漫画版連載開始記念SS Day0

「――あの、これ落としませんでした?」

 背後からの声に、古い手ね、と天道てんどうつかさは内心で苦笑した。

 大学に入ってからというもの、何かと口実をつけて声をかけてくる男子はぐっと増えた。

 それらに話をどう広げるつもりなのか、なんて楽しめていたのは初めのころだけで、今となっては結論・・を出すための流れ作業になりつつある。

「はい?」

 振り向いた先にいたのは、予想に反してあどけなくてあか抜けない、いかにも同じ新入生らしい男子だった。

 つかさの顔を見て驚いたように少し目を見開くしぐさも、最近は見慣れたものだ。

 ダメね、とそれだけでつかさはすぐに結論を出す。

 真面目そうには見えるが、いかにも女慣れしてない、遊び・・相手には不適当なタイプ。

 ただ、そんな相手が声をかけてきた、というのは少々意外だけど――

「ハンカチ、落としませんでした?」

「いいえ、私のじゃないわ」

 そんな感想まで至ったところで、この日この時に限ってはそれが自意識過剰だったことをつかさは思い知らされた。

「――あ、そうですか、すみません」

 見覚えのない白いタオルハンカチに首を横に振ると、なんだか眠たげに見えるその男子は軽く頭を下げると、「あっれ」と小さく漏らしてあたりを見回したからだ。

 もう用は済んだとばかりにつかさの方を見もしない、本当に、ただただ親切心で声をかけたらしい。

 ほんの少しの羞恥と美貌への自負に小さな傷を負いながら、まるで犬がそうするみたいに少し顎をあげて、遠くをみる彼の姿に小さなひっかかりを覚える。

「あ」

 つかさがとある老犬シロの姿に思い至ったころには、男子学生は落とし主を探して歩き去ったあとだった。


 §


「――ねえ真紘まひろ志野しのくんって知ってる?」

「えー、どのシノくん?」

「同じ学部の、背が高めで細身で髪の短い子」

「あー、よしくんの友達の伊織いおりくん?」

「下の名前は知らないけど、梅原うめはら君と一緒にいたのは見たことあるわね」

「ちょっと眠そうな人やろー?」

「ええ」

 やっぱりそういう印象なのね、と友人の言葉に頷くと彼女は首を傾げた。

「あれ、でもあんまり知らんけど、つかさちゃんの好みっぽくなくない?」

「そういうわけじゃないわよ、講義で見るんだけどそういえば名前を知らないな、って思っただけ」

「なーん、つかさちゃんもようやくちゃんと恋人作るとかと思ったとにー」

「しないわよ、本気になっても困るだけって前にも言ったでしょ」

「そん時は駆け落ちでもしたらよかよ!」

「それで上手くいくのはフィクションだけよ」

「もー、夢んなかねー。あ、そうそう、そういえばこの前佳くんがねー……」

「はいはい」

 


 §


「――っはは、マジで!?」

 馬鹿みたいに大きな笑い声のあと「ばっか、声でけーって!」とこれまた大音量のツッコミが入る。陽キャくんたちはさぁ……。

 昼の学食は騒がしくて当然とはいえ、それでも限度があっていいだろう。

 当然白い目が集まってるんだけれども、それが気になるようなしおらしさがあれば、初めから声を控えるはずだ。

 つまり周囲のことなどどこ吹く風で陽キャ集団は変わらずうるさかった。無敵かな?

「カレーうどんの汁ひっかければいいのに」

「地味にえぐい呪いかけんねー」

「食べ終わったらどっかいってくんないかなあ」

「やー、あれ多分、天道さんの取り巻きっしょ。休み時間いっぱいいるんじゃね?」

 となると、こっちが移動するしかないのか……。

「天道さんって?」

「同じ学部の天道つかさ。ほら、水曜の1コマ目にスゲー美人の女子いるじゃん?」

「あー、あの、茶髪のキツい感じの? そんな名前なんだ」

 名字といい名前といい、一般人には重そうな看板だなあ。

「そそ、やーでも大学はやっぱレベルたけーよ、一年でも可愛い女子多くね?」

「私服が新鮮ってのもあるのかなぁ」

「あー、わかるわ」

 大学デビューって言葉もあるくらいだし、実際見慣れた高校の同級生なんかも結構印象違って見えるしなぁ。

 しかしあの陽キャたちはそんな女子の中でも美人をめぐって、同性間競争の真っ最中というわけだ。

 とても参加したいとは思えないんだけど、だから僕は非モテのままなんだろうな……。

「彼女ほしいよなー、天道さんみたいなとまでは言わねーけど」

「まー、あれは別世界だなあ、でも神谷かみやくんならすぐできるんじゃない?」

 サークル見学で知り合ったこの友人は、僕と違ってお洒落だしなあ。

「やー、増えんの男子の知り合いばっかよ」

「サークルに一年の女子が入ってくれればなぁ」

「まぁでもさ……」

「それヤバいって! バリヤバ!!」

 うーん、この。

「――外出よっか、天気もいいし」

「だなー、行くべ行くべ」

 会話をぶった切る大声に、友人と二人渋い顔を見合わせて席を立つ。

 見れば、陽キャたちの中心で明るい茶色の髪をした女子――天道つかさがなにやら周囲をたしなめているのが見える、距離を隔てた彼女と、ふと目があった気がした。

 席を立った僕らの姿になにか感じるところがあったか、謝意を表すように挙げられた片手に、軽く頷いて答える。

 別に彼女が大声を出したわけじゃないけど、それを気に病むくらいの良識はあるらしい。

 せめてもの救いだな――まぁ僕にはあんまり関係のない話だけども。

「どしたん、忘れもん?」

「や、大丈夫、行こう」

 それくらい、天道つかさは別世界の住人だった。


 ――『この時は』とのちに注釈がつくことを、志野伊織はまだ知らない。

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