するに……夜のゾンビ達は、何かしらの『膜』を纏っているのかも知れない。動けない間は膜で身体を保護し、乾燥や外敵から身を守るというのは、合理的な生存戦略と言えよう。
その膜が除草剤の浸透を阻害している。一晩経てば掛けた除草剤の液は乾いてしまい、膜がなくなった朝になるともう浸透していかない。故に効かない――――というのが紅葉の推測である。
なんにせよ実験結果から言える確かな事は、除草剤が効くのは朝から夕方まで、ゾンビが活動している間のみという点だけだ。
「(まぁ、直接体内に打ち込めば話は別だろうけど、それをする訳にはいかない)」
夜間に倒れているゾンビ相手なら、ハサミなりなんなりを使って身体に穴を空け、除草剤を流し込む事は容易だろう。
しかしゾンビとはいえ、未だ紅葉は『人間』の身体を傷付ける行為には抵抗がある。注射器があればそこまで抵抗も強くないが、ハサミぐらい大きなもので肉を切り裂くのは話が別だ。海未も恐らく同じ。一回やってしまえば二回目は楽になりそうだが、その一回のハードルが高い。
何より、一度でも人間の身体を刺した輩は、その後の実生活で人を刺すという選択肢が出てこないものなのだろうか?
……生きるか死ぬかの瀬戸際で、未来の心配をするとは随分余裕があるなと紅葉も思う。何よりゾンビと人間は違う、あれはただの死体だと、頭では理解している。しかしそれでも、一線を越えてはならないと彼女は考えていた。生き延びて、普通の生活に戻るつもりならば尚更に。
『元の生活』を取り戻すための最低条件である以上、ここを譲る訳にはいかない。
海未も、自覚はなくても心の奥底では元の生活に戻りたいのだろうか。紅葉の説明を聞いて、代案として夜間の薬液注入を提案してくる事もなく、うんうんと唸るばかり。
「……分かった。多分、その方が良いと思うし、やる」
悩んだ末に、海未は紅葉の意見を受け入れてくれた。
「ありがとう。じゃあ早速今日からやっていくとしよう!」
「はいはい。ご飯を食べてからねー……なんか、随分と前のめりね。何時もと立場が逆な感じ」
海未はぽつりと、自身の感じた事を口に出す。
確かに、そうだと紅葉自身も思う。冷静に、沸き立つ感情を堪えて安全第一で行動する。それが普段の紅葉が選ぶ行動だ。
とはいえ紅葉もまだ高校生の身分であり、機械のように正確かつ無感情な人間ではない。
蔓延るゾンビを『退治』する。日常に戻るための第一歩を踏み出せるとなれば、ちょっとばかり積極性を持ってしまうのも致し方ないだろう。勿論十分にリスクが低く、リターンが大きいと読んだ上での行動ではあるが。
「(学校の安全を確保出来れば、避難所としての機能も回復する。そうなれば、妹もこっちに呼べるかも知れない)」
未来の事を思い描いてみたところ、真っ先に妹と一緒にいる姿が浮かぶ。
果たして自分はこんなにも
多分寂しさの所為だなと、自分のメンタルを客観的に判断した紅葉は小さく微笑む。加えて、こんなコンビニ用品でゾンビを倒せるというのは希望でもある。
一介の女子高生である自分にも見付けられたゾンビの倒し方。スマホなど通信機器が使えないため、情勢は分からないが……自衛隊や日本の科学者ならば今頃発見している筈だ。効果的かつ安全な方法を模索或いは改良しながら、ゾンビを倒そうとしている事だろう。
救助が来たからといって、被害が綺麗サッパリなくなる事はない。だが少しずつ日常に戻ってはいける。
その日が近いと分かれば、居ても立っても居られなくなるのも仕方あるまい。
「ま、私も時には情熱的になるという事だ。それに、生存者の探索もしたかったからね」
「あー、そういやそんな話もあったねぇ。何処を探す?」
「体育館が良いだろう。誰か避難しているならそこにいる可能性が高そうだし、備蓄倉庫までの道のりを安全に出来れば毎日レトルトカレーが食べられるぞ」
「毎日は流石に飽きるなぁ」
今日の予定を立てながら、紅葉も朝食の菓子類を食べていく。
少し活発に、だけど今日も何時もと変わらずに。きっとそうなるだろうと紅葉は思い、そうなるよう心掛けていた。
しかし何事も、思うように進むとは限らない。良くも、悪くも。
この日の出会いが大きな『転換』であるとは、紅葉には知る由もなかった……
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