第7話 ヒコットランド高等学院の後輩達
「お嬢様。そのコートですが、私のと交換してもらえませんか?」
出がけは貸さないと言ったはずのマサオがどうしたことなのか?
「なんじゃあマサぁ? ワシのコートが羨ましゅうなったんかぁ? じゃが悪いのぉ。こいつぁワシがクロから貰うたもんじゃけぇの。誰にもやれんのじゃいや。」
「失礼しました。」
もちろん違う。ナルミアーナが着ているコートはマサオのボロいコートと比べても数段落ちる品だからだ。そんなコートを着させるぐらいなら自分のを着てもらった方がまだましと考えただけのことだったりする。
「歌ぉたら腹がへってきたのぉ。酒場以外でどっかええ店ぇ知っちょるか?」
「もちろん知ってはおりますが……」
「そんだら案内せぇ。ちぃと早ぇが昼飯にするけぇの。」
「かしこまりました……」
庭師であるマサオが知ってる店だ。場末の大衆食堂かそこらだ。そんな所にお嬢様を連れていきたくない、マサオは心からそう思っていた。
「こちらです……いいんですか?」
「ほお。ええ匂いがすらぁや。入るでぇ。おめぇも好きなもん食えぇのぉ。」
「はぁ……」
ガラガラと音のする扉を開けて中に入った二人。
「らっしゃーい」
「二人じゃあ。フルコースで持ってこいや。」
「はぁ? えーっと、たくさん食うって感じ?」
「おう。ワシぁようけ食うでぇ。のおマサ?」
「ええお嬢様。お任せで二人前頼む。酒はいらない。」
「はいよー」
「えーと、お勘定は銀貨二枚と銅貨八十枚でーす。めっちゃ食べたね……」
昼なら定番の定食で銅貨五枚の店でどれだけ食べたのか。
「じゃ、これ。」
マサオが渡したのは金貨一枚。
「げ、えーっと……お釣りは……」
「おう、ツリぁいらんでぇ。美味かったからのぉ。次ぁ
「あー無理。でもまた来てねー」
「おう。料理長に美味かったって言うとけや。またの。」
「料理長? いないけど言っとく」
上機嫌で店を出ていくナルミアーナ。
「おうマサぁ。おめぇええ店知っちょるのぉ。三級品の材料でええ味出すわぁや。ワシぁ気に入ったでぇ。」
「それは何よりです。次はどこに行かれますか?」
「そうじゃのぉ……教会にも行きてぇが、その前に学園にちぃと寄るで。」
「学園ですか?」
「おお。昨夜ぁ無様に逃げ帰っちまったからのぉ。今後の人生でもう行くこたぁねぇじゃろうけぇ、しっかり見とこぅ思ぉての。あれでも三年通った母校じゃけえのぉ……」
「いいですね。行きましょう!」
在学中、ナルミアーナは学校まで馬車で通っていた。その時の道をただ歩く。それだけでなぜか心が浮き立つのを感じている。
服装がいつもの窮屈なドレスでないことも関係しているのかも知れない。
しかし、そんな気持ちも学園が近付くほどにたちまち消え失せ……ナルミアーナの足は重くなっていった……
「お嬢様、やはり教会に行きませんか?」
「情けねぇのぉ……腹ぁいっぱいになって元気もいっぱいになったかぁ思うたが……学園が近付いてくると……どうしてもトシのことぉ考えてしまうのぉ……」
「お嬢様……」
「笑えぇマサぁ……聖女じゃあ貴族じゃあ言うても……男に捨てられたぐれぇで歩くこともできんよぉなったワシをのぉ……笑えや。情けねぇ……」
重くなった足は完全に止まり、学園を遠くに見ながらナルミアーナは立ち尽くしていた。
「お嬢様、無礼を承知で申し上げます。もし今トシスイ王子が現れて『昨夜の事は嘘だ。僕が好きなのは君だけだ』と言ったとします。嬉しいですか?」
「嬉しい……そうじゃの……嬉しいのぉ。きっと天にも昇るたぁそねぇな気持ちなんじゃろうのぉ……」
ナルミアーナの頬がほのかに赤く染まる。
たが……
「じゃが、もう無理なんじゃのぉ……ワシが浅はかじゃったわぁ……例え本当にトシにそねぇ言われても、もうワシぁトシを信じれんよぉなっちょる。おめぇに言われるまでそねぇなことも気付かんとはの……ははっ、笑えぇマサぁ。昨夜からあんだけ取り戻す取り戻す言いよったもんが……もうこれじゃあ。我ながら笑うしかねぇでよ……」
