志野伊織の長くて短い誕生日・前編
親戚の結婚式があるから夕方からでもいい? と妙に悲痛な声で
そうして迎えた十一月二十七日、予定より少し早い時間に部屋のインターホンが鳴らされた。
レストランに行くからと聞かされていたので、ジャケットに襟付きシャツ、チノパンと自分的には大分頑張った服装で玄関のドアをあけると、結婚式からそのまま来たのだろう、コートの下に華やかなドレスを着た彼女が待っていた。
「お待たせ、
「ありがとう……ごめん、つかささんちょっと待ってくれる?」
はじめての恋人ができて以来、少しずつファッションについて労力と時間を割いてきた僕の脳が「アカン」と警告を告げる。
これはつり合いが取れなくてどっちも恥をかくやつだ。
そしてその場合顔面偏差値の差で、世間はより僕の方に厳しいんだ。
そうに違いないんだ。
「どうしたの?」
硬直した僕を怪訝そうに見る天道は、髪をアップにしてメイクはもちろんイヤリングとかのアクセもばっちりだ、それに比べてと玄関の姿見に写る自分を見た。
ヨシ、ダメだな(確信)。
「や、スーツに着替えてこようかなって……」
幸い、大学の入学式で使ったのがあるし、と引き返そうとする僕を慌てて天道が引きとめる。。
「え、それで大丈夫よ。そこまでかしこまったお店じゃないから」
「本当に?」
「嘘ついてどうするのよ。むしろ私が目立つと思うから、先に謝っておくわね」
「いや、それはないんじゃないかな……」
というか仮に浮いてたとしても天道はなにかの式の帰りなんだろうな、ってぱっと見でわかるだろうし。
そうなるとやっぱり僕が「コイツまさかこれで式に出たの……?」と思われるのではという疑惑もある。
詰んだな。
「それにほら、予約の時間もあるから、ね?」
結局悪あがきで前髪を上げただけで、あえなく僕は明らかにタクシーではない高そうな黒のセダンでレストランへと連行されることになった。
もう乗物からして庶民向けのデートじゃないんだよなあ……。
§
しかし僕にとっては幸いなことにかしこまった店ではないという天道の言葉に嘘は無くて、明治通り沿いにあるロシア料理店は、歴史を感じさせる重厚な内装ではあるものの、店の雰囲気はむしろ家庭的といっても良かった。
聞けば市内では割と有名な老舗らしい。
客層も仕事帰りらしきスーツ姿や、正装した小さい子もいる家族連れに、カジュアルよりの服装の老夫婦と千差万別だ。
これなら中学の頃に社会勉強として両親に連れていかれた店の方が、周囲の圧が高かった気がするな。
席に着いた天道はちらほら周囲の注目を浴びているけど、それは服装のせいというよりは単純に容姿のせいだろうし。
我の恋人ミスキャンパス特別賞ぞ? とドヤりたいところだけど、それって完全に虎の威を借るキツネなんだよな……。
余計なことはやめておこうと、テーブルに置かれていたメニューを取る。
予約の時にコースはもう決めてもらっているので純粋な興味からだ。
ロシア料理ということでもしかしてキリル文字? と思ったけれど、開いてみれば一部に写真もあるシンプルな作りで、メニューはカタカナで書かれている。
聞き覚えのない料理には括弧書きで「キエフ風カツレツ」とか説明までついている親切設計。
最初からそっちだけ乗せればいいのではっていうのは無粋なんだろうな。
だからってフランス風の筆記体で書かれたアルファベット表記だけのメニューは
そうしてメニューを閉じると、対面の天道はなにやら優しい顔をしていた。
「え、つかささんどうしたの?」
「伊織くんが今何を考えてたのかなって思って」
「ええ……?」
母親みたいな声でいうじゃん……。
割とどうでもいいことを考えていたところに、なんか子供っぽいと思われて母性発揮されているのではという疑惑というか事実を突き付けられたけど、これで反発したらそれこそ子供っぽいよな。
「いや、どんなコースなのかなって」
「それは秘密だけど、味はおばあさまのお墨付きだから、安心して」
「へえ」
そう聞くと途端に期待値があがるなあ。
なにせ同じ家族でも天道とはお金持ちとして生きてきた時間も、高級料理を食べた機会も全然違うだろうし。
「ところで伊織くん、明日の昼まで付き合ってもらうけど、大丈夫よね」
周囲に人はいても店内のBGMやら、それぞれの会話やらで聞こえることも無いだろうけど、さらっと言われた内容にはもちろんお泊りも含まれている。
しかしここで変に反応すればそれこそ目立ってしまう。
「え、あ、うん」
結果、面白みのない返事になった僕を見て天道は口元を緩める。
「ふふ、良かった。色々考えてるから、楽しみにしてね」
「アッハイ」
可愛い彼女が楽しそうでなによりだな! と自棄になると、それを察してまた彼女の笑みは深まるのだった。
永久機関かな?
