秋の恋人編
葛葉真紘という女
次に身体的な特徴に関する数字を知らされて「
そうして三度目には「うちの大学にはそんなのばっかりか」と絶句して、その後は話題に上がっても適当な相槌を返すだけとなっていた。
つまり葛葉真紘はたぬき顔の可愛い系美人で、女子アナ系の清楚な服装と雰囲気ながらもHカップの爆乳の持ち主で、ひと月で三人もの童貞と付き合って別れたという恋愛遍歴をお持ちで、一年の内に十人の童貞が彼女で大人になったと噂される同級生だった。
学内にその悪名は僕の恋人であり、葛葉の友人でもある
つまりは葛葉も悪評なんてどこ吹く風の無敵な存在に見えた。
とは言え僕は今年の梅雨には天道と婚約して彼女にかかりっきりだったし、夏休みには晴れて恋人同士となって童貞も喪失した(すごかった)。
だから葛葉は同級生で恋人の友人以上の存在ではなかったし、今後も積極的に関る気はなかった。そのつもりでいたんだけど。
「ねーえ、
「え、うん、そうだけど」
女子の反発に一役買っている強めの訛りで聞いてきた葛葉は、講義中にも関わらず必要以上に身を寄せてくると楽しげにその大きな目を笑みの形に細めた。
こっちはそのでっかいお持物が当たらないように窮屈な姿勢を強いられて辛いのにな。
なんだろう嫌な予感がする、具体的には天道が僕に抗えないタイプの企みをしているときに察せられる予感が。
確実に吹いてきている、僕に都合の悪い風が。
「そっかぁ、ちょっと残念かねー」
友人が彼氏と上手くいっているなら普通は祝福するところでは?
口に出したら藪蛇な言葉を飲み込んで、僕はこの嵐が一刻も早く過ぎることをただただ天に祈った。
「それじゃーあ、ウチともこっそりつきあってみん?」
「ええ……?」
もちろん、悪い予感の通りに、そんなささやかな祈りは粉砕されるのだけど。
§
「――真紘、
まだ残暑の過ぎ去らない九月の午後、日陰になったテラス席で天道は対面に座った葛葉へ初手で鋭くも切り込んだ。
ただし、声や表情にさほど険はなくて、なるほど利害の一致による互恵関係とかではなく二人は本当に友人だったんだな、と思わせる。
「えー、そがんことしとらんよー?」
そんな天道の追及に、葛葉もあくまで愛嬌のある笑みを崩さぬままのんびりとした声で答えた。かえって底知れぬものを感じないでもないけど。
まぁ、思っていたほどの修羅場にはならなそうで少しホッとした。
そんな経験ないし、僕のために争わないでとか言いださなきゃいけないのかとか血迷いそうだったからな……。
「浮気に誘っておいてよく言うわね?」
「そがんつもりもなかったとってー、怒らんでー?」
「じゃあどんなつもりだったんだよ……」
しかし文句のつけようのない美人の天道と可愛い系の葛葉が、きゃいきゃいやってるとそれはそれで周囲の視線も集まる。
顔面偏差値の高さは暴力的な圧があるし、多分なんか映え系成分ふくんだマイナスイオンとかも出てるんじゃなかろうか(適当)。
これがもっと穏やかな話なら僕も呑気してられるんだけどな……。
「いい? 伊織くんはね、まともな人なの」
「ウチらと
「そうよ」
「あはぁ、つかさちゃんがそがんこと言うと面白かー」
「笑いごとやな――じゃないんだけど」
釣られて訛りそうになって苦い顔で訂正する天道に、葛葉は「ニヒ」って感じの笑みを浮かべた。
「ねーね、今なんで言い直したとー? ねーえ、つかさちゃーん?」
「別に、なんでもいいでしょ」
葛葉の出身は長崎らしいけど、訛りに福岡との共通点は多いし、ついでに彼女ののんびりした話し方のせいか妙に耳に残って引っ張られるんだよな……。
「なーん? つかさちゃんいつもウチと二人ん時そがん話し方せんとにー」
「なら二人っきりじゃない今は、普段と違ってもおかしくないでしょ」
そして思いっきり食いつかれて、天道はやや主導権を失いつつあった。
ゆるふわ侮りがたし。
「でも別に―、伊織クンも困っとらんよねえ?」
「いや、困ったからつかささんを呼んだんだけど? あとしれっと名前呼びすんのやめてくんないかな」
「えー、でもつかさちゃんは呼んどーし、伊織クン自分の名前好かんと?」
あ、その人は僕の(大切な)彼女なんでいいです。
「だってつかささんは彼女だし。あと名前が嫌いなんじゃなくて、良く知らない相手に名前で呼ばれるのがイヤなんだよ」
とは言え正直なところ天道に日常的に呼ばれているせいか、最近はあんまり気にならなくなってきたのはあるんだよな。
ふざけていおりん呼びしてくる連中は変わらず処したいし、葛葉に呼ばれるのは釘をさしておきたいけど。
「ならウチのことも知ってくれればよかたい!」
うーん、話を聞こうという気が見られない
「だめよ、彼女の私だけ特別なの」
そして修羅場(?)に際してちょっと気合入ってた天道が、僕の一言でドヤるのがちょっと可愛かった。
「えー、ならウチも彼女にすればよくない?」
「「よくない」」
この人の頭どうなってんの、と天道に視線をやると黙って首を横に振られた。
ダメみたいですね……。
「なんー? 目で通じ合ってー、二人ともアツかねえ」
「そう思うのに浮気に誘うのか……」
しかしなんだろうな、初期の天道とはまた違った方向の話の通じなさを感じる。
もしや顔が良い女は人の話を聞かない傾向がある可能性が存在する……?
