第3話 タダオの行動、ウニミの言動
普段より幾分か温度の高い湯に浸かる。おそらくはもっと遅く帰ることを見越して熱めに沸かしておいたのだろう。それが今のナルミアーナにはちょうどよかった。冷えた心が暖かくなるようで……
多少落ち着いてくると、自分の至らなかったところも見えてくる。
思えばトシスイ王子の前では涙どころか女らしいところなど一つも見せたことがない。マウントマウス領に招いたときも、一緒に泥まみれになって鉱山探検をして、汚れたら着の身着のまま鍾乳洞内の湖で泳いだり。王子は嫌がっているようにも見えたが、自分はそれが何よりも楽しかった。貴族らしさなんて気にしたこともなかったし、父親から言葉使いこそ直せとは言われたものの行動を掣肘されたことはない。だからそれでいいと思っていた。
さらによくよく考えてみれば、二人の仲に変化があったのは三年前の王立ヒコティッシュ高等学園入学からのようにも思える。
それまでは数ヶ月に一度しか会えなかったのだが、ナルミアーナは進学を機に王都へと移り住んだ。彼女はこれでトシスイ王子に毎日会えると内心喜んでいた。きっと王子も同じ気持ちだろうと疑いもしてなかった。
入学式の後、久々に顔を合わせたトシスイ王子に、ナルミアーナはいつもの調子で「おうトシぃ! 久しぶりじゃのぉ!」と声をかけたところ無視されたことがあった。
その時は聞こえなかっただけかと気にもしなかったのだが……
今にして思えば、あれが何かの発端だったのかも知れない。だが、今さら悔やんでももう遅い。つい先ほど見た王子の姿……距離にすると数歩しか離れていなかったのに、永劫に手が届かないほど遠く感じてしまった。
その上、彼の隣……左腕にはあざといまでの可憐さ、風が吹けば飛んでしまいそうなか弱さを湛えた少女がいた。あの子の本性を見抜けるほどナルミアーナは人心に聡くない。
だが、そんなか弱い後輩が……遥か雲の上の身分たる自分の前に立ち塞がり、トシスイを庇ってみせた時……心の奥底で、負けを認めてしまった……
落盤する鉱山からはいち早く逃げなければならないように、自分にできることはもう……あの場から退散する以外にない……そう思わされてしまったのだ。
「ぶぼぼっ、がぼっぼぼっ、ぼぼがおおぉぉぉぉーーーー!」
湯船に顔までつかり、何事か叫んでいる。
ウニミは、辺境伯家の総力を挙げてトシスイ王子を取り戻すと言った。ナルミアーナもそれには賛成だ。落盤し、トシスイへの道が埋まったのなら、また掘り進めばいいのだから。
ただ、そこに立ち塞がるフランソワーズ・ヒラミヤコ男爵令嬢という岩盤は……とてつもなく堅そうに思えた……
「シーカンバーさん。今回の件、どう思われます?」
メイドであるウニミ・イーガルが執事たるタダオ・シーカンバーの私室を訪ねるのは珍しい。いや、タダオの記憶では初めてと言っていい。そこで発した言葉がそれだ。
「トシスイ王子がお嬢様を恐れたというのは半分は本当だろう。だが、そこにつけ込んだ女狐が存在することは明白。いずれにせよ旦那様のご判断を仰がねばならぬ。」
タダオはいつもの燕尾服を脱ぎ、なぜか薄汚い野良着に着替えてる最中だった。そこにウニミは立ち入ってしまったらしい。しかし双方とも気にすることなく会話は進む。タダオも一瞬止まった手を再び動かし着替えを続けている。
「お嬢様はトシスイ王子を取り戻すおつもりです。私は辺境伯家の総力を挙げて協力するとお約束しました。」
「お前の約束に何の価値がある? それは重大な越権行為だと分かっているのか?」
「分かっております。お咎めはいかようにも。私がこう申したことを旦那様にお伝えいただいても構いません。ですが、シーカンバーさんはどうお思いなんですか? このままでいいんですか!?」
どこまでも真っ直ぐなウニミの問いかけに……
「いいわけがないだろう!」
雷が落ちたかと思うほどの怒声が返ってきた。普段は物静かな執事の顔しか知らないウニミだ。その迫力に一瞬ほどふらつきかけた。
「敬愛するお嬢様のみならず! 我らマウントマウス辺境伯家が! いや! マウントマウスに住む全ての者が侮辱されたのだぞ! いくら王家とて! 王子とて! このような無法が許されるものか!」
タダオの言うことは一言一句に至るまで正しい。貴族の論理に照らし合わせれば、戦争を開始しても何らおかしなことではない。
「私もそう思います……ですが! 我らが一番に考えなければならないのは! お嬢様のお気持ちではないのですか!? お嬢様が何をお望みになるか。それが全てではないのですか!?」
「そのようなこと、当然に決まっているではないか。我ら上屋敷詰めの家臣が優先することは、お嬢様以外にない。お嬢様はトシスイ王子を取り戻すと仰せなのだな?」
「そうです。お嬢様がそうおっしゃられた以上、我らがやるべきことは一つ。どのような手を使おうともあのお二人を元の仲に戻すこと。そうでしょう?」
「ああ、そうだな。いずれにしても私の行動に変わりはない。それも含めて旦那様にご報告が必要だろう。明日の午後には戻る。それまでお嬢様を頼むぞ!」
「はい。シーカンバーさんもご無理をなさらぬように。」
そう言ってタダオは自室から消えた。上屋敷を旅立ち、マウントマウス領方面へ向かったのだ。いや、実際に赴くのは道中にいくつも配置してある拠点までだ。そこで領主たるナルミアーナの父親に宛てた書状を託すことだろう。
「はぁ……シーカンバーさんのバカ……お嬢様をいくら想っても……所詮は身分違い……気付いてないのはあなたとお嬢様ぐらいのものなのに……バカ……」
ウニミは温もりなど残ってないタダオのベッドに腰掛けて、一人愚痴を溢すのだった。
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