何をしても彼女が笑ってくれます、とか一般的には惚気だろうけど、でもちょっとくらい反撃できないかと考えているうちに最初の一皿が運ばれて来た。
コース料理の先鋒を務めるのは前菜の盛り合わせだった。
「――いただきます」
更にずらりと並んだそれは一つ一つは一口サイズだけども、漬物やらチーズやら肉やら魚やらととにかく種類が多い。
味つけは全体にやや濃い目で個人的にはご飯が欲しい感じ。
多分、本来はアルコールとあわせていただくものなんだろうけど、さすがに外食で初挑戦してみる気になれなくて、天道もそんな僕にあわせた形だ。
そうして同じように食べてるはずなのに天道だけやたら上品に見えるのはドレス補正なのかお嬢様補正なのか……。
続いて出てきたのは綺麗な丸型の大きなピロシキとボルシチ。
パンはレストランでも手づかみでよかったよな、と思い出しながら、紙ナプキン越しで手に取ると結構熱い、そしてずしりと重かった。
肝心の味は外はサクサク、具だくさんの中は熱々でひき肉の存在を確かに感じる、だけど脂っこさは全然なくて学食のピロシキとは見た目にも完全に別物だ。
ボルシチはその赤さにちょっと警戒したけども、独特の酸っぱさはそこまで強烈でなくて食べやすい。なにより入っている肉が大きい(重要)。
メインはまだだけども、料理は皿や盛り付けを含めてシンプルで素朴な感じで、お腹が膨れてきたこともあって緊張はすっかりどこかへ行ってしまった。
家を出る時にビビってたのが馬鹿みたいだな……。
「――どう、気に入ってくれた?」
「うん。味つけはちょっと独特な感じだけど、良い感じに抑えてあって、それでいい具合にロシア感になってるよね」
「そう、良かった。でもなぁに? ロシア感って」
「異国情緒……かな」
それならそう言えばいいのに、と天道は笑った。
メイクのせいかもしれないけど夏の日差しにも負けなかった肌は、冬が近づくにつれ一層白くなった気がして、落ち着いた照明の下でもその笑顔は輝いて見える。
つくづく思うに、顔がいい。
美人は飽きるって言うのは何根拠なんだろうな、数か月たってもしみじみ感心するんだけど。
去年の僕に「来年の誕生日は天道つかさと楽しくディナーしてるよ」なんて伝えても絶対信じないよな……。
「なぁに? じっと私を見て」
「いや、つかささんと誕生日にご飯食べてるなんて、改めて考えるとちょっと不思議だなあって」
「そうね、一年前なら私も信じなかったかも……いえ、婚約者が伊織くんだって言えばそうでもないかしら」
「あー……」
そう言われてみると、二人っきりではもっと後になるとしても、もっと早い段階で天道から誕生日を祝われる可能性もあったのか。
いや、やっぱりそれもそれで不思議な感じがあるな。
「それと、半年前にはもう私こうなるつもりでいたわよ」
「ええ……」
あの五月の段階でそんなに思えてるのは強すぎる。
いや、こうなるだから僕を落としきる自信があったんだろうか、そして実際にそうなってるんだから自信過剰とも言えないな……。
「まぁ過程は違ったし、伊織くんとの関係も想像より良好だと思うけど」
「つかささんのそうやって断言できるとこ本当すごいと思うよ」
「そう? ありがとう」
天道が浮かべた不敵な笑みは、本日の最大魅力値を更新したと思う(僕調べ)。
――そうしてボルシチの次には、カップの上に帽子みたいにパンをかぶせたキノコのクリームスープ、メインディッシュには牛肉の串焼き、デザートのアイスクリームと最後にロシアンティーと続いたコースは味も量も大満足だった。
§
食事を終えて店を出ると空は真っ暗で、代わりに行きかう車のライトが通りを明るく照らしている。
