第2話:孤児って大変。聖女って。

 若くして死んだ、何故か転生した。でも、生まれた先は最底辺である貧民街の孤児だった。


 ――死ねば無に還るだけ。


 そう思っていたのに。目の前にある現実は酷かった。頼るべき親が居ないうえに現代社会であった日本とは程遠い環境で生き残るというのはかなりの難題。不衛生だし、まともにご飯にありつけない日がザラにあったし、寒さに凍えて死にそうだったりと小さな子供にはハードモードだった。

 貧民街という小さなコミュニティーで孤児仲間で徒党を組み、盗みやスリも当然働いたり、悪さをしてようやくあり付けた食べ物を大人に奪われたりと、精神を随分と鍛えられたものだ。


 そんな日々を過ごしながらようやく十歳――多分だけれど――を迎えた頃に転機が訪れる。


 街と貧民区域を隔てるただ一つの通りを武装した兵士たちが道を塞ぐと、ぞろぞろきょろきょろと厳しい視線をあちらこちらへと向けながら進んでいき少し広くなった場所で立ち止まる。


 「黒髪黒目の餓鬼の女が居るはずだ! 調べはついている、出せっ!」


 周囲に響くように張ったその声は、異様な雰囲気を感じ取り身を隠していた私たちにも届いた。その言葉に自分が当てはまるなあと、どこか他人事のように考えていれば周囲の視線が刺さる。

 こうして兵士が貧民街に現れるのは、罪を犯した者を捕らえるときだけ。身に覚えがありすぎるし幼い子供でも容赦なく連行されるので、孤児仲間のみんなで建物の物陰に隠れていたのだけれど、どうやら今回の標的はピンポイントで私だった。


 ――『出てこい』ではなく『出せ』か。


 貧民街で黒髪黒目は私しか居ないし、街に繰り出しても黒髪黒目の人を見たことがない。この街に住む人たちは、約半数がブロンド系で残りは茶や赤。驚いたことに、紫色や青に緑色をした髪色をしている人も見たことがある。

 瞳の色も様々で、前世の日本ではあまり――というよりもテレビの中ですら見たことのない色彩の人が居るのだから驚きである。


 「ナイ、お前のことだ。どうする?」


 私に声を掛けたのは、ここ数年の付き合いである双子の兄のジークフリード。ざんばらに切られた短い赤毛を揺らし、濃い紫の目を細めて心配そうに私を見ている。

 ナイ、は私に名前が付けられていなかったので適当に自分で付けた。生まれ変わる前の名前はこの辺りの街だと特徴的で使えないし、生まれ変わった先の文化や情勢を知らないので無難な所と考えていたのだけれど、結局思いつかず適当だった。もちろん家名なんて立派なものはない。


 「このまま隠れていても仕方ないし、行くよ」


 隠れたまま逃げることも出来るけれど、貧民街の扱いは低いうえに雑である。兵士の指示に従わないならば、強制的に家探しが始まってしまう。以前に罪を犯した貧民街の住人を捕まえに来たときは大変だった。

 犯人が逃げたから、しらみつぶしに家探しを敢行されて荒らされ、見つからないことに腹を立てたまま帰っていったのだ。もちろん探しに来る兵士にもよるのだろうけれど、貧民を丁寧に扱う人間などほぼ居ない。


 「……行っちゃ駄目」


 ぼろぼろになっている私の服の裾を引っ張ったのはジークフリードの双子の妹のジークリンデ。少し涙目になりながら私に行くなと見つめている。周りにいる他の孤児仲間数人も同じように行くなと無言で訴えているけれど、このままの状態ではいけないことは確か。


 「出ていかないと大変なことになるし、逃げても失敗するだろうからね」


 十歳程度の子供が逃げてもたかが知れている。お金も頼る人も居ないので、この街の出入り口である門にすらたどり着けない可能性だってあるのだし、私が逃げれば必然いつもつるんでいる彼ら彼女らも一緒に付いてくるだろうから、その先の未来に起こることを想像するのは簡単だった。

 それならば私一人の犠牲で済めば安いものである。運が良ければ、またここに戻ってこられるだろう。苦笑しながらジークリンデが握っている裾の手に自身の手を伸ばしてやんわりと離すように促した。


 「ジーク、みんなをお願いね」


 「……戻ってこいよ」


 今まで見たことのない真剣な表情で私へ言葉を投げたジークフリード。大人に媚を売ることができなかった仲間と徒党を組んで生活していた。同年代の子たちよりも私は小柄だったので力仕事には向いていなくて頭を働かせていたのだけれど、いつの間にか大人に媚を売れなかった孤児たちのリーダー格に納まっていた。

 ジークフリートとジークリンデとは一番長い付き合いで、いろいろと一緒に考えながらこの場所で数年間生きてきたのだ。私が居なくても二人が居れば、他の子たちも大丈夫だから。


 「ん」


 こくりと頷き、彼の言葉の返事代わりとした。貧民街に住む大人が街の治安を司る兵士に捕まり戻ってくることは早々ない。戻って来たとしても、ぼこぼこにされて暫く身動きが取れないほど痛めつけられている。一応子供の身なので酷いことにはならないだろうという楽観もあるのだけれど、どうなるやら。最悪、死ぬことも覚悟しておかなければならないだろう。


