第32話:【後】孤児のように強く。

 馬車から飛び出した私の姿を見た父は大きくため息を吐き、母は目の前の凄惨な光景に持っていた扇で口元を隠していた。護衛の騎士たちもこの様子を静かに見守っている。


 『ソフィーア、来てはいけないよと言ったのに』


 『見ては駄目よ、ソフィーア』


 『……いや、見せるべきだよ。――凄惨ではあるが見るべき現実だ』


 こちらへと近づき目を塞いで隠そうとした母を父が止めると、周りの騎士たちもぎょっとした顔を露にする。今更だが八歳の子供に見せるべき光景ではないが、父の判断はきっと間違っていなかった。


 『仲裁に入ろうとしたんだけれどね……女の子が凄い剣幕で怒ってて、情けないことにこれ以上事を荒立てないようにと見守るしかなかったんだ』


 機を逃してしまったねえと目を細めながら、顎に手を置く父。事情は周囲の野次馬たちから護衛の騎士が聞き出したようで、それを父が私に語り始める。


 どうやら馬車の前を横切った少年に馬が驚き興奮したので、その場に留まることを余儀なくされたようだ。馬車の家紋をみると、当時は成り上がりで良い意味でも悪い意味でも評判だった貴族家だった。黒髪の女の子が少年を庇い馬車の前を横切ってしまったことを、馬車に乗っていた当主に謝罪をしたが腹の虫が収まらなかった。

 護衛の騎士から剣を抜き少年を叩き切ったそうだ。身寄りのない孤児だと知ったうえで。誰も咎めるものがいないと理解したうえで。

 

 『どうしてっ! 何故、切ったのですかっ!!』


 食べることもままならず痩せ細っているというのに、よく響く声だった。そして周囲の人間を惹き付けている。身動き一つしない同じように痩せ細った少年をか細い腕で抱え、泣いていた。


 『あ、何故切っただと? 笑わせるな、貴族の馬車の前を遮るという大罪を犯した貧民街の餓鬼を処分したまでのことだっ!!』


 疑問を投げかけた少女に醜悪な顔を晒しながら剣を彼女の鼻先へと向け咆哮した。


 『彼は必死に毎日を生きていましたっ! そんな理由でっ……!』


 そんな男を真っ直ぐに見据え目を反らすこともせず、ただ見上げ叫び睨みつけていた。ここで屈してしまってはいけないのだと如実に語るように。まるで死など恐れていないように。


 『――もう止めろ、戻るぞ』


 『帰ろう、ね?』


 そんな少女の下に新たな少年と少女が現れた。どうやら少女の仲間内らしい。肩を掴み戻ろうと説得しているけれど、血塗れの少女はそれを拒む。

 貧民街の子供が街の大人に……しかも貴族相手に真っ向から問い詰める光景など初めて見た。場所柄故にいろいろと諦め、なし崩し的に生きることだけに主眼を置いているそんな人間たちだ。――だというのに。


 『貴方が彼の命を奪う必要までなかった筈ですっ!!』


 何故命まで奪ったのかと責め立てる。隣で誰かが飢え死んでしまっても、泣き叫ぶこともなくただただ死んだという事実を受け入れ、死体回収が訪れるのを待つだけだというのに。