「お嬢様。我ら家臣一同はお嬢様がお望みになることは全て叶えるつもりです。お嬢様がもう王子に用がないとすればウニミさんも方針を変えるでしょう。シーカンバー様だって寄り添ってくださるはずです。お嬢様は心の赴くままにお過ごしくださればいいのです。」
ナルミアーナの頬を涙が伝う。タダオの胸で号泣した涙とも違う。一筋の煌めく光。
「行くでぇ。学園の外周をぐるっと回ってから……帰るかのぉ……」
「教会には行かれないので?」
「はぁええ。ちぃとウニミやタダオの顔が見とぉなったんじゃあ。」
重くなった足を引きずるようにして学園の正門前まで来たナルミアーナ。煌びやかな建物、見窄らしい二人。それでも堂々と歩く彼女をマサオは誇らしく思っていた。
もっともナルミアーナは自分の姿を見窄らしいなどとは微塵も思っていない。トシスイ王子に着飾った姿を見て欲しいという想いこそあったものの、どんな姿であっても自分は自分だとの意識があるのだろう。
ナルミアーナたちの前には女学生が横並びで歩いていた。会話に夢中でかなりペースは遅い。
「それよりねぇ聞いた? フランソワーズの話!」
「聞いた聞いた! トシスイ王子の婚約者に決まったんだよね!」
「かなり無茶したっぽくない? だって昨日の今日だよ?」
「どうせ前々から決まってたんじゃない?」
「それもそうね。てゆーかさー、ナルミアーナ様かわいそすぎじゃない?」
「昨日のパーティーの感じだと平気そうだったけど?」
「そんなわけないじゃん! だってナルミアーナ様ってトシスイ王子大好きじゃん? 私三年の先輩から聞いたもん」
「うっわーきっつー。王子終わったわー」
「つーかマジでどうなると思う? どう考えてもナルミアーナ様としちゃあ収まるわけないじゃん? メンツ潰されまくりじゃん?」
「兵力ならマウントマウス家、財力ならヒラミヤコ家ね。そこに王家が加わるから……やっぱマウントマウス家の負け?」
「やっぱ戦争かな……当然だよね」
「まあ王家の出かた次第じゃない? 王子だって全ての責任とるとかおっしゃってたし」
「戦争にぁならんでぇ。」
後ろを黙って歩いていたナルミアーナが不意に声を発した。
「え? うっわ、きたなっ……」
「いきなり何言ってん……えっ!? まさかナルミアーナ様!」
「ほ、ほんとだ! ナルミアーナ様! そ、その格好は……どうしたことで……」
「あっ、分かった!
「え? 何それ?」
「知らないの? いかに下民ぽい格好をするかを競うんだって。街に出て最後までバレなかったら勝ちみたいよ?」
「ナルミアーナ様には無理ですね! 私だってすぐ気付きましたもん! あ! そんな遊びをされてるってことは、もしかしてもうすっかりお元気になられたんですか!?」
「ですよね! ナルミアーナ様っていつも凛々しくて麗しくて美し
「これぁワシの普段着じゃあ。それより街のモンを下民じゃあ言うもんじゃねぇ。ワシらが貴族ヅラしちょけるんもあいつらがきっちり働いてくれよるからじゃろうが。のう? そねぇ思わんか?」
手前の後輩の頬を撫でながら優しい声で言い聞かせる。口調は優しくなかったようだが。
「あ、はぁ……そんなに見つめられると……」
「ズルい……私だって!」
「はい! ナルミアーナ様のおっしゃる通りだと思います!」
「なんてお優しい……はぁん……」
「分かりゃあええんじゃ。それにのぉ。マウントマウスと王家が戦争になるこたぁねぇ。じゃけぇおめぇら心配せんでええけぇの。」
「あはぁん、ナルミアーナ様の心ってどこまで広いの……」
「はあん素敵……」
「あんな目に遭わされたのに……心の中まで聖女なんですね!」
「コートの臭さとナルミアーナ様の香りが混じって……倒錯と悦楽の彼方に飛んでいきそう……」
「ワシぁもうトシのこたぁきっぱり忘れたけぇの。じゃけぇトシが誰と婚約しようがもう関係ねぇんじゃ。おめぇらもあんま知ったげに話すもんじゃねぇけぇの。」
知ったような口をきくな。ナルミアーナはそう言っている。彼女たちにどこまで伝わるかはともかくだが。
そして、ナルミアーナとマサオは再び歩み始めた。
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