打ち上げ花火、家から見るか外から見るか
『そう言えば花火はどこで見る?』
恋人である
花火、と言うのが今週末に近くで行われるイベントを指していることは間違いなくて、とくに約束をしていたわけではないけれど、行くか行かないかで言えば僕も行きたいので、彼女もこういう聞き方をしているのだろう。
ちょうど集中力も切れてきたところなのでボールペンを置いて、スマホを手元へ引き寄せる。
『なにかオススメってあるかな』
『そうね、会場近くのホテルか、適当なビルの屋上とか』
「むう」
とても同じ学生とは思えない案だった、特に後者には「自分ちの」が頭につくだろうことを考えるとなおさらだ。
花火のためだけにホテルは贅沢な気がするし、ビルももし天道家の人たちで集まってってことになるとプレッシャーがきつい。
かといって僕ら二人のために貸してください、っていうのも厚かましいか。
返信に悩んでいるとスマホがぽこんと音を立てる。
『ちなみに伊織くんは去年どこで見たの?』
『近所』
と打ったあとでこれだけじゃあんまりだな、と急いで付け加える。
『近くの通りから結構綺麗に見えたから、人込みも無くて快適だったし』
『そう』
『なら伊織くんさえ良ければ今年もそこで見ない?』
『いいけど、そんな滅茶苦茶いい場所でもないよ』
花火の音で当日イベントに気づいて、ふらっと外に出たらたまたま良く見える場所を見つけただけだ。
それくらいの気楽さならともかく、わざわざ恋人と一緒にはどうかと思う選択肢なんだけども。
『いいの、君の寂しい思い出を私で上書きしてあげるんだから』
だからって人の過去を勝手に寂しい記憶にはしないで欲しい。
それなりに楽しかったんだぞ。
『それ、言ってて恥ずかしくない?』
抗議を込めたメッセージに返ってきたのは憤慨する謎の生物のスタンプだった。
§
待ち合せの地下鉄の駅は、時間帯もあってか人で溢れていた。
発車音のあとに電車から吐き出されてきた結構な人が改札にのぼってくる、その人ごみの中でも天道の姿はすぐに見つけることができた。
今日の浴衣は藍地に大輪の花が咲き、荷物は巾着だけと以前より身軽な感じだ。
髪はラフな感じのお団子にまとめられていて、かんざしなのかヘアピンなのかスズランの飾りが揺れている。
「つかささん、こっち」
呼びかけるとクールな表情を浮かべていた繊細な美貌がぱっと輝いた。
改札を出ると下駄を高く鳴らして小走りで駆けよってくる。
「もう、今日こそ伊織くんより先に見つけようと思ったのに」
「こっちは探さなくても改札見てればいいから――浴衣、今日のも可愛いね」
「ふふ、でしょう?」
聞かれる前に告げると得意げに笑った天道は「もっと褒める権利をあげる」とどんな特権階級かといいたくなる返しをよこした。褒めるけどさ。
「すごく可愛い」
「語彙力」
やや不満そうな顔をされたけども、まぁ僕に女子を喜ばせる語彙が貧困なのは揺るがない事実なので甘んじて受けるよりほかない。
それよりこの綺麗な女の子、僕の恋人なんだぜ。僕の、僕だけの(現在は)!
そうドヤりつつ周囲を見回したけどもそこまで視線を集めてはいなかった。
本当不思議だ。僕ならいつまでもガン見してられるんだけどな。
「まぁいいけど。いきましょ」
「うん」
もっとも天道がそんな時間を許してはくれない。
ちらほら見かけるほかの浴衣カップルたちと同じく僕らも並んで歩きだす、指と指は自然に恋人つなぎで絡みあった。
「この時間、ずいぶんと人が多いのね」
「あー、一応は会場最寄になるからかな、歩いていけない距離じゃないし」
なるほど、と呟いた天道の足元で下駄がカラコロと音を立てる。
普段の彼女はお嬢様に相応しくぴしっとした所作で足音も目立たないけれど、浴衣姿では歩幅も勝手も違うのだろう。
こうやって隣の誰かの足元を気にする、なんてちょっと前の僕には考えられない事態だ。実に感慨深い。
「ところで伊織くん、ご飯はどうするの? 会場近くまで行ってみる?」
「や、コンビニでなんか買って現地で食べようと思ってるん、だけど――」
言ってる間にあれこれデートとしてはあんまりいい案じゃないのでは? と思えてきて、ちらり天道の顔色をうかがう。
「そういうのもたまにはいいんじゃない?」
しかし浴衣ニコニコお嬢様は存外に乗り気のご様子だった。
「お行儀悪いって叱られるかと思った」
「この場合はTPOに即してるでしょ、お祭りの時だって何も言わなかったと思うけど」
「それもそうか」
「あと伊織くんはゴミのポイ捨てなんかもしないだろうし」
「そりゃね」
こういうところはほんとお嬢様らしく(独自研究?)きっちりしてるよなあ。
価値観の差に引かなくて助かるけど、いよいよなんで九十八人と寝るような思い切りにいたったのか本当に解せないな……。
「またなにかほかのこと考えてるでしょ」
「いだいいだい」
などと悩んでいたらゆるく握った拳で眉間をぐりぐりされた。
天道の細い指で作られたげんこつは片手で包めるくらいに華奢なんだけども、それにしたって骨をあてられればそりゃ痛い。
