事情を知ってる彼女の友人がぐいぐい来る

「――伊織いおりクン、隣の席、よか?」

 葛葉くずのは真紘まひろが、講義前に声をかけてきたのは律儀りちぎにも一週間の接近禁止期間が終わった日のことだった。

 今日も今日とて彼女はアッシュグレージュのゆるふわロングに女子アナ風コーデをばっちりあわせて、清楚系の雰囲気を醸し出している。

 童貞でない僕を標的と定めたらしき葛葉の動きに、彼女の悪評を知っている者を中心にして大講義室にざわめきが広がっていった。

「え、やだ」

 そして僕の拒絶の一言でそれはさらに大きくなる。

「ん”ん”ん”~~~」

 何とも言えない声を上げた葛葉は、僕の隣の席に視線を向けると花が咲いたような笑みを浮かべた。

「ねえ、神谷かみやくん?」

「アッハイ、なに? 葛葉さん」

「おいやめろ、かみやんは関係ないだろ」

 友人であるかみやんこと神谷大輔だいすけ(童貞)に卑怯にも目を付けた葛葉は、僕の制止の言葉も聞かずに続ける。

「ちょっと席ば譲ってもらってもよか? 今度お礼するけん」

「ハイヨロコンデー」

「待った葛葉。僕の友達には手を出すな、隣に座っていいから」

「そう?」

 あわてて二人で使っていた四人掛けの机の端を空ける。

 荷物は足元に放り込んで左の席からかみやん、僕、葛葉の荷物、そして葛葉といった配置だ。

「ありがとね、伊織クン」

「白々しい……!」

 ぐぎぎと歯ぎしりする僕をあざ笑うように、葛葉は本当に席を譲ってもらっただけみたいな顔して筆記具を取り出しているのがなお腹立たしい。

「――なぁ、しのっち」

「言いたいことは分かるよかみやん、でもだめだ」

 そりゃあ確かに葛葉もちょっといないくらいの可愛い系美人だ。

 だけど童貞食い捨てモンスターであることは当人も自白したことで、友人がその毒牙にかかるのを黙って見過ごせるわけがない。

「いつか、いつかきっとかみやんにも可愛い彼女が出来る日が来るだろう、でも今日じゃあないんだ」

 というか少なくとも初カノは葛葉ではない方がいいと思うんだ。ガチで。

「でもさぁ……」

「冷静になったほうがいいって。仮に葛葉と仲良くなって付き合えたとしても、どうせ梅原うめはらみたいに一か月もたたずに捨てられて、そのあとずっとこんな元カノ基準で女子を見ることになるんだぞ、不幸だよそれは」

「伊織クン、人を指さすとはお行儀わるかよ?」

「あ、ごめん」

「ウメかぁ……それを言われるとちょっとなあ」

 どちらかというとかつては僕らサイドだった同学部の友人の名前に、かみやんも痛ましそうな表情を浮かべた。

 思い出しているのだろう、今ではすっかり似合わない金髪とハイテンションで女子に声をかけては撃沈している彼と、かつては呑気に非モテトークを繰り広げていたことを。

 もう、決して戻ってこないあの日々を。

「そっか、そうだな――いやでもやっぱつれぇわ、そりゃしのっちは天道さんがいるからいいけどさ……」

 しかし、それでもなおかみやんは諦めきれないようだった。

 天道とかいうS級美人(ポリコレ違反)を彼女に持つ僕に言われてもなあと言う主張も理解できる。

「こ、今度つかささんに友達紹介してもらえないか聞いておくからさ」

マジ?」

「……マ」

 とは言ったけどこれ僕の弾除け代わりにかみやんに葛葉を紹介すればいいじゃない、とか言われないかな……。

 恋愛絡み、まして他人事だと天道がどう出るかは未知数過ぎて読めないな。

「ってか、天道さんって女子の友達いるん?」

「うん、多少は?」やっぱそう言う感想でるよな……。

「そっかー、じゃあ俺どうせならオタクに優しいギャルがいいなぁ」

「うーん、それはいないかもなあ……」

 そもそも実在してんのかなあ、そんなギャル。

「ま、あんまり期待しないで待ってて」

「なんの希望もないよりいいからヘーキヘーキ! サンキューな、っぱ、持つべきものは彼女持ちの友達だわ」

 天道と付き合ってから冗談交じりとは言え態度を変えた友人も多い中で、かみやんは本当善人だよなあ。

 どうしてこれで女子にモテないのか(男子特有の友人評)。

「ふふふ、二人とも仲よかねえ」

 あとなんで葛葉がちょっとご機嫌なのか。

 本当に何が琴線に触れるかわかんないなこのモンスターは……。

「ところで、葛葉さんとしのっちって何かあったん? 絡みなかったよな?」

「や、ちょっと説明しづらいんだけど、まぁつかささんの友達だからかな……向こうの気まぐれだよ」

「気まぐれじゃなかよ? あんね、伊織クンにちょっとウチとも付き合わん? って話しとると。ねー?」

 真っ正直に説明してもなあ、という僕の思惑はとうの葛葉によって打ち砕かれた。

「はい?」

 そして彼女の発言が理解できなかったらしいかみやんが背景に宇宙背負ってそうな表情になった。実に正しい反応だと思う。

「その話終わってなかったんなら、他人ってことにさせてもらっていい?」

「あ、そうやった、友達からやった、ごめんねー」

 ははーん、これは絶対わざとだな?

