第5話 庭師マサオ・エルボリバ

一夜が明け、喉の渇きとかすかな頭痛で目を覚ましたナルミアーナ。


「おはようございます。お水をお持ちしました。」


「おう、ありがとのぉ……」


口は悪くとも、たかだか使用人にしかすぎないイーガルにすら礼を言うナルミアーナ。いや、イーガルだけではない。ナルミアーナは全てにおいてそうなのだ。料理が旨ければ厨房に顔を出して料理長をねぎらい、庭園の花が美しければ庭師を直接誉める。もっとも、逆の場合でも同じなのだから使用人一同は油断ができないという面もあったりする。

身分が天と地ほども違うのに、どこまでも真っ直ぐ行動し、気さくに声をかけるナルミアーナ。家臣のみならず領民からも愛されているのは当然かも知れない。それだけに今回の一件がどう周囲に影響を与えることか。


「ふう……うめぇ……酒もうめぇが……その後に飲む水もうめぇもんじゃのぉ……」


「お嬢様が楽しまれたようで何よりです。朝食にされますか?」


「おお、肉が食いてぇ。」


「かしこまりました。では朝食後、トシスイ王子奪還に向けてのお打ち合わせをいたしましょう。」


二日酔いかと思いきや、ナルミアーナは朝から元気だった。昨夜あんなことがあったのに食欲はいつも通りらしい。




「ふぅ。うまかったでぇ。この黒血猛牛ブラックブラッドブルぁ焼き加減が絶妙じゃあ。ナムラにまたぁ腕ぇ上げたのぉって言っとけや。」


「かしこまりました。カワレザ料理長もお喜びになることでしょう。」


ナムラ・カワレザ。丁稚奉公から料理長にまでのし上がった腕利きの料理人である。


「そんでウニミぃ。どうすりゃあトシを取り戻せるんじゃあ?」


「はい。最も手っ取り早く確実な方法としましては、あの女狐めを殺すことです。ご下命とあらば、私が仕留めてご覧にいれます。きっちりと確実に、生まれてきたことを後悔するよう執拗に。」


「ワシぁそねぇなやり口は好かん。殺すぐれぇなら、おめぇが手ぇ汚すぐれぇならトシは諦める……」


「きっとそうおっしゃると思いました。そこで次の策です。」


「何じゃあ。」


「あの悪女めには報いを受けてもらいます。それも人生最高の舞台でです。」


「そりゃあワシのトシに手ぇ出したんじゃけぇ報いは必要じゃろうけどのぉ。それでトシが戻ってくるんか?」


「ええ。必ずや。人には百年の恋すら冷める瞬間というものがあります。そうしてトシスイ王子の熱が冷めた時、必ずやお嬢様のことを思い出すでしょう。その時が勝負です。」


「なるほどのぉ。そねぇなもんか。分かった。その件はウニミに任せるとして、それまでワシぁ何すりゃええんじゃ? 予定が全部のぉなってしもうたからのぉ……」


卒業を待って結婚。そして結婚式に始まり、その後は様々な公式行事に出席する予定だったのだが……全てなくなった。普通なら自殺を考えてもおかしくないほどの転落ぶりだろう。


「お嬢様、この際です。自由にお過ごしになってはいかがですか? 王都に来て以来、聖女として、また王子の婚約者として自由に振る舞うことなんてできなかったじゃないですか、言葉遣い以外は……でもやっと自由になれたんです。領地に帰るもよし、街を散策するもよし。今、お嬢様は自由なのです。」


「自由か。何じゃあ心が浮き立つ言葉じゃのぉ。おし分かった。そんだらまずは王都の散策からしてみるかのぉ。今までは学園と教会ぐれぇしか行ったことなかったしのぉ。」


「ええ。それがよろしいかと。些事は私どもにお任せください。そしてお嬢様は心安やかにお過ごしくださいませ。」


「おう。ありがとのぉ。ワシがこうして貴族ヅラしちょれるのもおめぇらのおかげじゃあ。たいがてぇでよ。」


「私たち家臣一同にとって、お嬢様のお言葉は何よりの褒美でございます。ところで、最近は王都も危のうございます。お嬢様には余計な心配ではありますが、お気をつけくださいませ。」


「おう。心配せんでも晩飯までにゃあ帰る。教会にも寄らんにゃいけんしのぉ。タダオは……おらんじゃったの。おぉそうじゃ、マサぁ呼べぇ。」


普段であればナルミアーナが外出する際は執事であるタダオが共をする。しかし彼はまだ戻っていない。だから彼女が呼んだのは……


「お嬢様、おはようございます。」


庭師のマサオ・エルボリバだった。


「おうマサぁ。今から出かけるでぇ。おめぇ一緒に来いや。」


「はい! 身に余る栄誉です! では着替えて参ります!」


「いや、そのまんまでええ。今日のワシぁ聖女クレナルミアーナじゃねぇ。か弱い町娘ナルミじゃあ。じゃけぇ着替えるんはワシじゃあ。ちっと待っとけや。」


「は? お、お待ちいたします!」


マサオの服装はもちろん作業着、それもあまりきれいな物ではない。ナルミアーナはその服装に合わせようと言うのだ。




「待たせたのぉ。行くでぇ。」


「い、いえ……」


マサオは絶句し、ウニミの方を見る。お嬢様をこんな服装で外出させていいのかと訴えるように。

ナルミアーナの背丈はマサオより少し高い程度で服装もほぼ同じ。しかし、足の長さが段違いなようでズボンの裾からは彼女の白磁のような脛が丸見えだった。胸元もはち切れんばかりに盛り上がっていた。なぜなら彼女が着ている服は自身が三年前まで領地で愛用していた野良着だからだ。いくらナルミアーナでも、ドレスで鉱山や洞窟内を歩き回ることが非常識とは知っている。それゆえに、鉱山労働者御用達の店で買った丈夫さが取り柄の野良着を愛用していたのだ。

王都に来てから三年、ついぞ出番がなかったが久々に袖を通したためどこかナルミアーナの機嫌が良くなっているようにも見える。


「マサオ、命に代えてもお嬢様をお守りせよ。分かっているな?」


「分かってますよ。」


それは護衛である騎士の仕事じゃないのか? とウニミに反論したいマサオであったが、ナルミアーナと二人で出かけることを考えたらかなりの役得ではある。彼とてタダオほどではなくともナルミアーナに憧れの気持ちを抱いているのだから。


「お嬢様、外はまだ寒うございます。何か羽織っていかれては?」


「そうじゃのお……マサぁ、何かねぇか?」


「えっ? い、いや、そりゃあ僕はコート持ってますけど……だめですよ! 貸しませんからね!」


マサオは何も自分が寒い思いをするのが嫌で言っているわけではない。自分のボロいコートをナルミアーナに着せるわけにはいかないと考えただけだ。


「まあええ。適当な店で買やあええわい。」


「マサオ、これを持っていきなさい。」


ウニミが手渡したのは金貨が五枚。今のナルミアーナに合う服を買うには過分とも言える金額だった。


「お預かりします。」


「そんじゃあ行くけぇのぉ。」


「いってらっしゃいませ。」


使用人一同に見送られ、マウントマウス辺境伯家の上屋敷を出ていったナルミアーナとマサオであった。

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