観察結果

 ――――観察開始から十分。

 除草剤を頭から被ったゾンビは、未だこれといった動きを見せていなかった。

 ゆらゆらと身体が前後に動いているが、それは浴びる前から変わらない。付け加えると他のゾンビも同じだ。ぼんやりと立ったまま昼間の太陽を燦々と浴びる姿は、ちょっと牧歌的に見えてくる。

 ――――観察開始から一時間。

 やはりゾンビに動きはない。除草剤の方も太陽光ですっかり乾いてしまったようで、見る限り湿り気はすっかり失せていた。

 一つ変化があるとすれば、除草剤を浴びた個体の周りからゾンビがすっかり失せた事だろう。大体十メートルぐらいの範囲内から、観察対象以外のゾンビが消えた。

 ゾンビは嗅覚で獲物を探していると思われる。除草剤の臭いを嫌えば、離れていくのも頷けるというものだ。ならば服に除草剤を染み込ませればゾンビ避けになるのでは……と思ったのも束の間、ゆらゆら観察対象に歩み寄るゾンビが一体。そして二メートルほど離れた位置で立ち止まる。

 どうやら周りからゾンビがいなくなったのは、ただの偶然だったらしい。ガッカリする反面、自分の期待が如何に『現実』を捻じ曲げて認識しているかよく分かる。科学の世界で思い込みや期待ほど邪魔なものはない。正確に、事実だけを認識するようにしなければ、真実には辿り着けない。

 ――――観察開始から三時間。

 今回の観察は、あくまでも除草剤に対する反応がメインである。しかしながら長時間に渡るゾンビの観察自体が今回始めての試み。他にも初めて分かる事があるのは不思議な事ではない。

 例えば、ゾンビ同士のコミュニケーション。

 知性のないゾンビはコミュニケーションなんて取らないと、紅葉は特に証拠もないが思い込んでいた。だが、どうやらそうではないらしい。棒立ちしているゾンビ同士は、仲間とは常に一定以上の距離を取っていた。目測ではあるが、待機状態の時は二メートル以上の間隔を開けている。ゾンビの原因がなんらかの植物だと仮定すれば、恐らく光を効率的に浴びるための生態なのだろう。

 相手との距離を取れるという事は、何かしらの信号を受け取っているという事。それが臭いなのか光なのかは分からないが……上手く使えば、ゾンビの誘導や隔離に利用出来るかも知れない。

 ――――そして五時間後。


「おーい、もみっちゃーん。そろそろ夕飯の時間だよー」


 大きな変化のないゾンビを眺めていたら、それだけの時間が経ってしまった。


「……む? むむむ?」


「むーむー言ってももう暗くなってるよ。真っ暗になる前に夕飯食べないと」


 何時の間にやら流れていた時間に首を傾げるも、それで時は撒き戻ったりしない。太陽は今や地平線付近。海未が言うように、もうすぐ真っ暗闇になるだろう。電気が来なくなった今、暗いからというだけでスマホの電源を点ける訳にはいかない。

 まだゾンビの動きに変化がない以上、出来れば観察を続けたいが……暗くなれば食事だけでなく、観察すら出来なくなる。合理的に考えて、観察は一旦中止にするべきだろう。


「……そうだな。また明日、ゾンビの様子を見るとしよう」


「つーか、ずっと見てたけど変化がないって事は、効いてないんじゃない?」


「そうかも知れないが、一例だけではなんとも言えない。効くか効かないか程度の確認だから、何百もする事はないだろうが……二十、いや、三十体はやりたいな」


「うへぇ。地道だねー」


「地道なものだよ、科学というのは」


 他愛ない会話を交わしながら、紅葉は手にした菓子パンを食べる。

 必要なサンプルをどうやれば集められるか、安全と成果を天秤に掛けた考えを巡らせながら……

 ……………

 ………

 …

「ん、んん……」


 瞼をくすぐる眩しさを受けて、紅葉は目を覚ます。図書室の床を手で触りながら、ゆっくりと身体を起こした。

 今日も無事、朝を迎えられた。

 起きて最初に感じるのは、生きている実感。寝ている間にゾンビが扉を破り、起きる間もなく噛み殺された、なんて事も今ではあり得る話だ。目が覚めるというだけで、とてもありがたい。

 尤も、まだ、というだけで、目を開けたら周りはゾンビだらけという最悪の可能性もなくはない。だから紅葉はほんの少し、目を開けるのに力を入れる必要があり――――何時も今日のように、朝日の明るさに照らされた図書室だけが見えるのだ。