「あとね、真紘。言っておきますけど伊織くんはもう童貞じゃないから、アナタの趣味からは外れるわよ」
「その情報って言う必要あった?」
事実だけどさ、それでも非童貞アウティングは止めていただきたい。。
そして「私が食べました」みたいに胸張って言えるのもすごいな……。
いや僕らの年齢なら全然不自然じゃないし、むしろつきあいの長さ的にもそうじゃないほうが驚かれるだろうけど。
「えー? ホントにー?」
「え、なんで疑われてんの」
「だってねえ、つかさちゃんって童貞好かんかったとよ?」
「伊織くんは初めての恋人なんだから、そういうのは例外に決まってるじゃない」
「第一葛葉はなんでそんな童貞にこだわってるんだよ……」
男にとっての処女と違って童貞ってあんまり重宝されないって言うか、そも天道の友達をやっててどうして僕の貞操がまだ無事だと思えるのか。
なにせスキンシップの延長でセックスに誘ってくるからな? まぁ美人でえっちな彼女とか男子的には熱烈歓迎要素でしかないんだけども。
「えー、ウチがこだわる理由? あんね、童貞くんって面倒くさかろ? 本当はえっちかことにバリ興味あるとに、そがん目で見たらいかんみたいにしてね。ウチのおっぱいチラ見したあとで申し訳なさそうな顔したりするとよ」
「それ以上いけない」
「なんで?」
かつては童貞であり非童貞の今でも共感できるから心に来るぞ、その物言いは。
事実だけど。いや事実なだけに、と言うべきか。
「と言うかそれ、むしろ敬遠する要素でしかない気がするんだけど」
「ううん、違うと! そいがよかと! ウチね、童貞くんのそがんところを好いとっと! こうね、女神さまになった気分って言えばよか? ウチのことで頭一杯にしてくれて、
「聞きしに勝るやべー女じゃん」
ぞっとした。なにその歪んだ母性……母性?
なにをどうやったらこんなゆるふわモンスターが生まれるんだよ。
あとちょっと早口になってるのがガチすぎて辛い。
ついでにいつまでたっても童貞くさい(意訳)と言われて反論できないのも辛い。
「これだから真紘はあんまり紹介したくなかったのよね……」
ドン引きの僕の隣で、天道も苦々しい表情で眉間を抑える。
それは天道も僕が童貞くさいって思ってるってことかな、辛い。
しかしこんなげっそりしてる彼女の姿を見るのは珍しかった、僕がデリカシーのない発言連発したときでもここまでじゃないぞ。
「――あのさ、つかささん。こういうのにあんまりどうかと思うんだけど、友達は選んだほうが良くない?」
そりゃあ人の交友関係はそれぞれだけど、もうちょっとこれはフォロー不可能なレベルじゃないかな。
「伊織くんの意見はわかるんだけど……私に、言えたことじゃないと思うのよね」
「ハハッ――いたいいたい」
一理あるなと同意したら、掌ごとテーブルをバンバンされる。ひどない?
「あとね、本当にこれ以外はいい子なの、本当に」
「大丈夫? それDV被害者みたいな心理になってない?」
「大丈夫、だと思うんだけど、少し自信なくなってきたわ……」
「ふふふ、二人ともホント仲よかねー」
「そう思うなら引き裂こうとするのはやめてもらえないかな……」
「そうよ、伊織くんは私に夢中なんだから、ちょっかいかけないで」
事実だけどもちょっと声大きくない?
