望まぬ遭遇
「……よし」
パーティーで盛り上がった翌々日の明朝。電気の消えた図書室で、紅葉は気合いを入れるように自らの頬をパチンっと一回叩く。
窓から外を見れば、星空が見えた。朝日も月も出ていない。そして何より目を引くのは、地上を埋め尽くす町が真っ暗闇に閉ざされている事。
そう、外灯が点いていないのだ。
一昨日ネットで確認した通り、インフラである電気が止まったらしい。図書室の電気が消えているのも、スイッチを弄っても点かなくなっていたため。丸一日持ったというべきか、一日しか持たなかったというべきか。
いずれにせよ電気が止まれば、水道局などのポンプも止まるだろう。そうなる事を予期して昨日のうちに自販機のジュースを買い込み、空のペットボトルに水を備蓄しておいた。とはいえこれで持つのは精々一週間程度。何より食料がもうない。ジュースの糖分だけでもしばし生きられるだろうが、固形物を食べないと精神的に辛い。
昨日話した通り、校内の探索が必要になった。
「……良し。バットも持ったし、身体もちゃんと動く。準備万端だよ」
海未はくるくると肩を回し、自分の調子が良い事をアピールする。
士気が高いのは良い事だ。紅葉はこくりと頷き、自分の手に持つスマホのアプリを起動。スマホのライト(カメラ機能でフラッシュを焚く部分)が煌々と輝き始めた。
インストールした懐中電灯アプリだ。これで暗闇の中を探索出来る。とはいえ光をガンガン放つという事は、それだけエネルギー消費も激しいという事。試した直後に停電、という事態を恐れて実験していなかったが、タイムリミットが分からないというのは思っていた以上に不安だと紅葉は感じる。余裕があるうちに試していれば、長持ちする方法や機能も試せただろうに。
等と愚痴をこぼしたところで、後の祭りというもの。ぶっつけ本番は恐ろしいが、それを言えば校内探索もぶっつけ本番だ。余裕がない以上、多少の無茶は容認しなければならない。
覚悟を決めた紅葉は、海未の方を振り返って語り掛ける。
「最後に、もう一度確認しよう。私がライトを持って最前列を歩き、君がゾンビ目掛けてバットを振り回す。君は常に私の横か背後に位置し、ゾンビを殴る時以外は前に出ない。分かったな?」
「大丈夫。あと後ろの警戒も、もみっちゃんの役割だね……大丈夫? 前も後ろも警戒なんて。やっぱり私もライトを使って、後ろを見張った方が良いんじゃ」
「私の悪癖については話しただろう? 気配には敏感なんだ。背後を取られていたらなんとなく分かる。大体バットを片手で振り回すつもりかね? それと私のスマホが電池切れを起こしたら、君のスマホが頼りだ。念のため携帯用充電器は満タンにしたが、消費が激しければ使い切るかも知れない。二つ同時に使って、二つ同時に電池切れ……それが最悪だろう?」
紅葉に説得され、海未はこくりと頷く。直近の危険を避けるため、後々もっと危険な事になる行為は慎むべきだと分かってくれたのだ。
勿論、そもそも夜中に外を出歩くというのが危険なのは言うまでもない。確かにこれまでの観察から、ゾンビ達が暗闇の中では殆ど動かなくなる事が判明している。照明のような弱い光でも浴びていれば活動を続けている事からも、光の有無が活動の強さを変えるのは間違いない。校内を探索するなら、真夜中である今このタイミングが一番良い筈である。それでも、万が一はあり得る。
失敗率が一パーセントだとしても、その失敗の代償は死だ。万全を期し、最悪を避けなければならない。
「話を戻そう。私達の今回の目的は、学校内にあるだろう非常食の探索だ。生存者の有無は二の次。物音が聞こえても深追いはしない」
「うん、分かってる。自分の命を最優先に、だね」
「そうだ。まぁ、軍人でもないんだから、何がなんでも徹底しろとは言わないが……走り出す前に、ちょっぴり私の命について考えてもらうと助かるね」
「ぐふっ。しっかり釘刺してくるなぁ」
「そりゃあ、私もまだ死にたくないからな」
