第27話:名前で呼びなさいな。
――行軍訓練は続いてる。
森の中で一体どのくらいの時間をさ迷ったのだろうか。流石に体力のない人たちは疲れているようで、途中で休憩を挟んだりしていた。慣れない森の中、魔物や生き物に気を配りながら、歩いているのだから当然か。
「ん?」
「あら」
「なんだ貴様らか」
前が見えないほど生い茂っている草むらから抜けると、ソフィーアさまと辺境伯令嬢さまに、騎士科の女性数名に護衛の人たちと鉢合わせしたのだった。私たちの姿を視認した途端に安堵の表情を浮かべていたので、どうやら魔物か獣にでも間違われていたようだ。
しかしまあ護衛の人数が凄いことになっている。
学院の騎士科の人たちが彼女たちを守るのは訓練だから当然として、私たちには軍の人が数名一緒に行動を共にしているけれど、彼女たちには軍の人間数名と正規の騎士が十名ほど就いていた。随分と大所帯ではあるけれど、彼女たちは殿下や伯爵家子息の婚約者。今更死なれて婚約者探しなんて大変だから、こうして警備も厳重なのだろう。
「血が付いていますわね?」
「怪我をしたのか?」
「いえ。先ほど二人が倒した狼の肉を捌いていたので、その血が服についてしまったようです」
ジークとリンに視線を寄こして、彼らが倒したのだとアピールしておく。私は狼を倒せるような魔術は使えないので、勘違いされても困るし。彼女たちは貴族だからおそらくそれなりの魔力を有しているだろう。そして幼い頃から十分な教育も受けているから、狼くらいならば簡単に倒せそうだ。
まあその前に騎士科の彼女たちの出番だろう。
その為の訓練だ。護衛対象に獲物を取られたなどと噂を立てられれば、メンツが潰れてしまうだろうし。
「そうか」
「しかし、生臭いのは頂けませんわね。近くに沢がありましたから、落としてくるといいですわ」
「だな。――他の魔物や獣が臭いにつられる可能性もある。騎士や軍の人間が居るとはいえ魔物が出る森だ、用心するに越したことはない」
確かに臭うのかも。獣の生血だし、変なものを引き寄せてもジークやリン、そして軍の人たちを危険に晒してしまうから助言をありがたくいただこう。
「お気遣い、感謝いたします。ソフィーアさま、ヴァイセンベルクさま」
名を呼ぶ順番にも気を付けてたのだけれど、不敬になっていないよね。難しいよね、こういう貴族特有のしきたり、とでも言おうか。
「かまいませんわ、同じ学び舎で共に過ごしてきたのですから、そのような畏まったものなど必要ありませんことよ? ――ところで何故わたくしだけ家名なのです?」
「呼べんだろう、彼女は平民――私は許可を出したからな」
辺境伯令嬢さまにソフィーアさまがため息を吐きながら、私の代わりに答えてくれた。
「あら、あの娘も平民でしょう? この間、アレに苦言を呈していましたら話に割って入ってきて、わたくしに向かって堂々と名を呼びましたわよ? ――とても愉快でしたが」
アレというのは婚約者のあの人だろう。何故こんな森の中にまで鉄扇を常備しているのか理解できないけれど、どこからともなく出てきた鉄扇が軋む音が聞こえてきたのだけれど口元だけ笑って、目が笑っていなかった。同じ屋根の下で学んできた人間にカウントされていないヒロインちゃんに少々同情しつつ、怒りを露にして辺境伯令嬢さまは言葉を続けた。
「躾が必要かしら……?」
「どちらに……いや、アレらに躾が入るのか?」
割と酷いことを二人とも言っている気がするのだけれど、あの五人とヒロインちゃんの行動を見ていれば疑うのは仕方ない。殿下も伯爵家嫡子も彼女たちから、なんらかのアクションを起こされているというのに変化が一向に見える気配がない。特進科だけだったものが周囲にも噂が広まり始めているので、どうするのやら。
「どちらにも。そして入らないのならば無理矢理にでも言い聞かせましょう――って話が逸れていますわね。わたくしのことは家名で呼ばず名を呼ぶことを許しましょう」
「ご厚意有難うございます。セレスティアさま」
「ええ、ナイ。立場さえ弁えていれば、こうして友好な関係を築けることでしょう。それに気付かせて頂いた貴女には感謝いたしますわ」
私の名前を憶えていてくれたことに驚きつつ、とんでもない事でございますと答えて小さく礼をする。そうやって気付くことが出来たのは本人の素直さ故なんだろう。平民を貴族ではないからとあからさまに嫌う人もいるから、こうして仲が良くなれるのなら喜ばしいこと。とはいえ滅多にお近づきにはなれないだろう。やはり、貴族と平民には壁がある。
「では、血を落としに行ってまいります」
「ええ。十分に汚れを落としていらっしゃい」
「ああ、気をつけてな」
二人と女騎士候補の人たちに頭を下げて一路沢を目指せば、彼女たちも再び森の奥へと消えていったのだった。
――ところで狼の肉って美味しいのかな?
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