仮説と検証
「恐らく、あのゾンビ達は光合成をしている」
昼間の図書室にて、夜食の乾パンを食べながら紅葉はそう話を切り出した。
紅葉が食べている乾パンは、昨晩備蓄倉庫から持ってきた荷物に入っていたもの。保存食のお約束とでも言うべきこの食品は、栄養価として見れば優れたものとは言い難い。要するにパンの一種であるこれは、主要な栄養素は糖質ぐらいなものだからだ。
しかしながら乾パンは腹持ちが良い。それにビスケットなどの嗜好品感覚で食べられる。紅葉としては後者を目的(つまるところ菓子が食べたかった)としており、端から栄養云々は気にしていない。
ちなみに紅葉の前にいる海未は、レトルトカレーを食べている。米は水を入れれば出来るタイプのものを使用。レトルトとはいえちゃんとした食事をがっついていた海未は、それでも紅葉の言葉に疑問を抱いたようで、スプーンを握っている手を止めた。
「……光合成? 植物がしている?」
「ああ。その光合成だ」
「いや、どういう事? つか、ゾンビは植物じゃないでしょ……」
海未は顔を顰めながら、否定的な意見を述べる。
その反応は至極真っ当なものだろう。ゾンビが光合成をしていると言われて、「へぇー」なんて答える奴はただの思考停止だ。
しかし紅葉とて、ジョークや適当な推論として話したつもりはない。これまでの観察で得られた『データ』を元に述べている。
偽りがないからこそ、海未の意見に答える事も可能だ。
「そもそも、君の言う植物とはどんな存在だ? 葉や茎を持っていて、地面に根を張っている、花や木の事だけか?」
「だけって、他に何があるの?」
「いくらでもあるぞ。例えば珪藻とかだな」
珪藻とは水中でよく見られる植物の一種。極めて小さなもので、所謂植物プランクトンの一つだ。硬い珪酸の殻に包まれているという変わった特徴はあるものの、単純な単細胞生物だ。葉も茎も根もありはしない。
しかしその身体には葉緑体があり、水と二酸化炭素と光エネルギーを用いて炭水化物を作り出す。
植物というのは、大きな『身体』を持っている存在だけではないのだ。そもそも光合成をしているからといって、一般的な緑色植物とも限らない。シアノバクテリアや紅色植物も光合成生物の一種。紅葉が植物と表現したのは便宜上の問題で、正確に緑色植物の仲間であるかどうかはこの際些末な問題だ。
「細胞や血液を顕微鏡で見れば、何かしら確認出来るだろう。私達が見たところで何も分からないだろうが、自衛隊などは流石にそろそろ突き止めているんじゃないかな」
「ほへー……でも、それが分かると何か変わるの?」
「物凄く変わる。例えばこのゾンビを完全に殺す方法が分かるかも知れない」
仮に植物だとすれば、除草剤の類が効く可能性がある。自衛隊の研究や実験が進み、ゾンビを確実に無力化出来るようになれば、救助に来てくれるかも知れない。
そして紅葉達にもゾンビ退治が出来るかも知れない。
もしも除草剤を掛けただけでゾンビを殺せれば、探索の心強い味方となるだろう。もう重たい上に効果がない金属バットに頼らなくて良くなり、安全に探索が行える。例え袋小路に追い詰められても返り討ちだ。
勿論これは可能性の話。本当に効果があるかは分からない。効果があるにしても、掛けてから十秒後に効くのか、或いは一分後に効くのかで話は大きく異なる。
もしかすると現状を劇的に変える、切り札となるかも知れない。或いは全く無意味な考察で終わるかも知れない。どちらが正しいか確かめられるのなら、確かめた方が良い。
「そこで一つ、実験を行いたい」
「実験? ……え、食べ物探しなら兎も角、そんな理由でゾンビに近付くとか嫌なんだけど」
紅葉が提案したところ、海未は露骨に嫌がった。
気持ちは分かる。生きるため、生存者を探すために行う最小限の探索なら兎も角、成果が出るか分からない実験のために危険を犯す事はしたくないものだ。
紅葉としても危険な真似をするつもりはない。効くかどうか分からない薬でゾンビに立ち向かうほど、無謀でもなければ自分の考えを過信してもいないのだから。
そもそも実験するだけなら、近付く必要もない。
「別に至近距離であれこれ見ようとは思っていないさ。強いてやる事があるとすれば、コンビニで除草剤を入手しておきたいだけ。なければ諦めるし、手に入れたからってゾンビの前に立つつもりはない」
「あ、そうなんだ。でも、それなら何をするつもりなの?」
「大した事じゃない。ただ、振り掛ける位置は上からでも変わらないだろうってだけの話さ」
紅葉はそう言って、視線を海未から逸して別の方に向けた。
図書室の窓へと――――
……………
………
…
