彼を知り己を知れば
地下鉄のホームから二階分の長い長いエスカレーターを昇り終えて、地下一階の博多改札口へたどり着く。
地下階だけに天井は低いけれど、照明は明るく左右への視界が開けたことで、それまでの窮屈さからは少し解放された気分を覚えた。
表示された交通ICの残額に帰る前にチャージしとかないと、と思いながら自動改札を抜ける。
待ち合わせ相手である恋人、
今日も今日とてゆるく巻いた赤みがかった茶の髪に、顔面偏差値激高の美貌と抜群のスタイルを秋の装いで包んだ彼女は、改札口正面の壁際で手元のスマホに視線を落としていた。
なお隣にはなにやら彼女に話しかけている細身の若い男がいるんだけど、これをガン無視している、強い。
「――お待たせ」
「ううん、さっき来たところ」
声をかけると顔を上げた天道は傍らに人無きが如しに笑顔を浮かべた。若い男も、僕にチラと視線を向けたあと「ッス」みたいに目礼をしてさっと散っていく。
うーん、実にチャラいけども嫌味のない、慣れと年期を感じる対応だな……。
「今のってナンパ?」
「んー、多分キャバクラとかのスカウト?」
よく聞いてなかったけど、とのたまう天道はすっかり慣れた様子だった。
こういう人の多いところで待ち合わせする機会が今までなかったらはじめて見たけども、まぁよく考えるでもなく珍しいことじゃないんだろう。
しっかし本当に駅でああいうことしてるのいるんだな。
「そっか、で僕はどこに苦情入れればいいの?」
まぁそれはそれとしてモンスタークレーマーになるのも辞さないぞ。
「やいてくれるのは嬉しいけど、そこまでしなくていいから。それともなに、私が興味があるんじゃって心配してる?」
「や、そういうわけじゃないけど……」
「なら、つまらないこと気にしないで、いきましょ?」
「あ、うん」
考え事にふける間もなく、天道が僕の腕を引く。
うーん、しかし毎度ながら主導権を握られる感じになるな。
まぁ一貫して僕がペース握れてたことなんてないし、こっちのほうがお互いに楽な気はするんだけど。
「せっかくのデートなんだし」
「コンテスト用の買い出しでは?」
「それは半分」
「ええ……」
楽しそうな彼女に文字通り引っ張られながらテナントが並ぶ地下街をぐるりと回って、エスカレーターで地上に出ると、軽快な音楽が僕らを迎えた。
見れば駅前広場の大屋根の下にはビアガーデンみたいなテーブルと椅子が立ち並び、それを囲むようにぐるりといくつものテントが立っている。
まだ開場時間前なのか、入り口にはロープを渡したその空間にふと興味を引かれて脚を止める。
テントにはアルファベットで書かれた看板がかけられてたけど、どうやら英語ではなさそうだった。
「なんだろ、イベントやってるんだね」
「あぁ、確かオクトーバーフェストよ、ミュンヘンのビール祭り」
聞き返すより早く天道がそう説明を付け加える。
「へー、クリスマスマーケット以外もやってんだ……え、博多でミュンヘンのお祭りを!?」
いやまぁ、出来ないことはないんだろうけどさ。
在来線、新幹線、そして地下鉄と複数の路線が乗り入れる博多駅は僕らが小学生の頃に駅ビルが新しくなって、今では遅れて再開発に入った
週末だけじゃなく平日でも中々に込み合ってるんだけども、そこでのイベントとなると文字通りちょっとしたお祭り騒ぎになる。
「細かいことを言わないの、名前的にはどこでやってもいいでしょ」
「まぁそうだけど。え、じゃあここで皆昼間っからビール飲んでるわけだ」
「言い方。それに多分食べ物のお店もあるでしょ、ソーセージとか」
でもそれはビールを飲むためのつまみなのでは?
「アイスヴァインとか?」
「ワインはどうかしら、ビールのお祭りだから、ないんじゃない?」
「あれ、なんかそんな料理なかったっけ、豚肉つかったやつ」
「あぁ、アイスバイン? そっちは『ヴぁ』じゃなくて『バ』ね」
「そんな厳密に発音したつもりないんだけど……」
言語学者かな?