悪態を吐きつつも、互いに笑みを浮かべる二人。どちらも気持ちの整理は付いた。
紅葉は図書室の戸を開け、夜の校内に足を踏み出す。
海未も静かに出てきたら、まずはスマホのライトで周囲を照らす。廊下にゾンビの姿はない。
それを確認したら、扉をしっかりと閉じておく。
ちゃんと鍵も掛けておく。この鍵は図書室内に置きっぱなしになっていた(図書委員などが外に出た際放置したのだろう)もの。正規の品であり、問題なく施錠出来る。
自分達が外出している間、何かの拍子に動き出したゾンビが、何かの拍子に扉を開けて、何かの拍子に中へと入ってしまうかも知れない。もしそうなったら、ゾンビの身体を粉々に粉砕するようなパワーなんてない紅葉達は、危険な図書室に戻れなくなってしまう。それどころか何かの拍子に扉が閉まったなら、ゾンビがいると気付かず図書室に戻る事となる。暗い室内の何処かで倒れていたら、まず見付けられまい。
何も知らずにぐっすり眠った二人は、お昼頃には可愛らしいゾンビへと早変わり――――割と笑えない話だ。鍵を掛けておけば、とりあえずそんな間の抜けた不幸は防げるだろう。
「良し。じゃあ行こう」
「おーけー」
紅葉が歩き出し、その後ろを海未が付いてくる。
今回の目的は先程紅葉が話した通り、学校内にあるであろう非常食を見付ける事。
とはいえ広い校内を闇雲に探し回っても、見付けるのは困難だ。真っ暗闇では尚更である。目星を付けて探さねばならない。
幸いにして、非常食の在り処を紅葉は知っている。
防災備蓄倉庫だ。避難所などに使われる学校には設置してあるもので、そこには数百人分の食料が備蓄してある……筈である。もしもこの学校がそうした準備を怠っていた場合中身がろくなものじゃない(賞味期限を何年か過ぎているような)可能性もあるが、それをここで気にしても仕方ない話だ。
そしてその備蓄倉庫は体育館の傍にある。体育館は災害時に避難所として使われる場所でもあるため、近くにあるのは合理的だ。この学校の生徒である紅葉は勿論体育館の場所を覚えていて、迷わずそこに向かう事が出来る。
問題があるとすれば、図書室から体育館までそこそこ距離がある点だろう。ゾンビの集まりやすい場所があるかは不明だが、単純に考えればたくさん歩けばその分遭遇確率は高くなる。実際紅葉達が進んだ廊下にはたくさんのゾンビがいた。
しかしどれも倒れていれば、大した脅威ではない。
「廊下の真ん中に倒れている奴が一匹。奥には、いない」
「じゃあ、端に退かしちゃうよ」
紅葉がスマホのライトで照らして居場所を示してから、海未が金属バットで倒れているゾンビを廊下の隅に退かす。
ライトに照らされてもゾンビ達は倒れたまま。当てた途端立ち上がってくる、という最悪の展開は未だ起きていなかった。
反応自体はおかしいものではない。外灯に長い間照らされていたゾンビも、動きは非常に鈍いものだった。奴等はある程度強い光がなければ、反応が鈍くなるものなのだろう。スマホの明かりは一見強いように見えるが、それは周りが暗闇に閉ざされているからだ。光っている部分を直接見ても(眩しいが)平気な時点で、太陽光ほどの強さはない。ゾンビがたちまち反応する水準ではないのだろう。
しかし謎は深まる。どうしてそんなに強い光に拘るのか。光とゾンビ達にどんな関係があるのか。謎を解き明かせば、脱出のヒントになるかも知れない。されど今は他の優先すべき事がある。
無事に体育館、その横にある備蓄倉庫の下に辿り着いたのだから。
「……なーんか拍子抜けするぐらいあっさり着いたね」
「拍子抜けする事の何が不満なんだね。問題はない方が良いに決まってる」
『贅沢』な事を言う海未を窘めつつ、紅葉は備蓄倉庫をライトで照らしながら観察する。
備蓄倉庫はそれなりに広く、十分な量の食糧があると予想出来た。これなら、校内にいるであろう生存者がどんなに持っていっても、中身が尽きている可能性は心配しなくても良いだろう……無論それは、見た目通りちゃんと備蓄していればの話だが。
