第2話 執事タダオ・シーカンバーと侍女ウニミ・イーガル

ナルミアーナが自分の胸で泣きじゃくっている。そこに、抗いがたい喜びを感じてしまうことをタダオは恥じた。

辺境伯家に仕えて長いタダオである。ナルミアーナを主筋として敬う気持ちはもちろんある。しかし、日に日に美しさを増す彼女に対して、抑えきれない気持ちを抱いてしまうのも無理からぬことだった。それでも並み居る同僚から抜きん出て、ついに執事にまで成り上がった彼だ。この期に及んでもきちんと己を律している。


「お嬢様、落ち着きましたか?」


「おお……もう帰る……」


「かしこまりました。お嬢様、こんな時ですが差し出口をお許しください。お嬢様の口調についてです。旦那様からも再三に渡って直すよう言われたはずですね? それに従わなかったのはお嬢様です。今回の件、詳しい事情は分かりませんがお嬢様にも非があるのではないですか?」


「ワシの口が怖ぇって……昔はめんこいってうてくれたほに……」


「無理もないですよ。お嬢様が本気で怒った時の口調は私でも恐ろしいのですから。さあ、帰りましょう。帰って今後のことをゆっくりと旦那様と相談することにしましょう。」


「タダオぉ……お前もワシが怖いんか……」


怖いかと聞かれると、怖いどころか愛しくて仕方ないと……つい言ってしまいそうになるタダオ。口では恐ろしいと言いながらも、実際のところタダオにしてみればナルミアーナの口調は愛らしくて仕方ない。できれば直して欲しくなどない。強くそう思っている。

だが、執事としてはそうもいかない。


「ええ、怖いですとも。だから早く直してくださいね。」


そんなタダオの言葉にナルミアーナは能面のような表情を浮かべた……まるで唯一の味方を失ったかのような。




ほどなくして、パーティー会場からほど近い場所にあるマウントマウス辺境伯家の上屋敷まで帰り着いた。ここに父親である辺境伯はいない。今の時期はまだ遠く離れた領地にいるからだ。


「さあお嬢様、今夜のところはゆっくりお休みください。イーガル、後は任せたぞ?」


「かしこまりました。シーカンバーさんもお疲れ様でした。」


ナルミアーナの私室、これより先はメイドの領分だ。赤く泣き腫らした目のナルミアーナを放っておきたくはないタダオであるが、分は弁えている。


「それではお嬢様、私はこれにて失礼いたします。」


「おお……おやすみ……」


いつも堂々として、凛々しさしかないと思われたナルミアーナがここまで弱々しくなっているとは……

どうやら彼女は彼女なりに王子トシスイのことを愛していたらしい。パーティー会場では、好いた男の前では強がっていただけなのだろう。




「さあお嬢様、せっかくのドレスが皺になってしまいますよ。まずは湯に浸かられてはいかがですか?」


「こねぇなドレス……トシにかわいいうて欲しゅうて作ったけどのぉ……もうええんじゃあ……おめぇにやる……」


しかしそのドレスはナルミアーナに合わせて作られたオートクチュール。本人以外にサイズが合うはずもない。


「そ、それは、どうしたことで……」


「婚約破棄じゃとよぉ……ワシが怖ぇえんじゃあいよった……」


「それでお嬢様……まさかそのまま婚約破棄を認めて帰ってこられたのでは……」


「当たり前じゃあ……トシに嫌われたら……ワシに何ができるぅうんじゃあ……トシのバカ野郎ぉ……」


その時、メイドのウニミ・イーガルは急に表情を引き締めてナルミアーナに向き合った。


「お嬢様、言わせていただきます。所詮は平民の戯言とお笑いくださいませ。まずお嬢様、それほどまでに王子のことがお好きならば、なぜ縋り付かなかったのですか? 裾に取りつき、嫌だ嫌だと泣きわめいてもいいでしょう。たかが婚約破棄を宣言されただけで引き下がったのですか? それはあまりにも愛がない行いです。王子もさぞかし落胆されておいでなのではないでしょうか?」


ウニミは敢えて貴族の論理を無視して話をしている。それぐらいはナルミアーナにだって理解できる。


「そ、そうかのぉ……あいつぁマジでワシにびびっちょったようなんじゃが……」


「そうとは限りません! もし本当に王子がお嬢様とお別れになりたいのであれば、これまで幾度も機会はあったはずです! 何もこんな時に貴族達の面前で公言せずとも!」


「そ、そりゃあワシらは八年の付き合いじゃけぇのぉ……トシぁちぃと頼りねぇとこぁあるがよぉ……あれでかわいい野郎なんじゃあ……」


「それはともかく! 今回の件! 私は納得してませんからね! お嬢様! まだ王子にお気持ちはあるんですか! あるのならば足掻いてください!」


一介のメイドにしかすぎないウニミが納得しようがしまいが事態には何の影響もない。しかし、ナルミアーナには彼女の提言を受け入れるだけの器がある。そしてトシスイ王子への気持ちも……


「あ、ある! ワシぁまだトシのことが好きなんじゃあ! どねぇすりゃあええ! 教えてくれやウニミぃ!」


「本当ですね? 私から見れば他にいい男性はたくさんいると思いますが、それでも王子の気持ちを取り戻したいんですね?」


「当たり前じゃあ! ワシゃあトシがええんじゃあ!」


「かしこまりました。辺境伯家の総力を挙げて、トシスイ王子の愛を取り戻りましょう。そのためには……」


「そ、そのためには?」


「今夜のところはごゆっくりとお休みください。さ、まずはお風呂に入ってスッキリしましょう。難しい話はまた明日で。」


「そ、そうじゃの……入るわ……」


その場でドレスも下着も脱ぎ散らかし、ふらふらと湯殿へ歩くナルミアーナ。その後ろ姿は同じ女であっても見惚れるほどに美しかったが、少しだけ肩が落ちているのをウニミは見逃さなかった。

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