第127話:聖女としての価値。

 ――陽が沈む。


 静寂が夜の森を包み込む。ドラゴンと遭遇する可能性は一生に一度あれば運が良いとされている。

 気の荒い種に出会ってしまえば、悪運なのかもしれんが。そんな偶然でしか出会えないドラゴンに死体といえど目にすることは、この先訪れることはないと言えよう。


 「ソフィーアさん。ナイは王国のことをどう思っているのかしらね……?」


 私の隣に立つセレスティアがふと声を上げた。周囲に気を配っているが、時間を持て余しているらしい。

 件の彼女はまだ死骸の前に跪いて、魔術陣へ魔力を注ぎ込み浄化を試みている。先生――魔術師団副団長によると朝までは確実に掛るそうだ。

 下手をすると昼を過ぎる可能性もあると言っていた。


 「さあな。――だが、アレは聡い。己の重要さは理解しているだろう」


 「それはどうかしら。時折、自身の価値を間違えて捉えていますもの」


 「ナイらしい……と言いたいが」


 ふ、と自然と笑いが落ちる。


 「そろそろキチンとした認識を持つべきです。務めを果たし成果を国へと齎している者の評価を教会は随分と低く見積もり、彼女自身も良しとしていますもの」


 何故もっと正当な評価を教会や国へと求めないのか理解できない、と首を振っているセレスティア。

 私が思うに彼女は普通に暮らしていけるなら、名誉や金はそれほど求めていないのではないだろうか。――しかし。


 「馬鹿げた魔力量さえ持っていなければな……教会は魔術についてすべてを教えるつもりはなさそうだからな」


 本来、出来るはずのことを教えていないのはどうなのだろうか。それは彼女の未来を狭めているようなものだ。


 「あくまで彼女は便利な道具にすぎないと?」


 「どうだろうか……私の想像にすぎんが、力を持ちすぎて御せなくなれば、国から突き上げられる教会が一番困るだろう」


 教えない理由は、これが一番簡単で納得できる理由だった。


 「それを恐れて、貴族でもない一個人を都合の良いように使うのは如何なものかしら?」


 「確かに。――だが、聖女だ」


 そう、国を守るために身を捧げている。あの障壁がなくなってしまえば、アルバトロス王国は十年も持たぬだろう。

 他国からの侵略に、魔物の脅威。周辺国は平和路線を謳っているが、そんなものは幻想にすぎん。気を抜けば取って喰われるのが、この世の常だ。


 「分かっていますわ。だからこそナイ自身それを理解して何も言わないのでしょうし」


 「ああ。少しでも状況を改善することは出来る。先生がナイと接触したのは僥倖だった」


 「お師匠さまは魔術にだけは真摯ですものね。――まあ振り回される可能性もありますが……教会から施される知識だけでは心許ないですわ」


 鉄扇を置いてきたことを忘れていたのか、広げるしぐさを見せるセレスティア。それに気付いて舌打ちをしているが、いいのだろうか。

 まあ、誰も見ていないのだから問題はないか。


 「だな。まさか魔力制御をまともに教えられていないとは……」


 魔力は常に体内に巡っており術者はそれを意識し、自身の魔力量を推し量る。

 そうして魔術を使い己の限界を知り、無理と無茶を繰り返し魔力量を増やす努力するものだが。


 魔力が多すぎて一度も空になった経験はなく、空になるその前に体が不調を訴えるなど前代未聞だ。


 「繰り返しになりますが多すぎる魔力量も考え物ですわね、城の魔術陣への補填には困らないもの」


 だからこそ教育をそこそこで打ち切ったのだろう。必要なことを全て教え才能が開花すれば、アレは歴代最高の聖女どころか国を簡単に落とせる覇者となる。

 本人にその意思はないから良いが、洗脳されたり人質を取られたりすれば、大陸は一気に戦乱の世となるだろう。


 「ああ。だからこそ正しい知識とその導き手に守り手も必要だろう。――貴族社会のことならば私たちが味方に付けばいい。幸いにもその力がある」


 武力ならばジークフリードとジークリンデが居るから問題はない。実力はきちんと備わっている。その証拠にフェンリルと一時でも相対することが出来たのだ。

 並の騎士ならばそれすら敵わん。そもそもナイ自身が二人を大切にし過保護な部分を見せているのだ、聖女の庇護下にあればさらに力は倍となる。


 「では聖女としての味方は?」


 「民が居るだろう。彼らを味方に引き込めばいいだけだ」


 ああ、なるほどと頷くセレスティア。黒髪の聖女と二つ名をあの歳で既に賜っているのだし、聖女だからと奢ることもないのだから、民衆からの支持は直ぐに得られる。

 あとはどれだけ盤石にするかだが、教会と国はどうするつもりなのだろうか。


 「彼女を……ナイを失うなど考えたくもないですが」


 同意見だ。国への貢献度合いが大きすぎる。王都に居れば週に一度は城の魔術陣へと赴き魔力を補填できる人間など居ない。

 通常は一か月から二か月の間に一度補填をすれば、聖女としての役割を十分に遂げているのだから。歴代の筆頭聖女さまの内、補填期間が一番短かったのは二週間に一度だったと聞く。


 「あまり言いたくはないが……失うならまだ良い。逃してみろ、他国からは嘲笑もの国内からは突き上げをくらうぞ」


 人間、突然死ぬ可能性もあるのだ。事故、病死……まあ何でもいい。今の彼女にその意思はなさそうだが、人間が心変わりをするなど簡単なことだ。待遇を良くすると秘密裏に接触されて、国外逃亡を幇助し彼女を逃せば我が国は抗議するくらいしか手段がない。


 私もセレスティアも国に忠誠を誓っている。それは不変のものだ。 


 「逃す? 国という組織から逃れるなど簡単ではありませんわ」


 「確かにな。だが、抜け道はあるだろう」


 方法はいろいろとある。どうとでもしようと思えば、どうとでもなるのだから。


 「それは……そうですが」


 「今は考えてもしかたあるまい。――それよりも目の前の事だろう」


 そう言っていまだに儀式魔術を執り行っているナイを見る。大きな塊だったドラゴンの死骸は随分と小さくなっていた。夜の闇を魔術陣の光が煌々と辺りを照らし、幻想的な光景を作り上げていた。


 「しかし……全裸はないな」


 先生の話では全裸の方が効果が上がると言っていたが、真実は闇の中。それに長丁場になるので排泄もその場で済ませてしまう為に効率が良いと言ってはいたが……。

 まだ成人もしていない少女に酷な話である。書物や文献が残され知識として知ることは出来るが、聖女や教会の神父とシスターにしか出来ないらしいので、先生にも不可能だった。魔術とあればとりあえず何でも挑戦するあの人が『男の裸なんて誰が見たいですか?』と言い放っていたので、嫌なのだろう。


 「あり得ませんわね。――女性を一体何だと考えているのかしら」


 本当にな。祖父と父に教会に掛け合ってもらうか、と報告を忘れぬように心の中に刻み込むのだった。

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