 続いて、自分の傍に海未がいる事を見る。

 海未はまだ寝ていて、すやすやと寝息を立てていた。指を口に咥えるように構えている寝姿は、心細さの現れかも知れない。

 海未が突然いなくなる、という事は恐らくない……と紅葉は思っている。しかし紅葉と海未は他人であり、何を考えているかなんて分かりようがない。人間が嘘を吐ける動物である以上、その口がどんな事を言おうと信用に値しない。突然やっぱり家に帰りたくなったなんてトチ狂う可能性は、誰にも否定出来ないのである。

 昨夜も海未は冷静でいてくれた。その事に無言で感謝をしてから、紅葉は立ち上がる。


「――――さてと」


 何時も通りのルーティーンを済ませた紅葉だったが、今日は何時もと違う行動を起こす。窓の方に向けて歩き出し、閉めていた窓を開け、身を乗り出したのだ。

 目的は、除草剤実験を行うためのゾンビを探すため。

 前日海未に話したように、一体だけでは除草剤が効かないとは言い切れない。使った除草剤が偶々不良品だったかも知れないし、浴びせたゾンビが偶々除草剤に強かったかも知れない。浴び方が良くなかったとか、表皮が新鮮で染み込まなかったとか、様々な理由が考えられる。

 兎にも角にも試して試して試しまくる。それが科学において大事なのだ。


「丁度良いサンプルはいねがーっと」


 見下ろしながら紅葉はゾンビを物色する。

 しかし、中々良いゾンビが見当たらない。

 ゾンビ自体はたくさんいる。眩い朝日を存分に浴びてエネルギーを得たのか、どの個体もゆっくりと歩いていた。だがどれも校舎にあまり近付かず、遠くをうろついているだけ。

 紅葉の目的は除草剤をゾンビに浴びせる事。ゾンビが何処にいるかは重要でない。そして紅葉がいる図書室は校舎の三階にあるので、除草剤を全力で投げればかなり遠くまで飛ぶだろう。しかしそこから当てるのは、かなり困難だ。自由落下ですら風の影響で当てられるか怪しいのだから、離れれば離れるほど命中率が下がるのは言うまでもない。

 腐った頭で何かを考えているとは思えないので、偶々近付いてこないだけだろうか。しかしだとしても、全員が校舎から五メートル以上離れているのは妙である。

 よくよく見れば一体だけ校舎の傍にいたが、日が昇っているのに倒れたままのそいつは単にエネルギー不足で動けないだけ――――


「ん? ……………んんん?」


 そう考えそうになったところで、紅葉は窓から更に身を乗り出す。自分の足が浮いた事すら、お構いなしに。

 ゾンビが倒れている。

 そんなのは珍しくもなんともない。だが、重要なのは日差しを浴びても動かない事。燦々と降り注ぐ朝日をどれだけ受けても、そいつは腕一本動かしていない。

 更によく観察する。

 倒れているゾンビは、スーツを着ていた。

 見た目は中肉中背の成人男性。うつ伏せに倒れているため、顔立ちなどは判断出来ないが……その出で立ちは見覚えがあるもの。いいや、どうして忘れる事が出来るというのか。

 紅葉が昨日除草剤を掛けた、実験対象その一だというのに。


「――――お、おおおおおっ!? こ、これ、うわわっ!?」


「あっぶな!?」


 事実に気付いた紅葉は、しかしはしゃぎ過ぎて体勢を崩す。危うく三階から落ちるところだったが、その身体は後ろから掴まれた事で難を逃れた。

 言うまでもなく、紅葉を掴んだのは今まで寝ていた海未だ。


「た、助かった……」


「もー……私が起きなかったら普通に死んでたとこだよ?」


「ああ、全く以てその通りだ。反省している」


 弁明の言葉を伝えた紅葉は、大人しく海未に引っ張られて図書室へと帰還。一息吐いて紅葉は命の大事さを噛み締める


「――――じゃない! 大変だ大変だ! 大変だよ海未!」


 よりも先に、大興奮したまま海未と向き合う。

 「コイツなんにも反省してない」……そんな言葉が聞こえてくる冷めた眼差しを向けられたが、しかし紅葉にとっては瑣末事だ。もっと重大で、優先すべき事柄がある。

 実験の『成功』という、これからの自分達に大きく関わる話だ。


「先程外を見たら、昨日除草剤を掛けたゾンビが倒れていたんだ! 分かるかい? つまり……除草剤が効いた可能性がある!」


「ふぅん、除草剤がねー……………え、除草剤効いたの!?」


「まだ仮定の段階だがね!」


 あくまでも可能性。そう強調しなければならない。何故なら除草剤を使ったゾンビはまだ一体だけで、本当に除草剤の効果で倒れたかは分からないからだ。例えば、単なる『寿命』だという可能性もゼロではない。