 そして「から」ってことはやっぱりまだ諦めてないのか。

 心の警戒レベルを引き上げているうちに、かみやんが再起動した。

「え、これ、天道さんに怒られね? 大丈夫なん?」

「あ、葛葉が声かけてきたのはつかささんも知ってる。それで一週間の謹慎だったんだけど、明けて早々に声かけてきた感じ」

「――これもうわかんねぇな」

 それからしばらくの間「女子ってわかんねえわ」と繰り返すかみやんの姿が仲間内で話題になり、残念ながら天道の友達にオタクに優しいギャルはいなかった。


 §


 むー、むー。

「それで、結局大丈夫だったの?」

「ん、かみやんにはその後接触させなかったし、葛葉本人にも重々じゅうじゅう言い聞かせたから大丈夫じゃないかな」

「私が心配なのは伊織くんなんだけど……むしろ神谷くんに真紘と付き合ってもらったら? 案外上手くいくかもしれないわよ?」

「僕はね、つかささん。『かもしれない』で友達をヒモなしバンジーさせるような男にはなりたくないんだ」

「そこまで深刻な話? 女の子と一度付き合ってみるのって、上手くいかなくても悪いことじゃないと思うけど……」

 むー、むー。

「一般論ではそうかもしれないけど、今回はそうじゃないと思うんだ。あんな危険物と付き合ったら一発で性癖歪むよ」

 梅原っていう実例もあるしなあ……。

 そもそも経験者の「そんなに大したことない」ほどあてにならないものもない。

 未知との遭遇はいつだって大変なものなのだ(経験談)。

「確かに真紘の趣味はちょっと変わってるけど……」

「ちょっと?」

「……だいぶ変わってるけど、そこまで危なくはないと思うんだけど」

「それ、僕の目を見て言える?」

「いいけど、キスしたくなるかもしれないわよ」

「それは我慢しよう」

 人目がどれだけあると思ってるんだ……(戦慄)。

 むー、むー。

「……ごめん、つかささん。ちょっとスマホ見てもいいかな?」

「ええ、もちろん」

 先ほどから振動し続けているスマホを取り出し、通知欄で送り主を確認してスムーズにサイレント通知設定に叩き込む。

 ヨシ!

「でもやっぱりこうやって彼女と二人きりのところに割り込んできた上に、スマホで密談しかけてくるようなのは危険物としかいいようがないと思うんだけど」

 そして同じテーブルにあとから押しかけて来た上で、会話に加わらず密かにメッセージを送ってくる厄介ムーブをしてきた葛葉を親指で指し示した。

「えー、だってこうでもせんと伊織クンがウチのこと無視するけん、しょんなかしかたないたい」

「いや、普通に話振ってくれたら無視はしないって」

 しかし当の葛葉はまったく悪びれずに、てへぺろと舌を出した。

 実にあざとい。早くも連絡先交換したのが悔やまれて来たな……。

「真紘、変なの送ってないでしょうね、えっちな自撮りとか」

そがんそんな危なかことせんよー。あ、伊織クンが広めるけん危ないって意味じゃなかよ? 落としたりとか、誰かがスマホのぞいたりとかあるけんね?」

「や、別にそこはいいけどさ、当然の備えだし」

 天道といい葛葉といいえっちな自撮りに対してだけは、やたらに危機感を持ってるのはなんでだろうな。

 別に悪いことではないんだけど。送られても困るし。

 でもそれより前に二人は自分たちの性遍歴が世間に駄々漏れなことをどうにかすべきじゃない?

