第223話:【前】無茶振りくんの想い。

 ――なんと、慈悲深い。


 私がその光景を見たのは、アルバトロス王国の王立学院へ入学して直ぐの頃。今から一年ほど前の事だった。


 教会で治癒院が開かれると多くの民が押し寄せる。怪我をした者、病気の者、心を病んだ者、様々だ。治癒を施せる魔術師の数は少ない。そもそも男に生まれ魔力があれば、誰もが攻撃系の魔術を学び補助、しかも治癒の魔術を習うことを疎かにしてしまう傾向がある。

 もちろん基礎程度は使えるが、それ以上のものを学ぼうとはしない。魔術師として魔術師団へと入ることができれば、大出世の道だ。それに男であれば、戦場の花形である魔術師を夢見るものなのだろう。


 私は領地貴族の継嗣だ。


 ならば攻撃魔術を習うよりも、領民の為に治癒魔術を習得した方が余程為になると考え、父に願い出て家庭教師には治癒魔術を得意とする者をつけて頂けた。


 治癒の才能があったのは幸運だったのだろう。魔力も可でも不可でもない量を身に宿している。教会系貴族として男爵領を運営する父と一緒に領内を周り、領民に教義を唱える傍ら、町の灌漑工事や田畑の様子を見る。

 それが我がカルヴァイン男爵家の仕事。領内で病んだ者、怪我をした者が居れば、私は治癒を施して回った。


 『ありがとうございます、アウグストさま』


 治癒を終え、領民から感謝を受けることに喜びを感じていた。


 随分と以前、カルヴァイン男爵領にアルバトロス王国教会枢機卿さまがいらっしゃると大騒ぎになったことがある。どうやら父が領民たちに教会の教えを熱心に施していることに、いたく感動したのだそう。

 そうして私は王国教会の五席のうちの一席に座す、枢機卿さまと出会えることが出来たのだ。片田舎の男爵領では夢のような事だったし、父の事がさらに誇らしくなったのを幼いながらに覚えている。


 カルヴァイン男爵家の継嗣として王立学院へと通うことになった際、枢機卿から『我が家を下宿先に』と申し出て頂けたのも父が日々熱心に民へと教義を説いていたから。

 そうして王都に移って暫くした、とある日。


 その日に開設された治癒院は何故か忙しかった。ひっきりなしに怪我人や病人がやってくる。駆り出された聖女さまたちも魔力が尽き、私もあと一度の施術で底を尽きるという状況だった。


 『次の方。――ああ、随分と無茶をされましたね』


 まだ魔力が尽きていない方がいらっしゃるのか……。その事実に驚いて声の主を見ると、随分と小柄な少女が椅子に座って歳を重ねた女性に治癒を施していた。

 

 『ありがとうございます、聖女さま。お代は……』


 『払える額で構いません。物納でも大丈夫ですから、ご無理はしないで下さいね』


 歳を重ねた女性はお金に困っていたのだろう。治癒院の治癒代は随分と安く設定されているが、それでも支払い能力が足りない者が居る。故に、貴族出身の聖女が参加することは殆どなく、平民出身の聖女の仕事――それでも人気は低いが――となっていた。


 『ありがとうございます、ありがとうございます』


 『今回で治らなければ、指名依頼をお願いします。治らなかった事を理由に、寄付を頂くことはありませんから』


 短い黒髪を揺らしながら、女性に微笑む少女。なんて心根の綺麗な。


 『おお……おお……なんと、お優しい』


 女性の反応は尤もだ。お金を稼げないから、あんな台詞を言える聖女は殆ど居ない。私よりも年若い女の子が、大人顔負けの言葉を使って優しさを垣間見せる。理由はどうであれ、立派なもの。まるで雷に打たれたような衝撃だった。

 

 『どうしましたか?』


 教会の神父さまが、呆けたように立っていた私に声を掛けた。


 『あの聖女さまは?』


 『三年ほど前から聖女を務めております、皆からはナイと呼ばれております』


 女性に失礼ではあるが妙な名前だなと目を細めると、孤児から召し上げられた聖女だと言われ。平民出身、しかも孤児上がりであのような確りとした言葉を使い、気遣いが出来るなど。たった三年の間に、どんな血の滲む努力をしたのだろうかと胸が苦しくなる。治癒魔術は素質がなければ使えないし、高度な術となれば学ばなければ使えないのだから。