 野次馬たちは叫んでいる貴族よりも、嘆いている少女たちに同情的だった。その場の空気は、興味本位で覗いていた好奇心から少女たちへの同情的なものへと変質する。


 『五月蠅いぞ、餓鬼っ! 貴様も同じような目になりたいのかっ!!』


 場に流れる空気を敏感に感じ取った貴族が慌て始めた。どうやら事を早々に収めたいらしいが、やりすぎれば悪評が立ってしまうと理解していたのだろう。

 口々に呟かれる王都の民の声を聞き焦っている貴族は言葉とは裏腹に、三人を切ることができないでいるのだから。


 『……ぐぅっ! 貴様ああああああああああああ!!』


 『――待ちなさい』


 大上段で構えた剣を振り下ろそうとしたその時、父の静かな言葉が街中へ響くと同時に剣と剣が鍔ぜり合う音も鳴る。

 護衛の騎士が貴族と少女たちの間に入り、両の腕で振り下ろそうとした剣を一閃し片腕一本で剣を携え静止させていた。


 『これ以上は貴卿になんの得にもならぬだろう?』


 『あ、貴方さまはっ……!!』


 『この場を大事にしたくないのならば、もう引きなさい。ここらで潮時だ』


 あくまで穏やかな声で相手を諭すように言ってはいるが、父に逆らえる者などそうそういない。次期公爵家当主という肩書は貴族の世界では幅を利かせるものなのだから。野次馬たちからは安堵の息が漏れ、孤児の少年少女たちへと同情的な視線が向けられていた。


 『…………っ、はい。お目汚し、申し訳ございませんでした』


 ここで悪態をついて去るようならば貴族なんてものにならない方が本人の為である。いかなる理由であれ公爵家の人間に謝罪がなければ言い掛かりをつけられていた可能性もあるから、成り上がりと言われるだけの実力はあるのだろう。ただ小物ではあるが。


 『ここに居る彼らも明日になれば今のことを忘れているよ。そのくらい貧民街に住む人や孤児の命は軽い』


 騒動が収まり出来ていた人だかりは、まばらに散り始めた。その光景を見ていた父は私に語り掛ける。


 『お父さま、それはどうしてですか?』


 『難しい質問だがこれだけは答えられる。貧民街は無法地帯、犯罪の温床になっているからそれを街の人間は煙たがっているんだ』


 巻き込まれたくない気持ちはまだ幼い当時の私でも理解は出来ていた。ただ何故弱者である彼女たちがあのように虐げられているのか、軽視されているのか納得ができず。


 『腹が立つかい?』


 道の端へと寄り、切られた少年を抱え血に塗れた黒髪黒目の痩せ細りいまだ涙を流す少女と赤毛の双子のきょうだいを見て、言葉にはせず小さく頷くだけに留めた。


 『そう。――ならば沢山知識を手に入れ咀嚼し考え、行動に起こしなさい。君にはその力があるのだから』


 父の言葉に再度無言で頷くと、私の頭に手を置いて優しく微笑んだ。手を置いて撫でるなんて初めてではなかろうかと考えながら、親の温かさすら知らず彼らは生きているのだと、子供ながらに苦い気持ちを抱いた。


 ――何故、忘れていたのだろう。


 火を囲んでいる三人を見る。幼い頃の面影はあまり残ってはいないが、記憶と照らし合わせれば十分に彼らだと断言できた。黒髪黒目は珍しいというのに学院で初めて声をかけ、ネクタイを締めなおさせた時に気付けなかったのは随分と間抜けである。


 ただ成長した彼女と昔の彼女とは違っていた。貧民街に住む人間と思い込んだ所為もあるのだろうが、随分と肉付きが良くなっていたし背も伸びて悲壮感というものが全くなかった。


 そしてようやくあの時を彷彿とさせる血濡れた彼女の姿で、忘れていた記憶が蘇った。

 彼女たちは過酷な環境下で生きて……生き延びていたのだな。


 『ソフィーア、きっと君が将来守るべきものだよ。――さあ、馬車へ戻りなさい』


 彼らは取りこぼされた者たちだ。救いの手を誰も差し伸べず、見捨てられた者。父は彼女たちを救えといった訳ではない。彼女たちと似た境遇の子を、自身で手に入れた力で救い上げろといったのだ。

 だから……私は、弱き者を救い上げてみせると誓った。肥え太った理不尽な大人に立ち向かった強さと勇気に、私もああやって立ち向かう為の強かさを。


 あの日あの時、何もできずに見ていただけの私が思うことではないのかもしれないが、それでも彼らが生きていたことに嬉しさを覚えて。


 ――もう一度誓おう。


 誰も知ることのない独りよがりの誓いだけれど。私はきっとその立場を手に入れることが出来るのだから。


 楽しそうに喋っている彼ら彼女らをもう一度見る。


 私が上を目指すと決めた立脚点だ。その姿を目に焼き付け彼女たちに神の加護がありますようにと願いながら、その場を後にするのだった。

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