志野伊織の長くて短い誕生日・後編
「――今日、ホテルの部屋とってあるから」
「あ、うん」
タワーを下りてそろそろ家に帰るのかな、という予想は
彼女に連れられて向かったのは、タワーからは徒歩圏内にある
すなわちそのまんま僕の部屋からも徒歩圏内にあるわけで、そこにわざわざ泊ろうなんて言うのは贅沢だなあ、とちょっと思わないでもない。
何より誕生日のデートでレストランでのディナーからホテルの予約まで済ませる恋人相手に、いざ自分が祝う番になったときに一体どんなプランを用意すればいいのか、ちょっと悩まないでもない。
いや、それよりはもう間近に迫ったクリスマスか、ふふ、何も考えてないな?
死にたい。でも生きて迎えたい。
一人で勝手に気分をアップダウンさせながら、勝手知ったる様子で進む天道のあとについていく。
そうして部屋に一歩踏み入れて、その広さに「はえー」となっていると、突然の壁ドンが僕を待っていた。
ええ……?
「
「あ、うん」
熱っぽい上目遣いの視線で全てを察して、首に腕を絡ませてくる彼女の背を抱きながらキスをした。
ん、普段より甘い蕩ける声に、一気に体が熱くなるのを覚えながら彼女の求めに応じて舌を絡ませる。
分単位はかかったような長いキスが終わっても、天道はその体重を僕にあずけたまま、物足りなそうな目で見上げてくる。
「――どうしたの、急に」
「だって、それとなく誘ってるのに、伊織くん、いつまでも気づいてくれないんだもの」
「ええ……」
気づかなかったそんなの。いや、本当に。
「ちなみに、いつから?」
「ハイヤーで迎えにいったときから」
それは早くない??
いきなりそんな初手からもう催してたのか……。
それなのにレストランとかでは、あんな平気な顔していたのかと思うとそれはそれでちょっと興奮するな。
「もう、また別のこと考えてるでしょ」
「ぐえ」
言って今度は体当たりするように僕の体を壁に押し付けてくると、下唇に噛みつくように軽く歯を立てた。
「ん……きゃっ」
「っと」
もう完全に肉食獣の目で僕に笑いかけた直後、かくっとその膝が折れた。
慌てて身を支えると、右の靴が脱げかけていた。
僕とはレベルの違うお洒落な彼女でも、式で着るようなドレスに合わせる靴は、そんなに履きなれてないんだろう。なにかの拍子でバランスを崩したらしい。
「……いま、笑ったでしょ」
「いや、そんなことないって、普通に危ないから。足は捻ってない?」
「大丈夫」
照れ隠しなのか、ちょっと拗ねたような声にこそ笑いそうになったけどぐっとこらえて、念のためにと天道の体を横抱きの形で抱え上げた。
きゃ、と小さく声を漏らした彼女は、僕の行動に少し意外そうな表情を見せたあと、口元を緩めた。
目元がほんのり赤く見えるのは、光量をしぼってある照明のせいだろうか。
「伊織くん、ソファじゃなくてベッドね」
「仰せのとおりに」
まぁ誕生日に素晴らしいデートを用意してくれた彼女のために、これくらいのええ格好はしても罰は当たらないよな、と自分に言い聞かせて大股で部屋を進んだ。
お望みどおりにキングサイズのベッドに彼女を下ろすと、部屋用のスリッパを足元へ用意する。
もっともお嬢様はそれに見向きもしないで、靴を脱いだ足をするりとベッドにもちあげてしまったのだけど。
