第6話 スラムに降り立った歌姫
「おうマサぁ。おめぇ普段はどこで遊びよるんじゃあ?」
「そうですね、だいたい酒場か賭場ですね。」
本当は娼館にも時々は行くのだが、さすがにナルミアーナには言えなかった。
「酒場かぁ。酒ぇ飲むんは夜でええ。賭場も気分じゃねぇ。そんだら他にゃあ……思いつかんのぉ。おうマサ、思いつかんから歩くでぇ。こねぇしてのぉ?」
「お、お嬢様、それは……」
ナルミアーナが手にしていたのは棒っきれ。そこらで拾ったのだろう。
「こいつをのぉ。こうやって、投げるわけいや。おお、左じゃの。」
きっちりと区画整理された王都である。まっすぐ進むか左右へ曲がるかの選択肢は無限にある。そこでナルミアーナはその選択肢が発生するたびに棒を投げては道を選ぶことにしたらしい。
それから二時間は経っただろうか。まだナルミアーナはその遊びに興じている。
「こうやって目的地を決めんと歩くんもおもれぇもんじゃのぉ。」
「お嬢様、ここらで引き返しましょう。」
「ぼけぇ。まだ昼にもなっちょらんわいや。王都は広いんでぇ? まだまだ歩くけぇのぉ。それともおめぇもう疲れたんか?」
「いえ、そのようなことは。ただここらはスラムで少々治安が悪うございますので。」
「そんぐれぇ知っちょるでぇ。教会にはスラムのガキらぁも来るけぇのぉ。どぉら、そんだらちょうどええ。おめぇにゃあまだ聴かせたことぁなかったかのぉ? ワシの歌声をのぉ?」
「お嬢様の歌声……ですか?」
「おおよ。ワシぁこれでも
「ありがとうございます。ありがたく聴かせていただきます。」
空き地の中央に歩み寄り、くるりとマサオの方を振り向く。ナルミアーナの顔から普段の親しみやすさが消えていた。
『黄泉の旅路に 残された汝よ
誰よりも孤独な そなたの魂よ
遠い空の下 一人戦う汝を想いて
我らはこの空に 歌を届ける
誰かのために 戦うのも
自らのために 戦うのも
何の変わりがあろうか
歩くのをやめた者から老いていき
老いた者から死んでいく
だから我らは戦う
例え魔境の露と消えても
だから我らは歌う
例え魔境の屍となりても
汝にこの声が届くまで』
辺り一帯に響き渡ったナルミアーナの肉声。マサオはあまりの衝撃に声も出せない。
「どうじゃあマサぁ? ワシもなかなかええ声しちょるじゃろうがぁ。おっとそうそう、この曲ぁの。遥か南方はチクフォズカ大魔境に挑んだ冒険者の歌じゃあ。仲間を失っても一人で戦い続けた男らしいでぇ。」
「お、お嬢様……」
「なんじゃあ?」
「感動しました! なんて澄んだ歌声! これが天使のざわめきとまで称されるお嬢様の歌声なのですね! 涙が止まりません!」
「ばぁーか。おめぇは大袈裟なんじゃあ。ほれ、他の奴らぁ見てみぃ。誰も泣いちょらんじゃろうがよ?」
はっと我にかえり周囲を見回したマサオ。先ほどまでは自分一人しかいなかったはずなのに。いつの間にか空き地には少なく見積もっても二百人を超える人々が集まっていた。
それだけの群衆が……確かに泣いてはいなかった……が……
ただ、皆一様に地べたに膝を付き、ナルミアーナに向かって祈りを捧げていた。
「おめぇらいつもそうじゃのぉ。たまにぁワシの歌ぁ立って聴けぇや。そねぇなことじゃあ次の曲ぅ歌ぉてやらんでぇ?」
ナルミアーナの声に一人、また一人と顔を上げる。
「おおそうじゃ。立て立てぇ。そんでもうちっと近ぉに寄れやぁ。次ぃいくでぇ!」
取り囲むスラムの民を相手に二曲、三曲と歌い上げたナルミアーナ。しかし、それが起こったのは気分よく次の曲を歌おうとした時だった。
「へくちんっ」
鈴が転げたような声。ナルミアーナのくしゃみだった。本来なら先に服を買いに行くはずだったのだが、散歩を継続するわ野外で歌い始めるわで上屋敷を出発した時と服装は変わっていない。寒いのも当然だ。
「おおぉ聖女様が……」
「いかん! 聖女様これ……」
「これも! これも着てくだせえ」
「いやこれだ! おれのコート!」
スラムの住人が我も我もと服を差し出した。春が近いとはいえ彼らにとっては、共に辛い冬を乗り越えた大事な上着ではないだろうか。
「そうじゃのぉ。そっちのおめぇ。おめぇのコートを貰うでぇ?」
「へへぇー! ど、どうぞ!」
五十過ぎの汚い身なりの男を全員が羨ましそうに見る。
そんな男が着ていたコートだ。きれいであるはずがない。むしろ薄汚れて穴まで開いている。なぜナルミアーナはそれを選んだのか?
「くせぇのぉ。おめぇよぉ、もぉちーときれいにせんにゃあおなごにモテんでぇ?」
「ご、ごめんす! き、気をつけるす!」
「おう。分かりゃあええ。こいつぁぬくいコートじゃあや。ありがとぉもらっとくけぇの。おめぇ、名前は?」
臭いと言いながらも何の躊躇いもなく袖を通した。それどころか平民以下の男に名前を尋ねる始末。例え下級貴族であっても、いや平民であっても考えられない行いだろう。
「へ、へい! クロダインともうしやす!」
「それかぁ。おうクロ、手ぇ出せ。」
「へ、へい!」
まるで物乞いが施しを受けるように手の平を上に向けて両手を差し出したクロダイン。
「違う。手をこうせぇ。」
ナルミアーナがしたように、手の平を横、内側に向ける。その間に彼女の右手が差し込まれ、クロダインの右手を握った。
「ワシぁナルミアーナ・クレ・マウントマウスじゃあ。クロ、おめぇのコートぁ大事にするからのぉ。」
「へ! へい! ありがとうござす!」
「ばぁか。礼を言うのぁワシの方じゃいや。そんだらお前らまたのぉ。たまにゃあ教会に顔ぉ出してみぃ。ワシがおるかも知れんけぇの。」
そして広場に集まった者たちは再び地べたに膝をついた。薄汚く穴の開いたコートを嫌な顔ひとつ見せず、いやそれどころか本当に喜んでいるようにしか見えない柔らかな表情で纏っているナルミアーナを見つめながら。
「行くでぇマサぁ。」
広場を去っていくナルミアーナ。薄汚いコートの背中に流れる黄金の髪は彼らにとって何よりも輝いて見えた。
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