 わざと物音を立てて、隠れていた物陰から身を現すと兵士たちの視線が一斉に刺さる。本日は雲一つない晴天。貧民街にぽっかりと空いた小さな広場には遮るものがなく、目を細めて少しだけ装備が違う大柄な中年男性の下へと歩いていくと、その周りにいた兵士数名が私を捕らえようと手を伸ばす。


 「待て。――乱暴はするなと厳命されているだろう」


 「ですが隊長……逃げられては困ります」


 やましいことをしているから、貧民街の子供は兵士をみると静かに距離を取って隠れるからその人の判断は正解だ。出来ることならば逃げ出したいけれどもう遅いし、覚悟は決まっている。


 「おとなしく出てきたんだ。逃げやしねーよこのお嬢ちゃんは、多分……な」


 ふうと浅い溜息をひとつ零し私に近づいて隣に立つ隊長さんが数瞬後に怪訝な顔になった。何事だろうと顔を見上げると、嫌な顔をしてこちらを見下ろす。


 「うおっ、くっせっ! お前、かなり臭うぞ」


 うっさいやい、大きなお世話だ。マトモにお風呂に入った記憶なんてゼロだし、貧民街だなんて環境の所為で水浴びや清拭すらできないのだから。嫌な顔をしながら距離を取れと、装備していた槍の石突で私を小突く隊長さん。


 「隊長、子供相手にそれは酷いッス」


 まだ年若い青年が、隊長さんと私のやり取りをみかねて苦言を呈したのだけれど、まあ臭いのは事実だろう。お風呂、入ってないし。


 「んなっ、物凄い臭いんだぞ、コイツ。お前も嗅いでみろ」


 「……――、っ! げほっ、げほっ!!」


 膝に手を付き腰を曲げすんすんと鼻を鳴らして私の臭いを嗅いだ青年は、見事に咽込んだのだった。

 

 「まあ、いい。行くぞ、悪いようにはせんから俺たちについてこい」


 そんなこんなで兵士たちに連れてこられたのは、この街で一番大きい聖教会。時折炊き出しを催しているので何度かお世話になったことがあるが、そういう時だけにしか近づかない場所だった。

 正面の大きな扉を兵士数名と一緒に通り抜ける。静かに閉まる大扉の蝶番の音がホールに響く。数多くの信徒席が左右に別れて設置され、正面には主祭壇があり周囲の窓は立派なステンドグラス。聞いた話によると、聖教会に関わりの深い情景が表されているそうだ。


 「よくきてくれたね。――…………まずは身を清めようか」


 祭壇には長い白髪に白い髭を蓄えたいかにも神職ですと言わんばかりの格好に身を包まれた年を取った男性が立っており、にこやかに迎え入れられた。

 が数秒後には顔を顰めてそんなことを言われた。口には出さなかったが、また言われてしまったことに若干ショックを受けつつ、新たに現れたシスターの格好をした年配の女性数名に地下へと案内され、水浴びを強制されたのだった。出来ることならシャンプーを使って髪も洗いたかったが、贅沢は言っていられない。

 むしろ体を布でこすれば数年間分の垢がごっそり取れたのだから、随分とさっぱりした記憶が今でも鮮明に残っているのと同時、ガリガリにやせ細っていた私を見て同情の視線を寄せるシスター数名の視線も忘れられない。


 そうして中古品ではあるが子供用の服を与えられて主祭壇へと戻ると、先程の男性が水晶玉のようなものを携えていた。


 「これに手を翳してみてくれるかな」


 「……」


 彼に言われるまま水晶に手を翳すと、丸く奇麗な珠が光り輝く。周囲でそれを見ていた兵士やシスターが驚いた顔をして、少しざわつき始めた。


 「おおっ!」


 「これは……すごいっ!!」


 状況を掴めない私は目を白黒させていた。感心していないでこの状況をまず説明して欲しいし、すごく眩しいので目が変になってしまいそうなんだけれども。周囲が歓喜の色に包まれる中、変化が訪れた。


 「あ……げっ」


 割れた。割れたのだ、それはものの見事に。孤児の私が一生かかっても弁償できそうもない正体不明の水晶玉にだ。ヒビが入ると一瞬だった。一筋の亀裂が幾重にも分かれて最後に悲鳴のような割れた音が鳴り、主祭壇を煌々と照らしていた光が消えると、私の背には冷や汗が流れる。


 「素晴らしいっ! 長く司祭として生きてきたが、測定器がこのような反応を見たのは初めてだっ!!」


 何が素晴らしい、だ。私の人生を賭しても返済できないようなモノが壊れてしまったというのに。子供に返済義務はないのかもしれないが、流石に教会の備品であろうものをこうしてしまった責任はあるだろう。無償奉仕とかで済めばいいけれどと色々と考えていると、機嫌よさげに年配の神父さまは私にこう告げた。


 「よくいらしてくださいました。――聖女候補さま」


 そうして深々と頭を下げ周りにいるシスターも頭を下げていたし、兵士は胸に手を当てて礼を取っていた。事情を全く以って呑み込めない私は、十歳の子供に大人たちが頭を下げるという異様な光景を大人しく見ていることしかできなかった。

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