違和感のある可能性

「ふふっ。今日は久しぶりに、豪勢な食事が味わえるな」


 嬉しさから自然と口角を上げつつ、紅葉は目の前の食事についての評価を下す。

 コンビニから物資を回収し、図書室に戻った紅葉達は早速夕食を始める事にした。ラインナップは塩分と脂肪分たっぷりのポテトチップスを筆頭に、密封容器に入った生野菜のサラダ、それと甘いジュース。ハッキリ言って平時ならば、生野菜のサラダだけでは誤魔化しきれない栄養バランスの悪さである。

 しかしかれこれ丸二日以上ろくなものを食べていない紅葉達にとっては、今までに比べれば極めて健康的な食事だ。筋肉や神経の働きを調整する塩分、極めて効率的なエネルギー源である炭水化物、ホルモンの材料や脂溶性ビタミンの吸収に必要な脂質……この二日間の絶食で不足していた栄養分をポテトチップスは多量に含んでいる。また生野菜サラダにはビタミンCなどが豊富に含まれているだろう。ジュースに含まれる糖分は最早主食だ。

 最良の食品ではないが、今まで不足していた栄養分はかなり補える筈だ。何より『不健康』なこれらの食品は、それでも食べるのを止められないほど美味なもの。命の危険がある極限状態だからこそ、ジャンクフードで精神的余裕を取り戻す事が重要なのである。

 ……等と一応理屈はあるのだが、要するに楽しい食事をしたいだけだ。

 故に、目の前にいる海未のように難しい顔をされると、紅葉としてはちょっとばかり困ってしまう。


「どうしたんだ? さっきから小難しい顔をしているようだが」


「……へぁ? あ、うん……ちょっと、考えちゃって」


「……ひょっとしなくても、私が話した事を気にしているのか?」


 紅葉が尋ねてみれば、海未はきゅっと口を噤んでしまう。が、しばらくすればこくりと頷いた。

 その反応が見られれば十分。紅葉には海未の気持ちが大体把握出来た。そして自分がやった『失敗』についても。


「(全く、私とした事が憶測を断言するように語ってしまうとは。自分が思っている以上に、精神的に弱っているのかも知れない)」


 顔に手を当て、首を左右に振る。そんな後悔の『ポーズ』を取ったところで何一つ解決しないのは分かっているが、しかしそれでもやってしまうぐらいに、もやもやとした気持ちが胸に残る。

 コンビニから帰り、校舎内の自販機を前にして語った言葉――――「校舎内に私達以外の生存者がいる」。

 紅葉としては、適当なホラを吹いたつもりはない。あの状況下では、それが最も確率が高いと判断した上での発言だ。しかしそれでも仮説である事に変わりはなく、裏切られるかも知れない希望を海未に抱かせてしまった。

 もしも間違っていたなら、海未は酷く落胆するだろう。合っていたとしても、何時命を起こすか分からない状況下で気持ちが落ち着いていないのは好ましくない。

 一旦、宥めた方が良いだろう。多少恨まれたとしても……紅葉はそう思った。


「私自身がこれを言うのは無責任だとは思うが、あの時の発言はあまり真に受けない方が良い。割と私も興奮状態で、いい加減な事を言っていたからな」


「で、でも、いるって思う根拠はあったんだよね? 少なくとも、もみっちの中では」


「……それについては、否定はしない」


 海未の言葉を肯定してしまい、嘘を吐けない自分に嫌気が差す。

 何故、紅葉は校舎内に自分達以外の生存者がいると考えたのか。

 その理由は自販機の小銭が消えていたからだ。言うまでもなく、脳みそが傷んでいるゾンビは金になど執着しない。自販機に体当たりを食らわす事はなんらかの理由でするかも知れないが、それでは精々釣り銭が外に散らばるだけ。自販機周りから事はあり得ない。

 誰かが『お金』を持ち去ったのだ。そんな生物、地球上には人間しかいない。

 その人間は何故校内の自販機を見付けたのか? 飲み物や食べ物を探して歩き回っていたら偶々見付けたのだろうか? 恐らくそうだろう。ゾンビだらけの中を探索する理由などそれぐらいなものだ。だから見付けた理由については大した意味などあるまい。

 注目すべきは、どうして学校の自販機なのか、という点だ。

 食べ物を探すなら、普通に考えればコンビニやスーパーマーケットなどだろう。そうした場所なら飲み物もある筈だ。対して学校は、何処かに災害時の非常食などは積まれているだろうが、探す手間を考えれば優先すべき候補とは言えない。わざわざ危険を犯して探索する価値がない事は少し考えれば分かる。

