第84話:お伺い。
教会の宿舎で伯爵さまの所から帰って来たジークとリンが私の部屋にやって来た。私は宿舎の食堂で、二人は伯爵邸でご飯を済ませたので、あとはお風呂に入って寝るだけという時間。
遅い時間だし手短な話だろうと踏んで、部屋の扉の前で立ち話でいいだろうと、そのまま二人の顔を見上げる。
「ナイ……」
「……」
「どうしたの、二人とも。――凄く重苦しい雰囲気醸し出してるんだけど……変なものでも食べた?」
ふっと笑うと記憶が蘇る。随分と以前のことだ。三、四日もの間、食べる物もなくただただお腹を空かせて困り果てていた時だった。街にゴミを漁りに行っても、残飯はなく。
飲食店の人に廃棄するものは無いのかと聞いても、邪険に扱われ。途方に暮れてまた食べられない日が続くのかと、孤児仲間で落胆していた時だった。
本当に偶然……貧民街の片隅でたまたま見つけた、でっぷりと太っていた鼠の死骸。おそらく死んでからそんなに日は経っていない。
どうすると顔を見合わせて、結局食べた。寄生虫やら病気を持っているかもしれないと、燃えるものを搔き集めて焼いて食ったのだ。
そうして数時間後、ものの見事に全員がお腹を壊したことがある。――そりゃあもう大変だった。
食べることに困り果てている痩せ細った子供が、うんうん唸りながらよろよろ歩き、穴を掘っただけのトイレに駆け込んだ。もちろん食べた全員食あたりを起こしているのである。
いや、本当にアレは洒落にならなかった。
トイレの数がある訳もないし、出すものもないのにお腹が痛いし吐き気もある。どうしようもないから動かずじっとして痛みと吐き気に耐えるしかない。
そうしてどうにかこうにか痛みが治まって安堵したものだ。空腹は相変わらずであるが、まさか死因が鼠の所為にならなくて良かったと、苦笑いをみんなでした記憶がある。
「クルーガー伯爵がお前に会いたい、と」
「え?」
「頼みたいことがあるって言ってた」
苦虫を噛みつぶしたような顔のジークと困ったような顔のリン。部屋の前で背の高い二人がずーんと重い空気を背負って佇んでいる。
内容的に誰かに話を聞かれるのは不味いだろう。
「とりあえず、中に入ろう」
「すまん」
「ごめんね」
「二人が謝る理由はないよ、大丈夫だから。あ、ちょっと待ってて、お茶淹れてくる」
少し長くなりそうだなと考え、食堂からお茶を拝借しようと部屋を出る。
ジークとリン、二人と交流を深めてクルーガー伯爵家へ迎え入れる話ではなかったのか。
いや、二人から聞く分には、伯爵が家へ迎え入れたいというのは本心ぽいのだけれど。
お茶を淹れながら考えてみるけれど伯爵本人ではないのだし、二人から話を聞いた方が早そうだなと、木で作られたマグカップを三つ持って部屋へと戻る。
「お待たせ。――伯爵さまが私に会いたいって、治癒依頼かな?」
個人としての私にお貴族さまが用なんてある訳ない。二人に淹れたお茶を渡しながら、椅子へと座った。
ジークやリンのように落胤だというのならば、可能性が生まれてくるけれどそれはあるまい。黒髪はアルバトロス王国では珍しいそうだから。
大陸の東端域になると珍しくはないそうだが、その地域の人たちがこちらに流入することは殆どないと聞く。私のルーツはそっち方面かと、一時考えていたこともあるが、答えを出しても意味のないことだ。
私へ用があると言われれば『聖女』としてのみだろう。私という人間には、そこにしか価値がないのだから。
「内容は伝えられていない」
「……」
「んー……。まあ、治癒依頼だろうね。私はジークやリンみたいに伯爵さまと接点がある訳じゃないから」
しかしまあ二人とも渋い顔をしているものだ。これならお茶じゃなくて甘いモノでも淹れてくればよかったけれど、残念ながら山羊のミルクを温めるくらいしか出来ないし、ちょいと値が張るので許して欲しい。
「日時とか聞いてる?」
「ああ、そのうちに使者を寄越すと言っていた」
「そっか。じゃあその時に内容が分かるかな」
伯爵さまの要望次第で学院を休むことになるだろうし、いろいろと考えておいた方が良さそうだ。マルクスさまも同席する可能性だってある。
