第125話:死骸。
嫌な空気は結界でどうにかできても、臭いまでは防ぐことは出来なかった。
「鼻、曲がりそう」
結界を解けばもっと酷くなりそうだと苦笑い。目的地に近づくにつれて魔物との接触も増えているし、動物の亡骸が転がっていたり。
野生の動物ならば死に際は隠れて死ぬものだけれど、そこらに転がっているので森の中だというのに妙。目下の問題は森の奥から感じる、禍々しい気配と物凄い臭気に心が折れそうになっていた。
「俺は慣れた」
「もう麻痺してる」
しかめっ面をしているジークとリン。イケメンと美人が台無しなのだけれど、本人たちは気付いていない。
「凄いね、この臭い……」
硫黄臭やアンモニア臭に腐臭、不快なにおいを寄せて集めて混ぜたような、滅茶苦茶に嫌な臭いである。
周囲の人たちは口元に布を当てたり、鼻を腕で覆ったりして、どうにか凌いでいた。私たち三人が配置された部隊は原因究明の為に編成されたから、引き下がらずこのまま先を目指すそうだ。
士気がダダ下がりなのが痛い所だけれど、それでも職業軍人や騎士の人たちからなる編成なので、また魔物が襲って来れば剣を抜くだろう。
早く終わらせて、温かい食事にお風呂を済ませて、ベッドにダイブしたい気持ちが強くなってきていた。
「おい、あれを見ろ!」
私たちより少し先を行く騎士が叫んで指を指す。誰もがその指した指の先を目を細め、何があったのかを捉えようとしていた。
「お、おい……」
「なんだ、あれは」
「……随分と大きいな」
ゆっくりと伝播していく動揺。彼らの視線の先にあるものは、大きな黒い何からしい……。周りの人が大きくて、身長が足りない私は先の光景を見ることが出来ず、周りの声を拾って情報を集めるしかない。
前に行って確認したいけれど、ジークとリンに止められるのがオチだから大人しくしていよう。
「あれは……ドラゴンの死骸……でしょうか? しかし……何かがおかしいですねえ」
私たちの少し後ろを歩いていた副団長さまが確認のため、こちらにやって来たようだった。ようやく視界が開けて、私も確認できた。確かに巨大な黒い物体が地面に転がっている。
副団長さまが言ったとおり、羽や尻尾があるように見えるし、長い首の先には顔に、立派な角がある。――あるのだけれど。
「ドラゴンの存在は書物で見たことはあるが……」
遅れてソフィーアさまとセレスティアさまが、二人並んでやって来た。彼女たちも口元をハンカチで抑えて、どうにか臭いに耐えている。
「黒い巨大な塊、としか言いようがありませんが……嫌な雰囲気や腐臭の原因は目の前の塊でしょうね」
不自然に腐っている気がするし、黒い瘴気が死骸から出ている気もするのだけれど、一体なんだというのだろう。死ねば土に還るのが基本で、誰かの意思や何かが介在しなければ、こうはならないと聞いている。
「――聖女さま。浄化の魔術は習っておりますか?」
「!」
やはりそうなるのか。――受けてはいるけれど、今まで機会がなかったので一度も使ったことはない。
「では貴女さまの出番ですねえ。僕も知識として身につけてはおりますが、攻撃系以外の魔術はからっきしですので」
その言葉を聞いて、渋い顔になっていくのが分かる。というか口にしていないのに勝手に思考を読み取って話を進めないで欲しい。
「ナイ?」
「どうした?」
リンとジークが私の様子がいつもと違うのが分かったのか、声を掛けてくれた。浄化の魔術は唱えて終わりという訳ではない。儀式に近いものなので、一人作業になるし唱えることを唱えれば、その後はやることがなくて暇なのだ。展開させた魔術陣の上に突っ立っているだけで、ただひたすら魔力を魔術に送り込むだけだもの。
「……………………やりたくない」
この規模だと……しかもドラゴン。目算だけれど、一昼夜くらいの時間は掛かるだろう。
「まあ、そうでしょうねえ。ですが魔力量や経験からすると適任は聖女さま一人ですよ」
副団長さまと私のやり取りを見ていたソフィーアさまとセレスティアさまが『珍しいな』『珍しいですわね、ナイならば直ぐに行動に移しそうですのに』と小声で話していた。早く帰りたいし、これを終わらせなければ問題解決しないことは理解している。
「これも国の為です。我慢してください、ね?」
副団長さまの諭し方が子供を相手にするように、何故だか優しくなってる。そりゃそうだ実行できる人間が私しか居ないのだし。
「やらなきゃ駄目ですか……?」
「はい。――残念ながら」
やりたくないなあ、と黒い塊を見つめる。
「防御魔法を張りますので、副団長さまが消し炭にすれば……」
「それで解決ができるならば良いのですが、霧散させたところで残った瘴気で周囲に影響を与え、魔物の狂化は収まらないでしょう。――やはり貴女の出番です」
副団長さまと私のやり取りに気が付いた周囲が、ザワ付き始めた。
「聖女さま」
「お願いします、聖女さま!」
「この事態を納められるのは貴女さましかおられません!」
聖女さま、聖女さま、聖女さま、聖女さま。周囲から期待の視線を受け、逃げられなくなる私だった。
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