 しかし光不足以外で動かなくなったゾンビなど見た事もない中、どうして実験対象に選んだゾンビが偶々寿命を迎えるなんてガッカリな奇跡が起きるというのか。合理的に考えれば考えるほど、除草剤が効果を発揮したと考えるのが自然だ。

 喜びの感情が表に出てきてしまうのを、我慢なんて出来る訳がない。


「な。なら、除草剤片手に持てば、安全に探索出来るって事!? おどおどしないでうちに帰れる!?」


 尤も、紅葉の喜びの念は、海未の一言で萎んでしまった。

 海未の言葉が悪かったのではない。海未の気持ちを、家に帰りたいという普通の願いを、察しないまま話した自分が悪い。そう考える紅葉は、無意識に唇を噛み締めてしまう。

 その唇を開くまでの間に、海未の明るい表情は僅かに陰ってしまった。


「……出来ない、の?」


「……ああ。そこまでのものじゃない。時間が掛かり過ぎる」


 紅葉が実験を始めたのは、昨日の昼間。それから紅葉は持ち前の『悪癖』を活かし、五時間以上観察し続けていた。

 そしてその間、ゾンビはずっと立っていた。言い換えれば浴びてから五時間経過した時点では……あくまでゾンビとして、ではあるが……生きていたと思われる。

 つまり除草剤の効果が出たのは、どう短く見積もっても五時間後という事だ。


「これを実戦で用いた場合、五時間以上逃げ回った頃によーやくゾンビが動かなくなる訳だな」


「全然駄目じゃん!?」


「駄目だろうな」


 あまりにも駄目駄目な性能に、海未は仰天したような顔になる。

 ただ、それきり暗い顔にはならない。

 期待を裏切られるというのは、中々精神に大きな負担を掛けるもの。しかし度を越した駄目さ加減に、海未はそこまで精神的なダメージは受けなかったようだ。不幸中の幸いと言うべきだろう。

 これなら、実験の話を続けられそうだと紅葉は判断。ガッカリする海未に不敵な笑みを返す。


「とはいえ利用価値がない訳じゃない。五時間以上後という問題はあるが、『駆除』は出来るんだ。頭を破壊しても動く奴等を、少しずつでも減らしていけるのは悪くない」


「あ、そっか。ゲームとか映画のゾンビと違って頭がなくても普通に動くから、今まで倒す事すら出来なかったもんね」


「まぁ、そもそも私達の力じゃ頭すら潰せなかったがね。これで町のゾンビを一掃は無理だろうが、学校内の密度を下げるぐらいは出来るかも知れない」


 また、校舎の傍に倒れているゾンビに他のゾンビが近付いてこない辺り、除草剤にはゾンビ避け効果があるかも知れない。

 尤もこれについては、ただの憶測だ。別の理由……例えばゾンビの『死骸』そのものを避けている可能性もある。仲間の死骸というのは、言い換えれば自分達を殺せる何かがあるという分かりやすい印。死ぬとなんらかの死臭を漂わせ、仲間に危険を知らせる生物というのは少なからず存在していて、ゾンビもそうした生態を持っている事が考えられる。

 こればかりは地道に調べるまで、可能性を口にするのも憚られる。今はまだ、胸の中に留めておく事にした。

 そしてもう一つ、、黙っておく。


「(ぶっちゃけこれは、自衛隊みたいにちゃんとした研究施設がないと確かめようがないからな。ま、緊急時の奥の手として覚えておくか)」


 うんうんと頷きながら、話したくなる口をぎゅっと噤む。それでも表情に出てしまうのは抑えきれないが。

 次々と思い付く『希望』。とはいえ、いずれもまだ可能性だ。確実さを増すには、兎にも角にも検証数を増やさねばならない。

 つまり。


「さぁ、今日も実験だ! まだまだ可能性だからな! 良ければ君も手伝って」


「それはパス」


 意気揚々と尋ねてみたが、海未はバッサリとこれを拒否。

 ぷくりと頬を膨らませながら、紅葉はまた一人で図書室の窓から身を乗り出すのだった。

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