私バスが支配する市中心部の道路は、どこも込み合っていて、通勤退勤と重なる朝夕の時間帯はそれがとくに
家にもどるだけならレストランから徒歩ですぐの地下鉄駅まで歩いた方が早いんだけども、天道は通りを渡るとさっとタクシーを捕まえる。
運転手に告げた行先は、夏にプールに行く時にも利用した、海の中道への渡船場があるももち浜の海浜公園だ。
帰宅のために西へと向かう車の流れの、延々と並ぶブレーキランプを眺めながらの道行はたっぷり三十分以上はかかるものだった。
「――わ」
そうして福岡タワーのちょうど裏側でタクシーを降りた僕らを強い海風が迎えた。
片側一車線の信号のない横断歩道を渡って、公園の入り口階段をのぼる。
ビーチを見渡すためか、高くつくられた公園入口には、噴水や水路が設けられていて、よくわかんないオブジェなんかも並んでいる。
ぱっと見で分かりやすくデートスポットなんだけども、時間帯のせいか不思議と賑わってはいない。
何度か大学に入ってから散歩がてらきたりもしたんだけど、ほんとカップルみかけないんだよな。
タクシーとかバスでないと微妙にこれない不便さのせいだろうか。
あとは今の時期は季節のせいもあるだろうか、海が北側になるので遮るものがなにもないんだよな。
「つかささん、寒くない?」
「ええ、大丈夫。ね、ちょっと海を見ていかない?」
「ん、いいよ」
例によって天道に腕を差し出して、身を寄せ合って歩きだす。
コツコツと彼女の足元からは硬い音があがる、ドレスに合わせて普段と違う靴をはいてるからだろう。歩みは普段よりもゆっくりだった。
あんまり、長い距離は歩かない方が良さそうかなあ、とぼんやり思う。
柵のそばまで行くと夜の暗い海を背景にして、左右を店が囲む広場から海へと延びる白い道、その先の海に浮かぶ結婚式場が控えめな暖色の明かりによって夜に浮かび上がっている。
クリスマスまで一か月を切ってることもあって、イルミネーションなんかもされてるけど本当に控えめなんだよな……。
「なんていうか、奥ゆかしいよね、ここ」
「あら、伊織くんにしては言葉を選んだわね」
連れてきてもらった身としてはくさすのもあれだけど、白々しくなるのもなあと思った結果は、天道としてはお気に召したらしい。
くすくすと笑い声を漏らしたあとはそれ以上何を言うでもなく、僕の右肩に頭を預けて視線を海へと向けた。
こうした沈黙が苦にならないってのは素晴らしいことだろうなあ。
女子と何を話せばいいのかわからない、っていうのは全ての非モテ男子が共有する永遠の悩みだし。
ぼうっと遠くを眺めて過ごすのが全く苦ではない僕も、天道にならって景色を眺めることにする。
視線を少し右に向けると、真っ黒い海を縁取るように海岸沿いに光が並んでいた。
港湾施設のクレーンだろうか高い位置で連なる光や、誘導灯らしき強烈な赤い光、オレンジのライトが照らす都市高速を流れる車、ぽっかりと影になった場所は西公園のあたりだろうか。
そうして湾をゆっくりと滑る、船のものらしき光も見える。
光と影を見ながら、それが何なのか、何があるのかを想像する、おぼろげにしか分からないものは、だからこそ興味を引かれるのだろうか。
なんてぼんやり景色を眺めていると頬に柔らかなものが触れて、天道の甘い匂いが鼻をくすぐる。
放っておき過ぎたかな、とキスをしてきた彼女に視線を向けると、予想に反して天道は柔らかく微笑んでいた。
「私ね、遠くを見てる伊織くん見るの、結構好きよ」
「――なんか絵のタイトルみたいだね、それ」
なんか「〇〇を見る〇〇を見る〇〇」とか習作とかデッサンにつけられてそう。