 来る者がいるとすれば、紅葉が考え付く限りでは一パターンだけ。

 

 これが一番自然にして、最も合理的な理由だ。それ故に紅葉は自信満々に海未に伝えてしまった訳だが……今になって考えると穴だらけだ。あちこち逃げ惑っていた人が偶々やってきただけかも知れないし、或いは確かに校舎内にいたが、今はもう死んでいる可能性だってある。冷静に考えてみれば、悪い展開などいくらでも思い付いた。

 それを正直に伝えてみたが、海未はガッカリした様子を見せない。むしろ意固地になったような、硬い表情を見せる。


「やれやれ。言いたい事は大体分かるぞ。校舎内を探索して、生存者を見付けたいんだろう?」


「……うん」


 単刀直入に尋ねてみれば、海未の答えは予想通りのものだった。

 気持ちは分かる。こんな大惨事だからこそ、少しでも多くの人と一緒にいたい。協力すれば生き抜いていける確率も上がるだろうし……もしもその人物が一人なら、今日明日にはゾンビに噛まれてお陀仏かも知れない。

 生きているなら助けたい。人として当然の気持ちであるが、無理に探し出そうとすれば自分達が危険に陥る。確かに予想が確実に的中しているなら多少のリスクは受け入れても良いと紅葉は思うが、もしも予想が外れていたら、リスクしかない行動をしているようなもの。そして『いない』事の照明は極めて難しい。所謂悪魔の証明というやつだ。

 自分達はどう行動すべきか、海未をどう説得すべきか。しばらく考えた紅葉は、ゆっくりと口を開く。


「じゃあ、探しに行くとしようか」


 紅葉が決めた答えは、海未の希望に全面的に沿ったものだった。

 答えを聞いた直後、海未の顔が強張った。しかしすぐに呆けたものへと変わる。

 次いで驚いたように仰け反り、動揺を露わにした。


「……え。さ、探して良いの?」


「ああ。生存者との合流は私も賛成するところであるし、校内の探索程度なら危険も少ないだろうからな。それに、何時かはやろうとしていた事なんだ。食べ物を得て余裕が出来た今、探す事自体に反対はしない」


 淡々と紅葉は語り、海未はキョトンとした様子を見せる。

 紅葉が問題視しているのは、過剰な期待で海未が無謀な行動をしてしまうのではないか、という点なのだ。生存者同士で身を寄せ合い、協力して生き延びる事に反対する理由なんてない。

 仮に反対するとすれば、その生存者がゾンビ映画よろしく無法者である場合だが……政府機能が崩壊したなら兎も角、現状ネットは普通に使えているし、電気や水道もなんとか通っている。ゾンビ被害は拡大を続けているようだが、助けが来るとまだ期待出来る今、殺人も厭わないヒャッハーな輩が早々現れるだろうか。紅葉はそうは思わない。

 勿論平時にも悪事をしている極悪人というのはいるもので、そうした人間と遭遇しないとも限らない。だからこそ慎重な振る舞いが大事なのだ。


「それに、私達が生き延びる準備もしないといけないからな。ネットで政府の発表を見たが、どうやら近日中にこの辺り一帯の電気や水道が止まる可能性が高いらしい」


「えっ!? ヤバいじゃん!?」


「ヤバいから政府が通達しているんだ。私の妹は家にいるからなんとかなるが、私らの方は少しばかり面倒な事になる」


 紅葉の妹は自宅内に引きこもっている。既にスマホで連絡はしているが、水の確保は最優先でするよう指示した。

 具体的には浴槽に水を貯めておく事。飲水に耐えるのは一〜二日だけだろうが、それ以降も身体を洗うのには使える。身体を清潔に保つ事は病気を防ぐだけでなく、精神状態を健康に保つ上でも有効だ。精神的余裕があれば何か問題が起きても、何もかも諦めたり、自暴自棄になったりし難くなる。飲水は今まで保存しておいた、災害時のために備蓄していたペットボトル(二リットルのものが約二十本あった事を紅葉は記憶している。女性は一日二リットルの水分摂取が推奨されているため、妹一人で使う分には約二十日分だ)を使えばしばらく持つ。

 食べ物も冷凍食品や生モノを優先して食べるよう前々から指示しており、また太る事は気にせず食えと言ってある。普通以上に食べていれば、この二日間で身体には栄養が十分溜まっているだろう。また冷蔵庫の食べ物が全滅しても、まだカップラーメンや菓子類は(妹が摘み食いしていなければ)手付かずの筈。菓子は兎も角、カップラーメンは非常食も兼ねて四人家族が三日間食べていける程度……三十六食分はある。妹一人なら三食食べても十二日分の食糧であり、一日一食に抑えるなどすれば一ヶ月は食べていける計算だ。カップラーメンのカロリーの高さを考えれば、一日一食でもかなりエネルギーを補給出来る。つまり仮に救助が来なくても、一ヶ月は問題なく生きていられる訳だ。無論、スマホの充電は携帯用充電器含めてするよう指示済み。大切に使えば一週間以上持つ。

 栄養素の面などに問題がないとは言わないが、妹の方はライフラインが止まってもまだまだなんとかなるだろう。

 対して自分達はどうだ?