「つかささん、コートあずかるよ」
「うん、ありがと」
二人分のコートをクローゼットにしまい込む。
なんかもうそれをする間に見える部屋のあれこれで、ここって一晩でおいくら万円なんだろうな、ということが気になった。
ちょっとえっちな雰囲気になっている恋人と、現実的な要素の板挟みで頭が煮えそうだ。
まぁもう完全に
そうしてベッドを振り向くと、ドレスをセクシーに着崩して完全に誘っているポーズをとる天道つかさの姿に、努力する必要もなく彼女以外のことは吹っ飛んで行った。
ふらふらと引き寄せられる、靴を脱いでベッドの上を膝立ちですすんだ。
そうして天道のそばへいくと、こちらを見上げる彼女をに覆いかぶさるような位置に手を置いた。
暖房の効いた部屋の中で、立ちのぼる彼女の匂いに理性がまた少しだけ余計な気を回させた。
「つかささん、シャワーは浴びなくていい?」
「いいの――もう待てないから」
ちょっと拗ねたような声は、とんでもない破壊力だった。
§
「ん……ふ……」
ぴちゃぴちゃと、えっちっぽい水音が部屋に響く。
しきりに天道がキスをせがむので、そもそも構造を理解してないドレスを脱がすのは至難を極めた。
そのくせ彼女はもどかしそうに身をよじったり、僕のシャツの前をあけ終えると、にシャツの下に手を突っ込んでくすぐるように撫でてくるのだからたちが悪い。
「つかささん、脱がせないから」
「ん、このままでもいいけど……」
「それはちょっと……」
普段ならまだ乗っちゃえそうなお誘いだけど、ドレス姿なのがなあ。
「じゃあいっそ、逆に破いちゃう?」
「今までで一番それはおかしいって言える『逆に』だなぁ……」
アルコールは入ってないはずなのに、くすくすとおかしそうに笑う天道はまるで酔ってるみたいだった。
このテンションの高さじゃフォローは期待できないな、としょうがないので手探りでドレスの背に手を回した。
前面は文字通り手掛かりが見当たらないので、多分後ろでジッパーなり止めてるタイプだと思うんだけど……。
「ん……もうくすぐったい」
「あ、あった」
フックとジッパーの二段構えか、と探り当てたころには、天道はすでにこっちのベルトを外し終えた。
鮮やかな手際すぎて、ちょっと心の内臓にダメージが入る。
でもわざとらしくもたもたされてもそれはそれで複雑だ。
「ん……ふ、ぅ……」
そんな内心の葛藤はやたらと色っぽい吐息で吹き飛ばされる、脱がすのを協力してくれてるんだろうけど、背を反らして身をよじらせる姿はえっちすぎた。
すでにズボンの前は彼女の手によって開けられていて、開放された興奮の行きつく先は痛いほどだった。
手伝ってはくれても天道が身を起こさないので、結局ドレスはずるずるとベッドの間で引きずるようにして脱がせることになった。
それを丁寧に脇において、下着姿になった彼女に視線を移す。
「――伊織くんのえっち」
こっちの台詞なんだよなあ……!
わざとらしく両手で上下の下着を隠しながら、あきらかにこっちの股間に一度視線を向けてそう言った天道は、今までで三本の指に入るくらいえっちだった。
「つかささんのほうが、えっちじゃない?」
「そうね、嬉しい?」
「嬉しいけど、正直に言うのは悔しいな……」
本当強すぎない?