いや、説得には必要な気がするし、さりげなく恋人つなぎしてくるのは可愛いから止めないけどさ。
そんな僕らの手元を眺めていた葛葉がなにやらちょっと切なげなため息をついた。
「んー、でも別にね、ウチも二人に別れてもらいたいとかじゃないと。こっそりって言ったのは冗談でね、ただちょっとつかさちゃんが羨ましかけん、おすそ分けしてもらえんかなーって」
「冗談にしてはたちが悪いと思うんだけど」
「私、恋人をシェアする趣味はないわよ」
冗談(本気)とか、おすそ分け(略奪)とかそういう()がつかない? それ。
「そもそも真紘、夏前にまた彼氏できたって話してたでしょ?」
「んっとね、やっぱりダメやった。あははー」
それまでどんなツッコミにもめげずニコニコと笑顔だった葛葉の顔が曇る。
スマホを取り出した彼女はすっすっとフリックを繰り返して、また大きなため息をついた。
「ちょうど二十人目やけん、今度こそって思っとったとけどねー……」
「――そう、残念ね」
一瞬「あ、そんなもんか」って思ったけどこれ僕感覚おかしくなってるな。
経験人数か彼氏の数かは知らないけど二十人は十二分に多かった。
あとなんだろう、天道もだけどスマホに記録付けるのって流行ってんの? それとも僕が知らないだけで普遍的な女子のお作法なの?
疑問符が尽きない。
しかし葛葉にとっては深刻なんだろうけど、それで天道と付き合ってる僕にちょっかいかけられても困るんだよな……。
「……あの、聞いていいか分かんないけどさ。僕らが羨ましいとか、そもそもなんで葛葉は彼氏と別れたの?」
彼女がごく短いサイクルで付き合ったり別れたりしているのはうわさで聞いているけど、そのはっきりした理由までは知らない。
童貞にとって色んな意味でヤバイ存在なのは間違いなさそうだけど、今話していても自分から浮気をするようなタイプとも思えない。
いや、なぜか僕は誘われたけど、葛葉本人はフリーだし。
「あ、つかささんとは別れる気もないし、葛葉と付き合う気も断じてないから、無理に話してとは言わないけど」
狙われているらしき身で首を突っ込むのもどうかな、とは思うんだけど、それと同時に彼女が天道の友人であるのも確かなのだ。
二人とも思い込みが強いから、ちょっと男子の視点でなにかアドバイスできるんじゃないか――なんて考えは彼女持ちになった余裕だろうか。
うぬぼれてないか? なんて自意識の刃に心の内臓を刺されつつも、まぁちょっとできることがあるならとも思う。
「まぁほら、男子の意見が役に立つかもしれないしさ」
それで僕以外の誰かと上手くいってくれれば言うことなしだしな!
「ん、ありがとね伊織クン……じゃあつかさちゃんには話したけど、聞いてもらってよか?」
「いいよね、つかささん?」
「ん、そうね」
横目で天道を見るとなにか言いたげな表情をしたあとで、それでも小さく頷いた。
何だろ、珍しく煮え切らない感じだけど、これ以上まだなにか驚くことが待ってるんだろうか。
「ウチね、ちょっと惚れっぽいみたいで、さっき言うたみたいに童貞くんと仲良くなるとどうしても気になるとね。そいけんウチから告白して付き合ってもらうと」
「うん」
まぁいかにもぐいぐい行きそうな気配はしてたし、まったく意外じゃない。
特に最近の拗らせた童貞なんかはもう女の子のほうから迎えに行かないとダメみたいなところあるしな(実体験)。
「そいでね、我慢させるのも可哀想やけん、えっちは好きなだけさしてあげて、デートとかの予定もぜーんぶ相手にあわせて、お弁当とかも作るとね。あ、ウチお嫁さんになりたかけん家事は得意で、尽くすのも嫌いじゃなかと」
……なんかちょっと雲行きが怪しくなってきたぞ?
お嫁さんとか言ってるのは可愛かったけどさ、と思ったら天道に手の甲をつねられた。エスパーかな?
届け、天道の方が可愛いけどという思い。
「……ねえ、ちゃんと聞いとる?」
「聞いてる聞いてる」
「ならよかけど……そしたらね、最初のころは女神とか天使とか言うてくれとった彼氏が付き合ってるうちに素っ気なくなると! ウチのこといやらしいとか、えっちのときにも酷いこと言いだすと! そいで他の女の子ば目で追ったりね! よそ見もするようになるとよ! ひどかと思わん!? 別れても
なるほど?
