第225話:【後】無茶振りくんの想い。
この場は何処だろうと不思議に思い、部屋を見渡す。落ち着いた調度品の数々が、この部屋の静けさを余計に強調しているようだった。
「まずは不躾にお呼び立てしたこと、真に申し訳ございません。ここは亜人連合国の方々に用意された屋敷となりますので、盗み聞き等の心配は必要ありません」
なんと。この場は亜人連合国の屋敷というのか。人の気配がないことに訝しんでいたが……。貴族の屋敷でありながら侍従や侍女、下働きの者の姿を一つも見ないのだから。部屋には聖女さまの護衛二人と私だけしかいない。
これは信頼の現れなのだと己惚れても良いのか。それとも亜人連合国側の方がいなくとも、私の命など直ぐに奪えるという自信の表れか。どちらにせよ、彼女と話す機会を頂けたのだ。恐れて、しり込みをしている場合ではない。
「昨夜、枢機卿さまから教会は腐敗していると説明を頂きました。私も教会に身を置く立場。決して、見過ごせる状況ではないと判断いたしました」
確りと私の目を見つめ、力強く言葉を口にする竜使いの聖女。小柄な体でありながら、年齢以上のものを感じ取る。
彼女は討伐遠征で結果を出している聖女故に軍や騎士団での評価も高い。おそらく修羅場を潜ってきたのだろう。組織の腐敗など彼女には関係ないというのに、真剣な言葉で私に語り掛けてくれている。
「で、では! 私や家族の願いは叶えられるのでしょうか!?」
私の言葉を聞いてゆるゆると首を振る聖女さま。
「それはどうでしょうか。仮に腐敗している方を一掃したとしても、時が経てばまた不正や腐敗に手を染める可能性があります」
次は教会上層部だけではなくもっと酷くなる可能性もある、と彼女が神妙な顔をして言う。
「……それは」
「人間とは弱い生き物です。――貴方のように心を清く正しく保つことは難しいのです」
私を見据える彼女の真っ黒い瞳の中へ吸い込まれそうな錯覚を起こす。
「私は神の教えを忠実に守っているだけで――」
決してそのようなことは、と言おうとすると聖女さまが言葉を被せた。
「――それは貴方の意思の強さ故にですよ。誇るべきことでありましょう」
「……っ!」
そのように言われたことなど一度もなかった。私の周りには教えを忠実に守っている方ばかりで、それが当たり前だったのだから。そうすることが、当たり前だったのだから。
「ありがとうございます……!」
声が震えるのが分かる。彼女はただ微笑みを浮かべているだけで、私の弱さを見逃してくれている。
「話がそれてしまいましたね。元へ戻しましょう」
「はい!」
ようやく、ようやくだ。ずっと憂いていた教会内部へ手を入れることが出来る。
「現状を変えるには痛みが必要となりましょう。教会の神父さまやシスター方も現状を正しく認識しておられるというのに、見て見ぬふりを続けて参りました」
それが腐敗を助長させたのだ、と彼女。
確かに我々がもっと大きな声を上げ、国へ陳情していれば何か変わっていたのかもしれない。国が動いてくれぬなら、聖王国へと陳情しても良かったのだ。嗚呼、彼女の言う通りだ。私たちは結局現状に甘んじて見て見ぬふりをしていた、愚か者に過ぎなかったのだ。
「ただ、今回の件は良い機会でありましょう」
私があの手帳を拾ったのは神の導きであったのだろうと、彼女が言った。教会信徒ではないようだが、神父さまやシスターたちから教えを受けていたのだろう。
「王都の民の皆さまにも、教会の悪い噂は広がっております」
嗚呼、そうだ。王都どころか地方にまで広まってしまっている。王都の教会では教会系貴族が私腹を肥やし、贅沢をしていると。しかも贅沢の原因が聖女さま方が教会を信頼して預けていたお金に手を付けるとは、許し難い事実。
「わたくしも将来、夫婦ともに働く方々の為、子供を預ける事業を起こしてみようと邁進していたのですが……」
今回の件で夢が潰えてしまいました、と目を伏せる彼女の姿が痛々しい。嗚呼、この方はなんとお優しい方なのだ。
彼女は聖女ではなく聖母と呼ばれても差支えのない人物ではなかろうか。
「他の聖女さま方も預けていたお金を着服され、きっと返金は期待できないでしょう。失意に沈む聖女さまが一体何人いらっしゃるのか……」
わたくしも気を失う寸前でしたが、陛下方の執り成しですんでの所で止まりましたと、彼女は苦笑いを浮かべた。
「倒れた聖女さまが沢山いるとあれば、王都のみなさまも黙ってはいられないでしょう」
「それは……あまり言ってはなりませんが、王都の民が動くとは到底思えません」
何かあったとしても、見ているだけが関の山だろう。不平や不満があったとしても、我慢する傾向が強い。現状を嘆いてはいるが、行動に出るとなれば何かきっかけが必要……まさかっ!
「聖女さまが民を扇動なさるのですかっ!?」
驚いた。しかし、最善の手であるように思える。竜使いの聖女と民から噂される彼女の言葉であれば、きっと彼らは動いてくれるだろう。教会へと乗り込み、不正の証拠を更に掴む。出来れば腐敗した貴族も捕まえられれば一番良いが、逃げられぬ証拠を王国に提出すれば騒動も鑑みて動いてくれる。
「いえ」
「なっ! では、誰がっ!!」
そうだ。目の前の彼女以外に誰が適任だというのだ。彼女しか居ない。『竜使いの聖女』と呼ばれ『黒髪聖女の双璧』と呼ばれる護衛騎士を侍らせているのだ。こうも役者として完璧な人物は居ないと思うのだが、目の前の彼女には他に適任者が居ると言っているようでならない。
「アウグスト・カルヴァインさま。貴方にその役を背負って頂きたく存じます」
「わ、私がですかっ!? 私のような取るに足らない男に何が出来るというのですっ!!」
がばりと椅子から立ち上がるが、彼女は微動だにしない。
「己が命を天秤に掛け、わたくしに直訴をなさったでしょう。そしてわたくしと一緒に糾弾して欲しいとも願いました」
ですから共に協力して、教会の腐敗している膿を全て出し切りましょう、と微笑む聖女さま。まさか私に王都の民を扇動して教会へ突っ込めと言われるとは。
ただ、目の前の彼女は漠然と物事を言っているようには見えない。勝算があり成功の確率が高いからこそ、こうして動き共に敵を討とうと告げているのだ。
――さあ、お覚悟を。
と、生まれたばかりの我が子を見つめる母のような視線を向け、彼女は私に迫るのだった。
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