翌日、太陽が天頂で輝き出した頃。紅葉はご機嫌に笑っていた。
図書室の窓の傍に立つ彼女は今、片手に除草剤を持っている。昨晩のうちにコンビニから回収してきたものの一つだ。
回収してきた除草剤は、全部で三種類。何故複数種類持ってきたかといえば、効果が製品によって違う可能性があるから。一口に除草剤と言っても、その仕組みは様々。例えばある種の植物ホルモンを大量に投入する、光合成の働きを一部邪魔する……仕組みが違えば効く相手も違うものだ。もしも除草剤がゾンビに対して有効でも、成分によっては効きが悪いかも知れない。
不幸にも効かない成分の除草剤を実験に使った事で、「効果なし」と誤認して折角の切り札を見落としてしまう……なんて結果になっては勿体ない。とはいえ流石の紅葉も除草剤の種類に詳しい訳ではない。そのためコンビニにある除草剤を片っ端から持ってきた。三種類も置いてあって、むしろ幸運なぐらいだ。
準備は万端。実験を阻むものはない。
「よーし、やるぞ!」
その状況に、紅葉は目を輝かせていた。
「……なんか、めっちゃ元気だね」
対して海未は、妙に冷めていた。
テンション高めだった紅葉だが、海未の冷めた反応に気付いて唇を尖らせる。
「なんだね、その反応は。実験だぞ実験。しかもゾンビの。ワクワクするだろう?」
「いや、しないし。つーか私、理科の実験とかそんな好きじゃないもん」
「むぅ……」
同意を求めてみたが、海未の答えはあっさりとした否定。おまけに感情的な理由だ。これには紅葉も反論が思い浮かばず、唸る事しか出来ない。
実際、嫌いと言っている行為を無理にさせても仕方ない。そもそもこの実験は紅葉がしたいからするのであって、海未にも楽しんでほしい訳ではないのだ。予想外が一つあったところで、本来の目的を忘れるなど本末転倒というもの。
ため息一つ挟んで気持ちを切り替えて、紅葉は改めて実験に集中する。
「ま、そういう事なら私一人でやるさ。興味が出たら何時でも言ってくれ」
最後に、我ながら未練たっぷりだなと思う台詞を吐いてから、紅葉は図書室の窓から身を乗り出した。
窓のすぐ下には、ゾンビの姿がある。
ゾンビの数は一体。見た目から判断するに、三十代の成人男性だろうか。スーツ姿であり、仕事中か帰宅中に噛まれてしまったのだろう。体格は中肉中背であり、上から見る分には特筆するほど容姿は美醜どちらにも偏っていない。
獲物が上から覗き込んでいる事に、知能のないゾンビは特に気付いていない様子だ。意味なく歩く事もせず、ぼんやりと日向ぼっこをしている。植物だと思って見ると、どうして今まで気付かなかったのかと感じるほど植物的な振る舞いだ。これなら狙いやすいと紅葉は除草剤の蓋を開け、中の液体をゾンビ目掛けて落とす。紅葉は投擲が得意という事はないが、窓の下にいる、動かない相手に当てるぐらい簡単だ。
……実際には、液体を高いところから落とすと空気抵抗で散ってしまい、目標に正確に落とすのは意外と大変だが。紅葉が垂らした液体も半分は風で散ってしまう。
それでも半分ぐらいは、ゾンビの頭にびしゃりと掛かった。確実に当たったと分かればひとまずは十分である。
「良し。当たった当たった」
まずは実験の第一段階をクリア。次いで紅葉はスマホの時計を見て、現在時刻を確認。今が午前十二時二十八分である事を知る。
時間を確認したら手許にあるノート(こちらもコンビニで拝借したもの)に記録。身体を窓から乗り出し、除草剤を頭から浴びたゾンビを視界内に捉える。
後はただただそのゾンビを見つめるだけ。
除草剤を掛けてから、どの程度の時間で反応が起きるか(そもそも何かしらの反応があるのか)分からないのだ。もしかしたら目を離した数秒の間に、なんらかの反応を示すかも知れない。その反応が『死』の予兆か、克服の兆しか、はたまた別の何かか。そうした情報を見逃すのは大きな損失だ。
普通ならば動きのないゾンビを何十分も見るなど、苦行と言うしかないだろう。しかし注意深く観察してしまうのが悪癖である紅葉からすれば、これこそ得意技だ。『自制心』を手放せば何十分でも何時間でも見続ける事が出来る。
強いて問題を挙げるなら海未が退屈する事ぐらいだが、それについても問題はない。
此処は図書室なのだから。
「……あー、そういや『ラブキュン』の続き、まだ読んでないや。今のうちに読んでおこっと」
この後の展開を大凡察した海未は自分から暇潰しを探しに行く。
そんな事など知りもせぬまま、紅葉は眼下のゾンビに意識を集中させるのだった。
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