「二つともあるんだから仕方ないでしょ」
それにしても詳しいな、お金持ちだし実際に行ったことあるんだろうか。
大学に入ってから割と当たり前に海外旅行の話聞くんだよな……。
「そんなに気になるなら、お昼はここにしてみる?」
「うーん、でも僕は飲めないし、混みそうだからいいかな」
あとこういうところってお高そうなイメージあるしな。ソーセージ一皿で八百円とか言うんだ、きっとそうなんだ。
いやそれが割高なのかどうかはわからないけど。
ともあれ聞いた本人も聞いてみただけだったんだろう。そう、と頷いて天道は再び僕の腕を引く。
並んで駅構内に入ると、いつも通りに甘いクロワッサンの匂いが僕らを迎えた。
スン、と隣の天道も鼻を鳴らした気がする。
「うーん、いつもの」
「なぁにそれ? 長居すると並びたくなっちゃうから、行きましょ」
「あ、うん」
行列のできる人気店の魅力はお金持ちにも有効らしいな、なんて思いつつエスカレーターへと向かった。
§
そうして気づけば僕らはメンズのアパレルショップにいた。
「……ねえつかささん、今日はコンテストの衣装選びって言ってなかったっけ」
「ええ、そうだけど」
「じゃあなんで僕の服を見てるの?」
いや『それが何か』みたいな顔して服をあわせてるけど、これっておかしいのは僕じゃないよな、と思っていると恋人様は唐突にお綺麗なその顔を曇らせた。
「――最近ね、おばあさまの惚気がひどいの」
「ええ……?」
僕の知らない間に天道家ではそんな愉快なことが起きているのか、そして祖父が何をしたらそんな事態を引き起こすことになるんだ。
「ほんっとうにひどいの」
「そんなに」
でもそれって現状にはつながらなくない?
もし惚気返しをするにも、僕と祖父じゃジャンルが違うし、そもそも世代間格差がなあ。学生の付き合いで祖父母世代に響くような話ってできるんだろうか。
あともしパートナーのお洒落さを競おうっていうつもりなら、一生臍を噛んでもらうことになりそうだけど。
「だから、二人で学祭に来られた時のために備えておきたいのよね」
「あ、そういう方向なんだ」
「ええ、伊織くんのほうが素敵だっておばあさまに認めさせなきゃ」
「無理じゃない?」
「ちょっと?」
いや、僕や祖父がどうとかじゃなくて、天道がそう思うようにおばあさんも祖父に対してそう思ってると思うんだよな。不毛では?
「服装にまで口を出すのって、束縛が強い感じがしてやめてたんだけど……」
手は止めないままにちらりと何か言いたげな上目遣いを向ける天道に、その辺の遠慮はまだあったんだなあ、なんて呑気なことを考えていた。
「なぁに? 言いたいことがあるならはっきり言って」
「や、服のセンスないのは自覚してるし、選んでもらうのはむしろありがたいけど。ただ、つかささんもそんなこと気にするのかって思っただけ」
「それはどっちの意味? おばあさまたちとのこと? 束縛のこと?」
「両方かな……」
「それは、気になるわよ。いけない?」
ちょっと拗ねてみせる天道もこれはこれで味わい深いな……。
「別にいけなかないよ、単に新しい発見だなって」
「そう……」
ちょっと何かを考えこむ様に口をつぐんだ天道は、むうって感じで眉根を寄せたあと手にしていた服を棚においた。
そうして、僕の胸に人差し指を突き付ける。
「あのね伊織くん、あんまり私を甘やかさないでくれる?」
「ええ……」
僕は何を言われているんだろう。
「どうしたの、急に」
「前々から思ってたけど、伊織くんはちょっと私に甘いと思うの」
「それを自分から言っていくのか……」
まぁ世間一般からそう評されるのは仕方ないかって自覚はあるけども。
あと多分『ちょっと』じゃなくて『かなり』だと思う。
「心当たりがあるんならつかささんのほうで自制するとか」
「無理、できるなら甘やかされたいもの」
うーん、潔い。
あと確かに無理って言葉は中々に力強い響きだな。
「ならもうしょうがなくない?」
「ダメよ、そうやって節度を無くすとよくないって身近な例が証明してるでしょ」
