第31話:【前】孤児のように強く。

 夜の帳が下りる。


 鬱蒼と茂る木々が星明りを遮って、暗闇を更に暗くしていた。周りの人間は各々食事をしたり既に眠っている者など様々だ。

 私は食事を済ませたあと時間を持て余し、周囲を軽く歩いて回っている。一度寝床に入ったが野宿など慣れない身の上、まったく眠気が襲ってこなかった。


 笑い種だ。公爵令嬢として他の者に示しがつかぬと一度息を吐きながら頭を振る。


 お付きの侍女も執事も居ない――もちろん護衛の騎士は就いているが――状況に違和感を覚え、彼らがいなければ何もできないのだと思い知らされる。

 この森に居る学院生で平民出身の彼ら彼女らには当たり前のことなのだろう。水場を確保し、火を熾し、寝床を用意することなど。時折聞こえる笑い声は、貴族出身者ではなく平民からなのだから。


 何故そんな不慣れな人間を合同訓練に参加させるのかは、騎士科や魔術科の訓練と学院の生徒と仲を深めるという意味合いが名目ではあるが、何もできない貴族の子女にこうして野宿を経験させることが一番の目的なのだそうだ。

 おそらく有事の際に我が儘を言わせないようにとの配慮なのだろう。二泊三日で大きなものが得られるとは思い難いが、経験しておくのは悪いことではない。


 「――貴族とは、か……」


 特権を備えた名誉や称号を持ち、それ故に他の社会階級の人々と明確に区別された社会階層に属する集団。

 公爵家ともなればその責務は多大で王国軍の元帥の地位を担う祖父は、大陸の近隣情勢がまだ安定していなかった頃は国の防衛の為と若かりし頃は西へ東へと奔走していたし、騎士団や魔術師団との折衝に苦心していたと聞く。父も次期元帥候補と呼ばれ名高いし長兄も軍属となっており、ハイゼンベルグ公爵家は軍人家系としてその名を馳せている。


 私も祖父や父の背に憧れたが生憎と貴族の女の役割など、他家との繋がりを求めるのみだった。


 もちろん家族は私の幸せを願ってくれるが公爵家としての自負もある、数々舞い込む縁談から良きものをみつけようと難儀している父と母の姿を知っていた。

 そんな折に第二王子殿下との婚約話が降って湧いたそうだ。話があると告げられ父の執務室へと赴けば、祖父の姿まであった。これは何かあったのだなと幼いながらに感じ取っていた。


 『第二王子殿下との婚約打診が王家からきた。ソフィーア、君はどうしたい?』


 選択肢を与えてくれていたのは親の愛だったのだろう。執務机に座る父と応接用のソファーにどっしりと構えていた祖父の顔は、嫌ならば断っても良いと如実に語っていたのだから。

 第一王子妃の婚約者は他国の王女が据えられていたから、その座はあり得ない。

 公爵家ともなれば王家との繋がりに旨味は薄いのかも知れないが、掲げるものがあった当時十歳の私には都合がよかった。

 

 『よろしくお願いいたします、お父さま』


 そうして二つ返事で頷いたのだった。それから第二王子殿下との顔合わせに、王子妃教育の開始。公爵家での勉強にと忙しい日々が続いたが、苦を感じることはほとんどなかった。

 とはいえ器用な方ではないから、難儀することもあったし心が折れそうになることもあったが、五年の間に婚約を白紙にされていないということは、私が認めて貰えたという証。


 ヘルベルト殿下との仲は良くもなく悪くもなくという関係だったが、学院へ入ると状況が変わった。


 月に一度の茶会も初めて取りやめる旨の知らせが届いたし、私の窘めもなかなか受け入れてもらえない。特進科へと転科した平民の内の一人が原因であることは明らかであったが、愛妾にするというのならば問題はないのだが殿下から明言されていない。一抹の不安を感じつつ、学院へと進んでから一ヶ月の時間が過ぎるが、日々は変わらず過ぎていった。


 どこかで引っ掛かりを感じていたものが、今日氷解した。


 彼女たち三人に王城で声を掛けた時から抱いていた違和感だった。


 ――今でもあの光景は私の心の中に強く鮮明に残っている。


 仲良さそうに熾した火を三人で囲み、和気あいあいとしている彼らの幼き頃を。

 王国では珍しい黒髪黒目の少女と赤髪で瓜二つの顔の男女。どうして忘れてしまったのかが不思議に思えるほどにするすると簡単にあの時の光景が蘇る。


 とはいえ彼らは私が知っているとは露にも思わないだろう。――いや違うか、知っていたと言う方が正しい気がする。


 『どうしたのです?』


 まだあどけなさの残る八歳頃の筈だ。社交シーズンを迎える時期となる故に父と母に連れられ公爵領から王都へと入った直後のことだった。

 突然止まる馬車に疑問を浮かべると、父と母も同じ様子だった。まだ城下街だから公爵邸までには距離がある。


 『――ああ、どうやら事故のようだね』


 『まあ』


 馬車の窓から御者に声を掛け、外の様子を聞いたようだった。時折起こるもので、そう珍しいことではない。おそらく前を行く馬車が脱輪でも起こして立ち往生したのだろうと溜息を吐いた。久しぶりに祖父に会えるというのにこんな所で足止めを喰らうなど、と幼いながらに考えていた記憶がある。


 『待つしかないね、仕方ない』


 避けることがままならない場所なので、苦笑を浮かべながら窓枠に肘を掛けて頬杖をついている父にため息を吐く母。直ぐに動き出すのかと思えば、随分と待たせている。公爵家の家紋が付いた馬車が後ろに止まっているというのに、前を塞ぐ人は何を考えているのだろうか。痺れを切らしたのか父が再度御者とやり取りをしていた。


 『なにか揉めているようだけれど……出る。――二人はここで待っていなさい』


 話すこと暫く、父が公爵家嫡男としての顔になる。どうやら窘めに行くようだ。父が出ていけば大抵の問題は解決してしまうだろう、荒業にはなるが公爵家の名を出せば逆らえる者は居ないのだから。


 『旦那さま……遅いわね』


 母がポツリと零した言葉は純粋に心配してのことだろう。そうして御者と一言二言交わすと、公爵家お抱えの騎士が数名現れて『待っていなさいね』と私に告げて外へと向かう。

 一体なにをしているのだろうと少しばかりの苛立ちを感じて、言いつけを我慢できずに外へと向かってしまったのは、若さ故の無知と無謀さだったのだろう。


 『――あっ……』


 お待ちくださいお嬢さまという護衛の言葉を無視し、父と母の下へと駆けよればそこには路面に倒れた血塗れの少年とその彼を抱きかかえる黒髪黒目の少女の姿を私は捉えたのだった。

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