「私達の飲料水は現状、水道水とジュースに頼りきりだ。ジュースは自販機から補充しているが、果たして何時まで持つか分からない。そもそも電気が止まったら自販機は動かないし、水道局のポンプが止まれば水は出ないだろう」


「じ、自販機を壊したら、なんとか……」


「言うのは簡単だがな。君、曲がりなりにも金属製の箱を叩き壊せるのか?」


 パンや菓子を販売している、ガラス一枚隔てているだけのものなら破壊は容易だろう。

 しかし校内に置かれている飲み物の自販機は、古き良き四角い金属の箱。叩き壊すなんて、女子の細腕では恐らく無理だ。鍵を壊せば簡単に開くのかも知れないが、構造を知らない以上期待は出来ない。


「まぁ、コンビニに行けばジュースもお茶も取り放題だが、いくら動きが止まるとはいえ、暗闇の中ゾンビだらけの町に頻繁に繰り出すのは賢明とは言えないだろう?」


「それは、そうだね……そっか、私らかなりヤバいのか」


「あと食べ物だな。この際栄養とかは無視するにしても、保存性が良いカップラーメンはもうコンビニに残っていなかったんだろう? つまり私達は、明日から食糧問題にも直面する訳だ」


 仮に、本当に生存者が校内にいるとすれば、彼等(勿論性別は不明だが)がカップラーメンを持ち去ったのかも知れない。

 なんにせよ、水と食べ物がないと長期間の生存は困難だ。ゾンビ被害が終息しそうにない今、それらがないのは非常に困る。

 生存者の存在、食べ物と飲み物の不足……これらの問題は、しかし考えてみれば同じ方法で解決が可能だ。


「学校の中には、災害時に備えた非常食がある筈だ。それを見付け出したい。で、それを探すために校内を歩き回れば……」


「こ、校内にいる生存者を探す事も出来る!」


「その通り。並行して行える作業は、やってしまった方が合理的だろう?」


 生存者を探すためだけに外を出歩くのは、もしもを考えると好ましくない。しかし食糧探しのついでであれば、片方のリスクは実質ゼロだ。やる事に変わりはないのだから。

 それに、本当に校内に生存者がいれば、何かしらの痕跡があるだろう。痕跡を見付ければ生存者の居場所が分かるし、なければやはり校内にはいないという可能性が高くなる。生存者そのものが見付けられずとも、何かしらの進展はあるのだ。


「そういう訳だから、明日からは非常食探しをしようと思う。ついでに、生存者探しもするがな」


「うんっ! よーし、そうと決まればちゃんと食べておかなきゃ!」


「期待しているよ。私の力じゃゾンビ撃退なんて夢のまた夢だからね」


 元気を取り戻し、もりもりとポテトチップスを食べ始める海未。実に頼もしい姿に笑みを浮かべながら、紅葉も同じポテトチップスを食べる。

 しかしその手はすぐに止まった。脳裏に浮かんだ疑問――――自販機の小銭を全部持っていったという、生存者の行動への違和感に阻まれたが故に。

 ゾンビに支配された町。助けは何時来るか分からない。

 そんな状況下で、誰かのお金を持ち去る事の善し悪しを問おうなんて紅葉は思わない。紅葉だって、普通に支払った方が確実かつ早いから自販機にお金を投じた。お金を払わなくても商品を取れるコンビニでは、実質的には食料品をがっつりと盗んでいる。

 そう、だから自販機から小銭を盗むのは別に良い。返してくれなんてみみっちい事を頼むつもりもない。

 だが、不自然だ。


「(何時ゾンビが来るか分からない中、お釣りを律儀に全部持っていくなんて、妙に余裕があるような……)」


 不自然な行動に対する、合理的な理由を考えようとする紅葉。

 だがお祝いパーティー(に夢中になるぐらい元気を取り戻した海未)の賑やかさが、彼女の思考を妨げる。それに、答えに辿り着けそうな気もしない。

 だったら素直に楽しむ方が合理的だろう。

 思考を打ち切った紅葉は、海未との楽しい会話の方に意識を集中させるのだった。

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