「伊織くん、それで真紘は何を送ってきてたの?」

「や、別に普通のメッセージだよ、逆になんでわざわざスマホいじってたのか聞きたいくらい普通」

「ふうん……ちょっと貸してもらえる?」

「いいけど……」

 こんなので邪推されてもたまらないので画面を見せると、思ってた以上に天道がくいついてきた。わりと珍しい反応だ。

 友達だからと基本的には擁護姿勢だけど、それはそれとしてやはり脅威認定もしてるのだろうか。

 心配しなくても多分浮気はしないけどなあ、まして葛葉相手に。

「伊織くんは恋人のかわいいヤキモチくらい受け入れてくれるわよね」

「まぁ、たまになら?」

 例によって僕は顔に出していたのだろう、天道は意味ありげな視線を送ってきた。

 けどそれならいっそ永遠に葛葉を遠ざけてくれた方が困らないんだけどな。

「ねーねー、伊織クンってスマホに見られて困るものないとー?」

「いやそりゃ好き好んで見せたくはないけど、まぁつかささんなら」

 一番他人に見られたくないのが天道とのチャットログとか、位置追跡アプリの存在だからなあ。

 本人相手だといよいよ隠すべきものがなくなってしまう

「ふうん、じゃあ次にウチも見せてもらってよか?」 

「やだよ。『つかささんなら』って言ったじゃん」

「ねえ伊織くん、私のこと普段からもっとお友達に自慢してくれてもいいのよ?」

「関係ないログは見ないで欲しいんだけど?」

 趣旨が変わってないかな。

 何を見たか知らないけど、彼女じゃなくて婚約者のころだったら許されないとこだぞ。我ながら前後が逆な気がするな?

「ありがと、もういいわ」

「あ、うん」

 天道からスマホを受け取ると、彼女はそのまま僕の手を取ってなにやら握ったり撫でたりと手遊びをはじめた。

 その柔らかですべすべな手に心拍数が上昇するのは変わらないけど、こういうちょっとバカップルみたいな触れあいには多少慣れてきた。

 最近だとちょっと微笑ましさを覚える余裕さえ出てきたくらいだ。

「ふふ、二人ともホント仲よかねえ」

「そう思うなら本当に僕のことそっとしておいてくんないかな……」

「そうよ、真紘がいたらシャイな伊織くんがいつまでもキスしてくれないでしょ」

「や、葛葉がいなくてもここでは遠慮したいんだけど」

 普通に人目もあるし。

 あとその言い方だと僕が天道といちゃつきたくて葛葉を遠ざけようとしてるみたいになるからちょっとやめてほしい(いちゃつきたくないとは言ってない)。

「えー、ウチのことは構わんでよかよ?」

「こっちが大いに構うんだよなあ」

「そもそも真紘はなんでこんないたずらしたのよ」

 あ、少し建設的な流れになりそうだな。

 ちらりと視線を向けると顔だけじゃなくて内面もたぬき説が出てきた葛葉は、わざとらしく小首をかしげて「んー」と小さく唸った。

「ちょっとね、伊織クンがつかさちゃんと話しよるときにスマホをどがんするかなあって気になったと」

「人を試すの普通にやめてくんない」

 キリスト教の単位取ってないの? 汝試すことなかれってご存知ない?

 やっぱり天道は一度友達付き合いを考え直した方がいいんじゃないかな……。

「だってー、付き合っとったら男の子って、スマホ見ながら話したりするようにならん? ウチあれが悲しかと」

「それは個人の問題じゃないかな……」

 付き合ってるとかじゃなくて、友人間でもやるのとやらないのと分かれるし。

 ちらりとほかの席に視線をやれば、なんなら二人そろってスマホぽちぽちしてるのもいるくらいだ。あれってなんなんだろうな。

 偶々どっちにも急な連絡があったのかもしれないけど、ファミレスとかでスウェット姿の女子ズがずっとそれぞれスマホ弄ったりしてるよな(偏見)。

「えー? つかさちゃんならわかろー?」

「経験談ってことなら、初カレの伊織くんがしないんだからわからないわよ?」

「ええー?」

「へ?」

「……どうして伊織くんも驚くのよ、私キミ以外とお付き合いはしてませんから」

「アッハイ」

 ちょっと「初カレ」の単語の威力に驚いて、恨めし気な視線を貰ってしまったけど、そう言えばいつだかも初めての恋人って言ってくれてた気がする。

 まあでもその初カレとの前に九十八人ほど関係をお持ちになってるんだけども!

「えー、法学部の人とは付き合っとらんかったと?」

「うぐ」

 そして葛葉は過去を掘り返してコラテラル致命傷を与えてくるのはやめてほしい。

 僕への単体攻撃で即死攻撃な通常攻撃だぞ、それは。

「誰を勘違いしてるか知らないけど違うわ。あと伊織くんの前で昔の話はやめて」

 呻いた僕を見て天道が絡めた指にきゅっと力を込めてきた。

 ここで気にしてないよ、と言えればいいんだけど、今の僕では嘘になってしまう。

 なんて言ったものかなあ、と思いつつひとまず天道の手を軽く握り返すことで、健在(ノーダメージとは言ってない)をアピールしておいた。

「えー、別に適当に言ったんじゃなかとよ? ウチ本当にそがん思ったと、それにもしそうでも隠すことでもなかろー?」

「それでも、よ。彼が聞きたいならともかく、そうじゃないのに聞かせる必要もないじゃない。そもそも勘違いだし」

 極々真っ当な、そしてそれだけに有無を言わさない強い調子の天道の言葉に、さすがの葛葉もゆるふわな雰囲気をひっこめた。

「んー……わかった、ごめんね。伊織クンも」

「……うん、まあ、いいよ。こういうラインって人それぞれだし、葛葉も他意はなかったんだろうし」ないよね?