「なぁにそれ」
声を上げて笑うと天道はキスをした側とは反対の頬に手を当ててきた。
なめらかな指先が、頬骨の形を確かめるように二度三度と上下に動く。
「――ここ、思ってたより冷えるし、もう行きましょうか」
「僕はいいけど、いいの? まだ来たばっかりじゃない」
「いいの。帰るわけじゃないから、次は、タワーにのぼりましょ」
そういって天道は高くそびえる塔を指さした。
§
――福岡タワーにのぼるのなんて中学の学校行事以来かな。
地上123Mだかの展望フロアへはエレベーターで一分弱、どんどんと高くなっていく視界にちょっと恐怖を覚えつつ記憶をたどる。
前に来た時はもちろん昼の間だったので、見える景色は全く違っていたはずだ。
タワーは部屋や大学付近から、割ときれいに見えるので僕にとっては完全に日常の風景だ、けどだからこそわざわざ行こうかって気にはならなかった。
なにより、大きなエレベーター内に乗っているのが僕らの他には三組のカップルだけなあたり、男が一人でくるようなところでないのははっきりしてるしな。
なんて思っていると腕を組んでいる天道が、より一層身を寄せてきた。
「つかささん?」
なにやらひそひそ声で会話していたりと、他の面々も似たようなことはしているけども、もうちょっとくらい我慢できないかな、という思いを込めて声をかけると悪戯っぽい笑みが帰ってきた。
「――こういうときって、どれだけこっそりいちゃつけるか、みたいなところあるじゃない?」
「初耳な風潮だなあ……」
そしてあんまりこっそりしてないと思うよ。
でもそう言われてみれば、世のカップルがなぜ人目もはばからずいちゃついてまわるのか説明がつく気がするな。
そうか、
なんてことを考えつつ、僕の手をとって指を絡めてきた天道の手を握り返すというシークエンスをこなした。
「うーん……カップルしかいないね」
「さすがに、この時間はそうよね」
そうして三百六十度が見渡せる展望フロアにいたのも、またカップルたちだった。
今や僕もその一部なんだけど、リア充空間というものへの謎の反発心が非モテ男子にはしみついてるせいかこういう時はどうしても棚上げしたくなる。
「ほら、伊織くん、もっと窓際にいきましょ」
もっとも天道つかさという美人で(今はあんまり関係ないけど)お金持ちの恋人の存在が僕にそんなことにこだわってる時間を与えてくれないけど。
タワーは三角形の筒型なので端の部分は必然的に鋭角になっていて、転げ落ちる想像を呼び起こすそこには高所恐怖症でなくてもちょっと近寄らんどことなる。
海側はさっきまで見ていたので、まずは街の光が眩しい市街地側の窓へ向かった。
東の方へ目をむけると、空に福岡空港へ向かう飛行機らしき光が見える。
「あんな眩しいところに着陸するのって難しそうだなあ」
「飛行機? そうね、暗いのとどっちが大変なのかしら」
「うーん、周りが真っ暗だとそれはそれで大変そうかな」
まぁ航空事故なんてかなり珍しいことだから、あれで深刻に困ってることもないんだろうけど。ただでさえ離着陸おおいところらしいからなあ。
「今度、どんな感じなのか、乗って確かめてみる?」
「それだけのために飛行機に乗るのはちょっと豪快過ぎない?」
社会主義者が聞いたらキレそうなお金持ちの発想だ(偏見)。
それからやれ天神があの辺、博多駅は多分あのあたりと、正解を確かめようもないクイズをはじめる僕らは完全に場に溶け込んでいたと思う。
例によってやっぱり、当事者になると意外と楽しかった。
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