「……つかささん、これさ、言いにくいんだけど」
「ええ、まぁ真紘にも原因が全くないとは言いづらいのよね……」
「えええええ!? なんで!? なんでそがん友達ん甲斐なかこと言うと!? つかさちゃんひどかー! 伊織クンも冷たかー!」
天道に同意を貰えてホッとするも、葛葉には納得いかない反応だったらしい。
裏切られた、みたいに言うけど、全力で都合いい女ムーブをしておいて、相手が乗りはじめたらはしごを外す葛葉もけっこう酷いんじゃないかな……。
いや確かに彼氏側も自制すべきだろうけど、童貞をこんな美人がちやほやしたら調子に乗るのも無理はない気がするんだよな。
「やー、でもやっぱり女子との接し方を知らない童貞を甘やかすのは良くないんじゃないかな」
男子側に立ちすぎた考えかなあ、でも理屈で言えば原因はそうなるよな……。
もし天道がそんなキャラだったら、ひょっとしたら今ごろ僕だってネチネチ過去を掘り返す彼氏になっていた可能性もあるしな。
「だって
「ええ……あとまぁ、その彼氏の変節も問題だとは思うけど、それについて葛葉は途中で話しあったりしたの?」
「せんよ? だってウチのこと好かんくなったけんそういうことしよーとよ、だけんウチも好かん」
うーん、この。
視線を向ければ天道も再び黙って首を振った。
よし、駄目だな、これは!
「なるほど――じゃあいつか葛葉もいい人に出会えるといいね、それじゃ」
「ええええええ!? なんでぇ? なんでそがん急に興味なくすと!?」
「や、だって葛葉、全然人の話を聞く気ないじゃん……」
「こういうときはウチは悪くないよ、そうだねって言うて!」
「なんで僕がそんな心にもないこと言わないといけないのさ」
「ウチの相談に乗ってくれる男の子はだいたいそがん言うてくれたとに!?」
それは多分、下心があったからじゃないかなあ。
「まあほら、これで男女の価値観の違いも分かったんじゃない? ひとまず友達の彼氏に粉かけるみたいな不毛で頭おかしいことはやめようよ」
「――ねえつかさちゃん、伊織クンっていつもこげん酷かと? ウチ頭おかしいとか面と向かって言う人知らんよ?」
「伊織くんの言い方は辛辣だけど、内容はもっともだと思うわよ?」
「う~……じゃあ付き合ってって言わんけん、とりあえず伊織クンも友達になってくれん?」
何が「じゃあ」なのか、あとそれ最初はお友達から的なニュアンスじゃない?
「つかささん、これって信じて大丈夫?」
「そうね――ねえ真紘、言っておくけどこういう時の伊織くんの血も涙も無さは徹底してるから。変な期待をしてたら心に消えない傷を負うわよ」
「え、待って僕の評価が酷い」
「つかさちゃん、そがん人のどこが好きと?」
真顔で聞くの止めろ。泣くぞ。
「だいたい全部だけど、悪い?」
そして天道も落として持ち上げてくるの感情の置き場に困るからやめてくんないかな。もっと素直に喜べるときに言って欲しい。
「えー、そがん言えるとよかねえ、羨ましかあ……ウチね、つかさちゃんが大事にされとるけん。何が違うとかなあって気になったと」
そうして
いつぞや僕が天道に言ったようにまぁ人にはそれぞれ事情があるわけだ。
「ごめんね、伊織クン、つかさちゃん。でも仲良くしたかとはホントやけん」
「うーん……」
天道と言う恋人がいる以上、他の女の子の事情に深入りはしたくない。
深入りはしないけども天道が縁切りするのでもないなら、友人くらいまでなら、まぁ……。
「私は良いわよ、真紘には助けられたこともあるし」
「あぁ、あんしつこかった童貞くん? あれくらい恩に着んでもよかとに」
ただ、今ふり返ってる思い出とかは別に知りたくなかったかな……。
「――まぁ、つかささんの友達だし、僕もまぁ友達付き合いくらいなら、うん……まぁ……うん、うん……」
「伊織くん、そこまで悩むなら断った方がいいんじゃない? 私に義理立てしてくれなくてもいいわよ?」
「い、いや、大丈夫……うん、大丈夫、うん、いいよ」
「ホント? よかったぁ、友達にもなりたくないって言われたらつらかもんね」
さりげなくエグいけん制球放ってくるな……。
実に断りづらい。これが全部計算だったとしたら天道より手ごわくないかな。
まぁでも何事も経験だろうし、そもそも完全に無視するのでもない限り、知人と友人の境界なんて曖昧なものだしな。
「じゃあ伊織クン、握手ね?」
「あ、うん、いいよ」
差し出された葛葉の手を握り返すと、天道とはまた違う柔らかさを感じた。
そうして無言でふにふにと手を握りしめてくる彼女に、あ、これなんか覚えがあるなと思った直後。
「――あんね、伊織クン。こんあとちょーっと静かなところで、二人だけでもお話しせん?」
「ヤダー!」
「真紘?」
案の定な嫌な粘度を感じる言葉がきて、恥も外聞もなく僕は手を引っ込める。
そうして僕と天道の共同で、葛葉に一週間の僕への接近禁止を言い渡すことになった。
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