第92話:籍入り。

 ――学院の中庭、昼休み。


 随分と日差しも強くなり、木陰に入らないと汗をじんわりとかくようになってきた今日この頃。


 ジークとリンがラウ男爵家への籍へと入ることが決定した。どうやら公爵さまの根回しは済んでいたようで、本来もっと時間が掛かるはずの貴族籍登録は直ぐに済んだ。

 話し合いをしている時点で、公爵さまの腹の中では既に決定事項だったのだろう。でなければこれほど早く手続きが済む訳はないし、ラウ男爵さまとの面会だってジークが返事をした翌日の晩には行われたのだから。


 「ジークフリート・ラウ。ジークリンデ・ラウ。――うん、良い響きなんじゃないかな?」


 二人の新たな名前を口にして、舌触りを確認する。長ったらしい家名だと、ちゃんと舌が回るのか自信がない。時折、凄く長ったらしい家名の人に出会って、困る時がある。

 噛んでしまうと失礼に当たるので、何度も必死に口にして間違わないようにと練習することもあるのだ。ジークとリンはそんな私を見ておかしそうに笑っていたけれど、教会から怒られるのは私だ。我が身は大事だし、聖女としての品格を落とす訳にもいかないので、結構大変だったりする。


 「慣れないな。家名なんて名乗ってなかったから」


 「変な感じだね」


 書類にサインして提出して終わりだったものね。サインだけして、公爵さま経由で公的機関へと提出したみたいだし。その辺りは詳しくないから、任せっきりになってた。

 苦笑いをしている二人を見ながら、気になっていたことがあったのだ。聞くタイミングは今しかないなと、口を開く。


 「リンは良かったの? ジークが公爵さまに返事をして、そのまま話が進んじゃったけど……」

 

 「兄さんが一緒だし、問題はないよ。公爵さまの話だと今まで通りの生活で良いみたいだし、男爵さまも夫人も悪い感じはしなかったから」


 人の判断は付き合いの長さでようやくわかるものだけれど、リンは勘が鋭いから当たっている可能性の方が高い。

 私は男爵さまとは顔合わせはしていないので、どういう方なのかはさっぱりであるが、公爵さまの推薦人だしリンの勘も当たるだろうから、心配は必要なさげだ。


 「そっか。――お祝いって言ったら変かもしれないけど、みんなで集まってなにかしようよ。久方ぶりにみんなが集まるのも悪くないし、もうすぐ長期休暇だから時間取れるだろうしね」


 学院へと入学してから三ヶ月強、そろそろ長期休暇という名の夏休みに入る。領地持ちの人は王都から実家へ帰省する人が多いし、避暑地へと赴く人たちも居るそうだ。

 私たちは王都暮らしだから、基本的に王都から出ることはないから、夏休みの二ヶ月間は暇なのだ。討伐依頼で騎士団か軍の人たちに同行するかもと考えていたけれど、依頼が舞い込む気配はない。


 「俺たちを口実にナイが騒ぎたいだけだろう?」


 「みんな揃うのは久しぶりだから、いいかも」

 

 学院に入ってからというもの勉強に追われていたし、城にも行って週に一度は障壁を張る為の魔術陣へ魔力充填をしたり、魔獣が出たり、婚約破棄事件があったり、伯爵さまの落胤話が二人に舞い込んできたりと騒がしかった。

 偶には羽を伸ばしてもバチは当たるまい。孤児仲間を集めて、王都近くの丘にでもお弁当を持って出掛けるのもいいだろうし、どこかのお店に入って飲み食いするのも悪くはない。


 「まあ、騒ぎたいっていうのはあるかも。色々あったし、自由時間も大分少なくなってるから長期休暇くらいはゆっくり休むか遊び倒したい」


 私は遠巻きに見ていただけなので、当事者という訳ではないから気楽なものであるが。

 

 「だな」


 「うん」


 いつものように三人で会話を交わしていると、足音を鳴らしてこちらへとやってくる人がいた。何事だろうと顔を上げると、マルクスさまが仁王立ちしている。よっこいしょと口にすることなく立ち上がり私が礼をすると、ボリボリと片手で頭を掻いている。


 「あー……その、なんだ、親父が迷惑を掛けたな。スマン」


 相変わらず言葉にするのが苦手だよねマルクスさまと苦笑いしつつ、私に頭を下げられても困るのでジークとリンの方へ視線を向ける。

 それに気付いた彼は口を伸ばして気まずそうな顔をしたけれど、一度深い息を吐くと二人に顔を向けた。


 「また手合わせしてくれると有難い」


 「お気になさらず。――手合わせは申請さえ通して頂ければいつでも受けて立ちます」


 ジークが言葉を口にし、リンは黙って目を伏せる。落胤問題は伯爵さまが原因であって、マルクスさまが謝る必要なんてないのだけれど、近頃は視線を寄越されていたので気になっていたのだろう。

 人目があると誰かに聞かれてしまう心配があるので、どうやら機会を窺っていたようだ。セレスティアさまがこの場にいれば驚くだろうなあと苦笑する私。


 「言いたいことは言った。じゃあな」


 あっさりとしているのか不器用なのか判断のつかない行動だったけれど、何もないよりは良いのだろう。ジークとリンは何も言わないけれど、マルクスさまに原因がある訳じゃないし、むしろ彼は巻き込まれた側なのは理解しているはず。

 

 「そろそろ時間だね、教室に戻ろう」


 「ああ」


 「うん」


 そう言って歩き出すと、スカートのプリーツを優しく撫でる風が吹く。いつもの場所で二人とは別れ、特進科の教室を目指すのだった。

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