「そこで葛葉を引き合いに出すのはやめようよ……」
僕にとってはこちらを狙う危険なゆるふわモンスターな彼女だけど、天道にとっては一応まだ友人じゃないっけ。
「あら、私は名前は出してないわよ」
「それは言うまでもないからでは?」
他山の石とするにしても、もうちょっとこう手心というか……。
「まぁでも、僕だって本当にしてほしくないことがあればちゃんと言うし」
「例えば?」
「そうだなぁ、誰か男と二人っきりで遊びに行くとかはやめてほしいとか」
「それはしないけど。もう少し他にはないの?」
「じゃあ顔出しの配信は怖いから絶対しないでほしいとか」
「それもしないけど、配信に興味もないし。そう言うのじゃなくて、もっとこう普段してるようなこととか、そもそもしてほしいこととか、色々あるでしょう?」
さすがに人目の多い店の中では遠慮したようだけど、久々にバンバンしそうな勢いの天道を見たな。
「じゃあそろそろ料理を食べたいっていうのは?」
「ん、わかった、なら今夜ね」
話がはやい。
「え、でもいいの? なんかてっきりイベントとかのタイミングでお披露目を狙ってるのかと思ってたんだけど」
それこそ僕の誕生日とかを待ってるのかと。
「それは少しあったけど、この流れでダメなんて言ったら、いよいよ私ワガママがすぎるじゃない」
「いや、別につかささんは自然体でいいと思うけど」
「言外にワガママだって肯定しなかった?」
「そういう考え方もできるかもしれないね」
「もう――」
何かを言いたそうにした天道は、結局それを飲み込む。
「じゃあ今日、泊りにいくから」
「うん、楽しみにしてる」
よし、楽しくデートが出来たな!(パーフェクトコミュニケーション)
「――ちょっと伊織くん、それだけ?」
個人的に快挙を成し遂げた感じになってしまったけど、天道的には話題は現在進行形のままらしい。
「え、まだ何かあるっけ?」
「要求が全然ささやかじゃない、私べつにケチじゃないつもりよ?」
「そう言われても、さっき言った通り僕がつかささんに感じてるのは野生動物の生態的なそれで、躾けられたペットの魅力とは違うし」
こうBBCの番組とかの「秘境に住む肉食獣、その驚きの生態」みたいな。
「さっきそんなこと言ってた?」
しばし考えるそぶりをみせたあと、天道はやっぱり複雑そうな表情で口を開いた。
「――それは、ありのままの私が好ましいってことでいいの?」
「だいたいそんな感じ」
まぁもっと細かく言えば天道にひと手間を加えてより僕好みにっていうのがまったく想像できないっていうか。
「それならそうと言って! どうしてさっきから微妙な言い回しをするの!」
がおーと吼える天道に二の腕をバンバンされた。結構痛い。
「いたいいたい……じゃあ逆にさ、つかささんは僕に言いたいことないの?」
「え、私?」
不意をつかれた、という感じで彼女は動きを止める。
そうしてそのまま「んー……」と唸りつつ長考に入った。
「ほら、服がダサいとか、あとは婚約したころの塩対応を恨んでるとか」
「前者はもう変えていいって言質をとったし……後者はそうね、伊織くんがそうして気にしてるんなら、それだけで十分ってところかしら」
「アッハイ」
語るに落ちましたね、これは……。
そうして上目遣いで意味深な視線を送ってきた彼女はふっと微笑む。
「そうよね、私たちも大事なのはこれからだし。おばあさまの『伊織くんのおじいさまが喜んでくれた自慢』がちょっと羨ましかったくらい、大したことじゃないわね」
孫に対してどんなマウントの取り方してるのさ、天道さん家は。
そしてなんか葛葉よりよっぽど自分の祖母に対抗心見せてない? 強敵度合いで言えばそりゃあ確かに圧倒的にちとせさんのほうが上な気はするけど。
「あー、じゃあ僕も要望出さなくても大丈夫そ?」
「ええ。よくよく考えたら天道家は代々ワガママを聞いてもらう家系だし、伊織くんがそれでいいなら、私ももう遠慮しないわ」
「なにそれこわい」
あと自分の血族への深刻な風評被害じゃない?