普段もだけれどベッドではより一層だから困る。
「意地っ張り……あっ」
話していたらいつまでたってもペースを握られてしまうので、黙って胸と腿の付け根を隠していた腕をつかんで、引きはがした。
細くて柔らかい腕は乱暴に扱うとあっさり折れてしまいそうで、ちょっと怖い。
そうして露わになったレースと透け感たっぷりの下着に僕は言葉を失った。
「――つかささん」
「なぁに? 恥ずかしいから、あんまり見ないで?」
もう誘い受け以外の何物でもない甘い声をあげた彼女は実に楽しそうだ。
「なんか、どっちにもほどけそうなリボンが中央についてるんだけど……」
「ええ、プレゼントのリボンみたいよね」
「それズルくない??」
もうネタとして使い古されて、コメディみたいになってる「プレゼントは私」をえっちい下着で実際にやってくるとはさすがに予想できなかった。
「嬉しい?」
「うん……ありがたく、いただきます」
§
「――伊織くんのえっち」
絶妙な割合で拗ねと甘えが混じった天道の声が大きく響く。
行為の最中の僕の程度を非難したいらしいけど、明らかに誘い受けだったし、なんなら現在進行形でそうじゃないかっていう気もする。
「一緒にお風呂に入ろうって誘うのはえっちじゃないの?」
あれから二回ほど愛し合った僕らは、べとべとの体を綺麗にするために、お風呂に入っていた。
僕の部屋のお風呂は二人で入るにはさすがに狭いのもあって、今まで一緒に入浴したことはなかった。
「あら、恋人同士ならこれくらい普通よ」
「なら僕も普通だったと思うけどなあ……」
それが今日ホテルのお風呂ではじめての機会を得たわけだけど、わりとこれ目のやり場とかに困るな。セックスと違ってしていることが日常の延長なのが落ち着かないというか……。
僕が越えなきゃいけない壁はまだまだ多いな、としみじみ思った。
でもメンタルってそんなに急に強くはなれないんだよな……。
「ん、おしまい、流すわね」
「あ、うん、ありがとう」
背骨をなぞったり、僧帽筋を撫でたりと不要な行為を挟みながらだったけども、天道が背中を洗い終える。
まぁ実際これくらいは健全かな、と思っていると右の肩甲骨のあたりに柔らかなものが触れたあと、皮膚が引っ張られるような感覚をおぼえた。
「――つかささん、なにしてんの?」
「ん、伊織くんに私の証を刻んでるの」
「ヤンデレかな??」
キスの痕が残っても人に見られる心配がない場所とは言え、急にどうしたんだろうと思っていると、べちりと今度は平手が背の中央を打つ。
「いたい」
「それじゃあ私も体を洗うから。お風呂、つかって待っててね」
「あ、うん。僕も背中流そうか?」
「ありがと、でも気持ちだけもらっておくわ、今触られたら、したくなっちゃう」
「それはちょっとスイッチ入りやすすぎじゃないかな……」
僕も天道の手の小ささとか、なんか距離の近さで密かに勃起はしてたけどさ。
「私をそうしたのは伊織くんでしょ。それとここで流されたら、ゴム無しではじめちゃうと思うけど、大丈夫?」
「オトナシクマッテマス」
本気の目に大人しく頷いて浴槽へ身を沈めると、彼女は満足げに頷いた。
「ん、よろしい……こっち、見ちゃダメよ」
「かわいい」
スポンジを大きく泡立てながら「べ」と悪戯っぽく舌を出す天道は、小悪魔的で可愛かった。
やっぱりベッドの上で多少でも彼女を思い通りに出来た気持ちになったのなんて、錯覚だったんだろうな――
「ねえ伊織くん、もっと広い部屋に引っ越すつもりはない?」
「今の部屋だって僕が家賃出してるわけじゃないからなぁ……」
そりゃあ天道と日常的に一緒にお風呂に入れるのには惹かれるけども、そのためだけに引っ越しを両親に頼めるほど図太い神経はしていない。
「そう、じゃあしばらくはデートの時のお楽しみね」
「――そうだね」
良かった「じゃあ私が出すから同棲しましょ」って言いだす美人でお金持ちの彼女はいなかったんだ。もし、そう言われたら断りきれる自信がなかったからな。
学生の身でヒモになるのは避けたい……「しばらくは」ってあたり時間の問題な気もするけど。それでも守りたい尊厳があるんだ……!