それよりも注意すべきは、倉庫の構造だ。
入口が一つしかない。つまり、出口も一つだという事だ。もしもその
ゾンビが不活性な夜にそんな事態が起きるとは考え難いが、そもそも何故夜になるとゾンビの動きが鈍くなるのかが謎なのだ。突如ゾンビ達が一斉に起き上がり、全力疾走で備蓄倉庫に集まってくる事はあり得ないと何故言えるのか。
最悪を考慮するというのは、根拠もなく「あり得ない」と言わない事。そして可能であればその対策を施す事だ。ゾンビが入口に殺到して逃げ場がなくなるという事態は、外を監視している者を一人置いておけば防げる。
「私が外を見ていよう。君は中の備品を確かめてくれ……簡単に開く扉じゃないから大丈夫だと思うが、中にゾンビがいたら無理せず退くんだぞ」
「分かってる。そっちも無理しちゃ駄目だよ」
「無理出来るだけの力があれば、まだ良かったんだがね」
自虐してみれば、海未はけらけらと笑う。そこは否定してほしいと思う紅葉だったが、自分の言っている事に間違いもないのに否定を望むのは少々おこがましい。
「んじゃ、いってくるねー」
海未はそう言うと自身のスマホのアプリを起動。紅葉と同じく懐中電灯のように使って、備蓄倉庫内へ足を踏み入れた。
……入ってすぐに出てこない辺り、中にゾンビはいなかったようだ。倉庫の入口にゾンビが群がるよりはマシだが、ゾンビを倒せない紅葉達からすれば、中にゾンビが一体いるだけで物資を諦めねばならない。無駄足に終わらなくてまずは一安心といったところ。
「(ま、安堵するにはやっぱ早い訳だが)」
弛みそうになる気持ちを引き締め、紅葉は改めて辺りを見渡す。スマホのライトは点けっぱなし。ゾンビの呼び水にならないか心配だが、見えない状況で囲まれるよりはマシだろう。
それに、気の弛みとも言えるが……外灯の下に佇むゾンビすら、数歩動くのがやっとというほど暗闇では活性が鈍るのだ。周りに明かりがない状況ならば、ほぼ全てのゾンビが地面に倒れて動かない筈。うっかり倒れているゾンビに長時間ライトを当てた場合は動き出すかも知れないが、備蓄倉庫の周りにゾンビの姿はない。
論理的に考えれば、此処にゾンビの大群は現れないのだ。勿論、このゾンビ達が光に反応するという紅葉の推測が当たっていればの話だが。
「(そもそも臭いで人間を探す連中が、なんで光の有無で活動が変わるんだか)」
やはりこの性質はゾンビにとって重要な『何か』を示しているのではないか。そんな予感がするため考えてみようとするが、良い考えが浮かばない。光がある時に動くと、一体どんなメリットがあるのか。目視なら兎も角、嗅覚では全く意味がないとしか思えなかった。
或いは、考え方が間違っているのか。光がある時に動くと良いのではなく、光がないと動けないのだとしたら――――
何かが閃きそうだった。しかし思考を打ち切らざるを得なくなる。
『気配』を感じた。
次いで、ザリッ、という砂を踏み締める音が聞こえたのだから。
「……!?」
血の気が引く。普段なら没頭してしまう思考が、一瞬で遠くに飛んでいくのを感じる。
考え事をしている時に身体が動いて、自分の足で音を鳴らしてしまったのか? そんな楽観的な考えは、ザリッ、ザリッと音が連続して聞こえてきた事で打ち砕かれた。
そして紅葉の足下が砂(及び踏み固められてコンクリートのようになっている地面)である事から、足音の主がかなり近い事は間違いない。何より悪癖のお陰で、暗闇の中に『何か』がいる気配を感じた。現実逃避している時間はなさそうだ。
思考を切り替え、紅葉は音が聞こえた方をスマホの光で照らした。そうすれば物音を出した張本人の姿はハッキリと見える。
暗闇の中を歩く一体の奇妙なゾンビが、紅葉の前に現れたのだった。
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