 あったらあれだけど、まぁこうも素直に謝られてしまうとこちらも追及し辛い。

 天道の過去を積極的に掘り返す必要はないと思うけど、それを気にして一々ダメージを受けるのは自分でもどうにかしたくはある。

 まぁそれにしても、葛葉は童貞好きって言う割には違う意味でも特攻持ってないかな、チクチクくるぞ……。

「まぁ、もし聞きたいことがあるなら、僕がつかささん本人の口から聞くよ。それだけ覚えててほしいかな」

「ん、わかった、気をつけるけん」

「そうよ、気を付けて。伊織くんはコアラくらい繊細なんだから」

「もうそれはいいから」

 マチズモ気取るつもりもないけど、あんまり打たれ弱いアピールされるのも男子的には複雑だぞ。

 あとコアラにそんなに繊細なイメージってある?

 実は意外と目つきが悪いくらいの印象しかないんだけど。

「あー、でもひとつだけ聞いてもよか? さっき伊織クンなんですぐにスマホ見んかったと? ウチからって知らんかったよね?」

「え、だってつかささんと話してたし」

 当たり前では?

 もし何かのそれこそ家族になにかあったとかの緊急事態ならまず通話だろうし、それ以外なら目の前の相手より優先する理由がない。

「さっきも言ったけど、そこらへんは個人差じゃない? 僕はそういうの気になるから、その辺は友達相手とかでも変わらないよ」

 天道も家が厳しいからか同じように話してる最中は基本スマホは放置だ。

 なんなら他のところで僕はお行儀悪いってたまに言われちゃうけど。

「ふうん……つかさちゃんよかねえ、うらやましかあ」

 葛葉の言葉は「しみじみと」って形容がぴったりだった。

 まだ短い付き合いとは言え、天道の友達である彼女もそのあたりの意識は同じようなもんだと思ったんだけど、そんなに元カレとは会わなかったんだろうか。

「何度でも言うけど、伊織くんは絶対にダメよ」

「もー、ウチは人の彼氏に手を出したことなかよ」

「それ、頭に『まだ』とかつくやつじゃないの?」

 藪蛇っぽいなあという天道の釘刺しに、案の定な返しが来たので話を逸らすと、ちょうどのところでチャイムが鳴った。

 移動の準備のために、つなぎっぱなしだった天道の手がほどける。

「つかさちゃん、このあとって暇しとらんー?」

 ちょっとだけ名残を惜しむ様に指先が絡みかけたところで、葛葉が僕を挟んで反対の天道に声をかけた。

 と言うか二人してなんで当たり前のように左右を固めるの?

「ごめん、今日は伊織くんの部屋に行く予定だから」

「あ、じゃあ伊織クン、ウチもお邪魔してよか? 変なことせんけん」

「え、やだ」

 その補足もう完全なフリ・・じゃん。

「伊織クン、ほんと酷か断り方するとね……」

「だから言ったでしょ、私も結構ぐさぐさ刺されたんだから」

「つかささん、もしかして結構根に持ってたりする?」

「それをダシにして伊織くんを困らせたいくらいには、ね」

 どんな顔すればいいんだ僕は……。

「もー、またまたいちゃいちゃしとるー」

「言いながら手を取ろうとするの止めてくんない?」

 どうして当然みたいに手を繋ごうとするのか、位置が悪いな位置が。

 くるりと天道と位置を入れ替えると、葛葉は気にした様子もなく彼女と腕を組んだ。なんかこれはこれで釈然としないな……。

「つかさちゃん、今日えっちすると?」

「そうよ、だから遠慮して」

「つかささん、はしたない」

 確かにそういう予定だったけども、さすがにそこは言葉を濁してほしい。

「ならウチもかっちぇてまざらせてくれん?」

「どうしてOKが出ると思うんだ」

「前にも言ったけど誰とも伊織くんをシェアする気はないから、諦めて」

「えー、なら見るだけ! 見るだけならよかろ?」

「どうしてそんなに食い下がるんだよ……」

 あと天道もどうする? みたいな視線はやめよう。

 なんで「それくらいなら」みたいにちょっと考慮する感じになってるのさ。

 そうしてなおも粘る葛葉に僕は結局再び一週間の接近禁止を言い渡し、天道からももう少し踏み込んだ警告が出た。

 これでいい加減僕にちょっかいかけるの、飽きてくれればいいんだけどな……。

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