「なぁに、また難しい顔してるのね」
体を洗い終えた天道が、僕の眉間を軽く撫でる。
湯気の中に浮かぶ上気したその体をまるで隠そうともせずに、優雅な仕草でバスタブにのふちに腰かけた。ハリウッド映画の悪役の美女みたいだ。
「つかささん、もうちょっとこう、隠さない?」
「見られて恥ずかしいところなんてないもの」
「アッハイ」うーん、強い。
唸る僕の脚にわざと脚を触れ合わせながら、天道が向かい合う形でお湯に身を沈める。
それから僕はお風呂の熱と彼女にゆっくりばっちりのぼせることになった。
§
お風呂のあと、サイドボードのデジタル時計が午前の表示に切り替わっても、ベッドの上で僕たちは、眠たい頭で会話を続けていた。
「――そうだ伊織くん、プレゼントを用意してたの」
突然、「忘れてた」と天道が飛びはねるように体を起こした。
「え、うん」
体を支配する疲れが、ベッドを下りる彼女をただ見送ることを命じる。
いくらか目が覚めた様子の天道は、すぐにどこからか紙の包みを持ってきた。
今日の彼女のカバンやコートに入るサイズではないので、部屋に置いていたんだろうけど、つまり事前に用意してもらったのだろうか。
やだ、僕の彼女、恋人力高すぎ……?
こんなの漫画にしてSNSで発信したら絶対バズるエピソードじゃん……。
「日付変わっちゃったけど、お誕生日おめでとう」
「ありがとう、嬉しいよ。開けていい?」
「ええ、もちろん。どうぞ」
リボンをとり、丁重にシールをはがしているとまた天道に楽しそうな表情をされてしまった。
とはいえいきなり欧米スタイルに切り替えてビリビリ破くのも性に合わないので、時間をかけて包みを開くと落ち着いた色合いのインディゴ・ブラックが目に入った。
引っ張り出すとデニム地に、太めのステッチが走っている。ジーンズかと思って広げたそれは、シンプルで丈夫そうなエプロンのようだった。
「あれ? つかささん、これ肩の部分、紐がないんだけど……」
だった、とつくのは腰の部分には絞るための紐があるけど、ちゃんと上半身の胸当てまであるタイプにもかかわらず、肩に紐もそれを通すためのパーツも見当たらないからだ。
「ああ、サスペンダーで止めるタイプなの。落としてない?」
「あれ、ええと――あ、布団に埋まってた」
音のしないベッドの上であけたのが良くなかったな。
エプロンと一緒に入っていたらしい、X字型のサスペンダーは明るい茶色だ。
うーん、エプロンと言えば給食着か、小学校の家庭科で作ったヤツしか覚えがない僕の身には余るお洒落力だな。
「どうかな、似合う?」
「ええ、とっても」
一度ベッドを下りて試着したあと、彼女が撮った画像を送ってもらう。
うぬぼれるわけじゃないけど、その姿は自分でも意外と決まって見えた。
「伊織くんって結構肩幅あるから、こういうの似合いそうだなって思って」
「あー、なるほど」
そう言うものなのか、言われてみればサスペンダー自体がなで肩には優しくなかったりするもんな。
「本当にお料理配信とか、してみたら?」
「わざわざ動画にするほどのことはしてないかな……」
「ならそれで私にまたおいしいご飯、また沢山たべさせてね」
「なるほど、それが狙いだったかあ……」
まぁ冗談なんだろうけど、でもそれがただの冗談にならないくらい僕の部屋での食事も当たり前になってるんだよな。つくづく、この半年は激動だった。
エプロンを丁寧に畳んで天道が待つベッドに戻るとすぐに、眠気が再び襲いかかってきた。
「あら、ダメ?」
天道の声もなんだかいつもより少しゆったりしていて、それが更に意識を眠りへと誘う。
「いいよ……でも食べ過ぎないようにね」
「その時は伊織くんと運動するから大丈夫よ」
「つかささん、はしたないから」
「別に、変な意味じゃないわよ?」
「なら、いったいどういう意味で言ったのさ――」
眠りに落ちるその時まで、僕らはベッドの上でとりとめのない話を続けた。
それは子供がクリスマスや夏休みを迎える前のような、目覚めたあとに何か楽しいことが待っている、と無条件に感じられるような、そんな夜だった。
――こうしてはじめて天道つかさと迎えた誕生日の夜は、決して忘れられない記憶として僕の心に刻まれたのだった。
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