「事実だもの。母も姉も、父や義兄さんにはそういう感じだし。おばあさまだけは違うのかと思ってたんだけど、どうもそうじゃなかったみたいだし」
「ええ……」
これはもしや、藪をつついて蛇を出してしまったのではなかろうか。
嬉々として新しい服を取りに行く天道を見ながら、僕はあまり高くなりませんようにと願っていた。
§
――そうして肝心の自身の買い物で、僕の「可愛い」「格好いい」「お洒落」というクソ雑魚語彙の誉め言葉を聞きわけて、無事天道は納得いく衣装を決めることが出来たようだった。
なお複数お買い上げしてどれにしたかは当日のサプライズになった模様。
ついでに情報漏れも防げるし、完璧な態勢だ。
そもそもそこまでする必要があるのかってところは疑問だけども。
「それでつかささん、今日のご飯は?」
「ヒミツ、せっかくなんだからできてからのお楽しみの方がいいでしょ」
一旦、家に帰ってからお泊りに来た彼女は、調理中は部屋から出ないように言い渡してきたくらいに徹底していた。
なんなら衣装よりがっちりガードしてるんじゃなかろうか。
まぁかなりたくさんのものを切ってた包丁の音と匂いと現在進行で煮こんでることから、なにか煮物を作ってるのは間違いないんだけど。
「じゃあちょっと見てくるから、覗いちゃダメよ」
「ここまで来たらちゃんと待つよ」
「ええ、そうして。頼んだの、お願いね」
「うん」
ぱたん、と素早くキッチン(通路)への戸を閉める天道を見送って、僕はノートPCの画面に目を移した。
曲名と歌ってみたのキーワード検索で出てきた動画を、原曲を一番手にした再生リストへ登録していく。
ミスキャンパスコンテストの本番では、参加者たちには三分弱のアピールタイムが与えられる。
そこで天道が自身のアピールに選んだのは歌、それもボカロ曲のカバーだった。
実に意外な選択だけども、本人曰く普通のエンタメ方向では優勝候補の
それこそ日舞とか楽器とかお嬢様っぽいことは出来ないでもないけど、どうしても地味だし、そうしたところで悪評の広まってるところの心象をひっくり返せるほどの意外性はないだろう。
だから、うわさには縁遠くて、かつ葛葉の支持層にもなりそうな文化系を切り崩しに行くための
わが恋人ながら分析がガチすぎてちょっと引く。
と思ってるとキッチンからじゅーと何かを焼く音が聞こえはじめた。
「うーん……」
天道が候補に選んだのは今年の六月に発表された曲で、次々と歌い手や配信者にカバーされる人気だし、長さも三分弱とぴったりだ。
ライト層のウケは言うまでもなく、
ただそれも天道の歌唱力次第なんだよな、自信家ではあっても誇大妄想ではないから、ちゃんと勝算もあるんだろうけど……。
「――伊織くん? ご飯できたから、ちょっとあっち向いててくれる?」
「あ、うん」
徹底してるなあ、と思いつつ要求の通りテーブルに背を向けた。
コトコトと皿を置く音と食欲をそそる匂いを感じつつ待つことしばし「どうぞ」の声を受けて僕は振り向く。
「おお…………おぉ…………」
そうしてテーブルに並べられた料理と見事なドヤ顔を決める天道に視線を行き来させた。
中央にはサラダボウルを置いて、互いの席の前にご飯と豚肉の生姜焼きと
それは天道つかさの印象からすれば少し地味な、けれどそれ以上に家庭的ないかにもの「手料理」だった。
「どう、感想は?」
「うれしい」
「そ、そう?」
語彙力の消失した僕にやや引いた様子ながらも、なんとなしに天道はほっとしたように頷いた。これも結構珍しいリアクションだな……。
「じゃあ、味も確かめてみて」
「うん」
「やっぱり伊織くんが素直だとちょっと不安になるのよね……」
これは僕と天道のどっちが不憫なんだろうな、と思いつつがめ煮に箸を伸ばした。
ちょっと悩んだ後でタケノコを口へと運ぶ。
「おいしい」
「……望んでた言葉のはずなんだけど、この気持ちはなにかしら」
「すごくおいしい」
「ありがと!」
がめ煮は具材は食べやすい大きさ、堅さで、味も良く染みているし、ちょっと濃い目の味つけが嬉しい生姜焼きでご飯が進む。
ついつい食事に夢中になる僕の姿に、複雑そうな気配を発していた天道はどうやら笑ったようだった。
「――こういうのって肉じゃがが定番だと思うんだけど、それじゃちょっとつまらないでしょ?」
「おいしい」
「もっと凝った料理も考えたんだけど、それだと今度は次の時にハードルがあがっちゃうし」
「おいしい」
「ぶつわよ」
「
「食べながら話さないの」
もう、と言って天道も箸を手にとる。
「――だから、伊織くんが好きなお肉とうちの味つけの煮物にしようかなって」
「マーケティング的にも大正解だと思うよ」
馴染みのある献立だけど、一人だと積極的に作ろうとは思えない絶妙に手間がかかったり材料が多かったりするもんな。
「どこの市場か知らないけど、待たせた分は喜んでもらえたみたいね」
夏からこっち天道つかさの独占が続く僕市場かな……。
がめ煮の鶏肉を味わいながら頷いた僕に、天道は食事の手を止めて微笑む。
「ありがとうね、伊織くん」
「――え?」
それはこっちの台詞では??
「だってキミの『おいしい』が、家族に言ってもらうのとこんなに違うなんて思わなかったから」
それにどう答えたものかと語彙力の失せた頭で考えている内に、嬉しくて、と続けた天道は話はおしまいとばかりに食事に集中しはじめる。
耳を少し赤くしていた彼女が、照れていたのだと気づいたのは、僕がおかわりしたご飯とがめ煮を食べ終えたあとだった。
「――ごちそうさまでした、おいしかったです」
「おそまつさまでした。そう言ってもらえたらなによりね」
秋も深まった、ある夜のことだった。
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