 『助けてくれ、怪我人だっ!!』


 声と同時、教会の扉が勢いよく開かれる音が奥へ響いた。そちらに目をやると、怪我人が運ばれてきたようだった。

 総勢五人の男で、怪我人を担いで急いでこちらへとやってきたのだろう。息を切らせ、汗を流して必死の形相で訴える。だが、私もこの場に居る聖女も先程までの治癒行為で魔力は殆ど尽きてしまっている。


 『…………っ』


 助けられない、のか。何度、悔しい思いをしたことか。誰かを救いたいと願い身につけた治癒魔術は、魔力が尽きてしまえば使えない。痛みに耐え必死に生き延びたいと訴え、こちらを見る怪我人の視線に耐えかねて、目を逸らした。


 『――傷を見せて下さい』


 そう言って怪我人の下にしゃがみ込んで、少女は服を破って患部を晒す。


 『まず、痛み止めの魔術を施しますね』


 魔術を施して傷口に水を掛けて、怪我の程度を観察すること暫く。


 『良かった。これなら綺麗に治ります』


 その後に治癒の魔術を掛け怪我の治療を終えた。そしていくつかの注意点と、何かあればまた頼れば良いと、怪我人に告げる少女。ありがとうございますと何度も口にする怪我人に、苦笑を浮かべて言葉を交わしていた。

 その光景が目について離れなかった。普通の聖女は治してしまえば、それで終わりだ。貴族出身の聖女であれば『平民の治療なんて』と平気で断ることもある。もしくは金をふんだくるかだ。

 

 まだ子供の身でありながら偏見も欲も見せずに治療に当たる少女を、一年後にまた見るとは思わなかった。


 学院の特進科に平民でありながら、入学したのだから。ハイゼンベルグ公爵の計らいによって、入学したと聞いたが特進科への編入は実力で掴み取ったそうだ。突然、貴族のなかに放り込まれてさぞ困るだろうと心配していたが、杞憂に終わった。


 彼女は貴族だらけの学院の中でも、きちんと学院生として振舞っていたのだから。


 なんて勤勉で真面目な人なのだろう。国の魔術障壁を維持する為に週に一度登城して、魔力補填を行っていると知った。国からの依頼なので結構な額が、聖女の下へ入ると聞いている。だが彼女は贅沢をせず教会宿舎で慎ましく生活していた。

 

 だが、彼女を取り巻く環境が一変し、今や『竜使いの聖女』と呼ばれるまでになっている。


 奉仕活動の為に赴いていた教会で、偶然手にした黒革の手帳。人の持ち物を勝手に開いて中を見るのは憚られるが、嫌な予感がして中を見てしまった。文字の羅列が示す意味を最初は理解できなかったがページを捲るごとに、これは聖女が教会へ預けたお金の出入りを記しているものだと気付いた。

 

 これは腐敗の証拠になると確信して、世話になっている枢機卿さまの下へと直ぐに届け、暫く待てと命じられたがもたもたしている暇はない。父へ連絡をし『聖女さまへ直訴したい』と伝えると二つ返事だった。父もまた教会の腐敗に悩んでいた一人なのだから。

 

 そして決行を決めた始業式の放課後。


 厳重な護衛を振り切って、少女の下へ辿り着いた私だった。


 私のようなものが気軽に声を掛けてはいけないというのに、話を聞いてくれ『必ず連絡を入れます』、そう言い残した少女は夜遅くに使いの者に手紙を持たせて、約束を果たしてくれたのだ。私の目に間違いはない。誠実で優しく、強くしなやかなお人なのだ。届けられた手紙をペーパーナイフで丁寧に切り取り、紙を取り出してゆっくりと開く。


 ――明日、放課後に迎えを寄越します。


 石畳の間から力強く生える野花のような、確りとした丁寧な字でそう綴られていたのだった。

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