今回はジークを経由せず教会に一報を入れて、念の為に公爵さまにも知らせておこう。治癒が目的だろうけれど、その裏に何が隠されているのかが全く分からない。
というかクルーガー伯爵という人物の情報が少なくて、対策が立て辛いというべきか。
「すまん」
「ごめんね……」
「だから、二人の所為じゃないんだから謝らなくていいってば。なんて顔してるのー」
二人の問題が私に波及したから何か思うことがあるのだろうが、そんなに思いつめなくても。リンは先ほどから『ごめん』としか言わないし、元気もないし。
「ほらー、リン。そんな顔しない」
両手でリンの頬を挟んで、うにうにと手を動かす。流石にジークは男性なので、こういうことをするには無理があるし、彼もソレを理解しているのでリンに手を伸ばしたのだ。
平民出身の聖女は準お貴族さまのような扱いである。役目を終えると一代限りの男爵位か子爵位を陛下から叙爵されるから、という理由だそうだ。
なので男の人との接触は控えた方が良いし、二人きりになるとかも控えている。幼馴染だし家族みたいな関係だから、男女の仲とかは考えたことはないけれど、周囲がそう見てしまうとお終いだから気を付けている。
「にゅう」
「あはは! 変な顔~美人が台無し!」
背が高く細身のリンであっても頬にはそれなりにお肉が付いているので、むにむに動いている。こういう時に遠慮なんてするもんじゃないから、他人には見せられない表情になっていて、面白い。くつくつと笑っていると、リンがもぞりと動く。
「にゃい……うー……」
私がリンの顔を揉んで楽しんでいたことに飽きたのか、彼女の手ががばりと腰に腕が回った。
「――っと! 危ないよ、リン」
座っていた椅子が傾いて、リンの方へ引き寄せられる。肩に顔を埋める彼女に、私も腕を回して軽く抱きしめる。
「迷惑じゃない?」
「どうして?」
「だって、面倒なことになってる……」
「――まあ……予想外の展開にはなっているけど、面倒だなんて思わないよ。もしかしたら私の働き次第でリンやジークの待遇が良くなるかもしれないから、頑張らなきゃね」
リンの背中を撫でながら、ジークへ視線をやると微妙な顔をしていた。何か思うことがあるようだけれど、彼らの待遇は伯爵さまや本人が決めることである。
私はいつも通りに治癒を施し、その働き次第で良い方向へ動くならば気張らないと。それに面倒や大変なことは孤児時代にさんざん経験しているから、このくらいならばそよ風程度だろう。
「うー……」
なにか消化しきれないものが彼女にあるのだろう。言葉にならず唸っている。
「って、リンっ! リンっ!! 締まる、締まってるっ!!」
痛い、かなり痛い。今、サバ折り状態になってるから。ジークも見ているだけで、止めようとしてくれないし。
「あ、う。ごめん、ナイ」
へにゃと情けない顔をする彼女に何も言えなくなる。リンのこの顔に弱いんだよねえ、孤児仲間みんな。だから甘い所があって、人付き合いが苦手な所とか喋るのが苦手な所とか、無理に直そうとしなかったから。
「い、いいけれど……もう少し加減してくれると助かるよ」
うん。魔力で肉体強化を無意識下でおこなっているから、力が強いんだよね。魔力を体の外に出せない人に強く出る特徴なのだけれど、逆に魔力を外に出せる魔術師は彼らに比べて体の力は弱いので、抵抗するのも難しい。
「さ、もう遅いから、お風呂に入って寝よう。ね?」
「一緒に入ろう?」
「はいはい、甘え癖は治らないねえ。――ジークも後で入るでしょう?」
片眉を上げながらリンを見て苦笑いをする私は、直ぐにジークへと視線を移した。
「ん、ああ。そうする」
この先、伯爵さまからの使いに、どんな内容のものかは分からないけれど。治癒依頼ならば教会を経由しなければならないので、こうなりゃ伯爵さまからお金を目いっぱいふんだくってやる、と心に決めるのだった。
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