「つかささんのことなんだけどなあ」
「知ってる、でもキミが一番に考えるべきなのは今の、目の前の私だってことは忘れないで」
「うーん、この」
というか結構頻繁に二次元の天道とかイマジナリー天道について咎めてくるのがやきもちだと考えるとちょっと可愛げを感じてしまってもう婚約初期から比べるとキャラ変わってない? って疑惑も出てきてしまう――でもそれは僕も、か。
「きゃ」
階段をのぼっている最中から感じていた風が、地上に出た途端ひと際強く吹きつけてきた。小さく声をあげた天道の髪でスズランの飾りが揺れる。
八月とは言え午後の七時近くになればさすがにあたりは薄暗く、一方で熱気はまだまだ残っていた。というかまぁ最近は深夜までずっと暑いんだけど。
くわえて花火イベントの人出で熱気はいや増している。
駅には帰宅時間らしき勤め人も多かったけれど、会場である海岸エリアへ向かう通りの流れは一気に年齢層が下がって雰囲気も華やかだ。
「駆け込みも多いのね」
確かに開始まではもう三十分くらいだから、今移動中の面々はぎりぎりもいいところだ。それでも特に焦っている様子は見受けられない。
「まぁ花火は途中からでも問題ないし」
「それもそうね」
そんな人波の間を縫うように横切っていく。
来年はこっちの流れに乗るのもいいかな、なんて考えながら。
§
「じゃあ僕食べ物買っておくから、なにか必要なのあったらもってきて」
「ええ、分かった」
軽快な入店音で迎えてくれたコンビニ店内は絶妙な混み具合で、これで並んで買い回りはヒンシュクを買いそうだなと二手に分かれることにする。
「伊織くん、お酒も良い?」
そうして即座に戻ってきた天道の手にはニ十禁の飲み物があった。
「良いけど……」
僕はまだ飲めないけど、天道はもう二十歳だ。彼女だけなら止める理由もない。
しかしいつぞやの酷い飲み会以降は話にあがらなあったから、日常的には飲まないのか、てっきり懲りたのかと思っていた。
「大丈夫、ちょっとだけだから」
「言いながらそれストロングなやつじゃん」だまされんぞ。
てへみたいに誤魔化して次に持ってきたのはカロリーオフの缶チューハイだった。アルコール度数は3%、これならヨシ!
「つかささんってお酒好きなんだっけ」
「ん-、それなり? 場によって飲むけど、普段はあんまりね」
「ふうん」
なら今日はそういう場というわけだろうか。
まぁそも日本人は歌にあるくらい、何かにつけて飲む文化な気もするな。
「それに、ちょっと酔った女の子って可愛くない?」
「あいにく泥酔してるつかささんしか見たことないんだけど」
「別に今回はそれを理由に迫る気はないから大丈夫」
やっぱりあれは罠だったんじゃないか(憤怒)。
まぁもう今となっては怖い話も笑い話だけども。
「それに今日ははじめから伊織くんの部屋に泊まる気だし」
「ええ……」聞いてないんだけど?
「なんでイヤそうな声出すの」
「別に、イヤなわけじゃないけど」
クセになってんだ、そう言うリアクションするの。
「それともなに、私を泊められない理由でもある?」
「や、あるわけないじゃん、そんなの」
すべからく明らかにすべしと言われても困らないくらい潔白なんだよなあ。
まぁそれは天道も分かっているから声音も冗談っぽかったし、僕の即答に機嫌良さそうに「ならいいわ」とあっさり物色に戻っていった。
そうして後はレジで焼き鳥でもと会計の列に並んだところで、どちゃどちゃとカゴに商品が追加される。
「それと伊織くん、これはどっちが良い?」
女子は色々大変だなあと投入された生活用品とコスメを見ていると、まだ何か買う気らしい天道が何事か問うてきた。
「ん-?」
キノコタケノコ戦争かな? と気楽に顔をあげると彼女が手に掲げていたのはコンドームだった。
それぞれ金と銀で刻印された0.01と0.03の数字が輝く。
「――つかささん、はしたない」
「必要でしょ?」
確かになくなりそうだったけどそういう話じゃないんだよなあ。
あとちょっとコンドーム似合い過ぎじゃないかな。
「好きなほう選びなよ、僕はどっちでもいいし」
「えっち」
「それは違くない??」
天道が選んだのは0.01の方だった。ちょっと興奮する。
あとレジの店員さんにものっそい嫌そうな顔をされてしまった。
本当に申し訳ない。
§
「わ」
天道が感心したような声をあげる。
(多分)南北にまっすぐのびる片側一車線のその道は、ゆるく長い下りの先で同じように細い東西の道に行き当たる。
道の両側に並ぶのは二階建ての住宅が主で、たまにあるマンションやアパートもせいぜいが三、四階建てだ。
住宅街の遠く、花火が上がる予定の空を遮るものはなく視界は開けている。
「意外な穴場って感じね」
「お嬢様のお眼鏡にかなったようでなによりでございます」
「言い方」
おそらく自宅の庭やベランダから見物するつもりの人がいるのだろう。
そこかしこに人の声と気配がする夜の住宅街は、不思議な賑わいと浮かれた空気がただよう日常の中の非日常空間だった。
「――でも伊織くん、席がこれじゃキミも好きな私のお尻が大変なんだけど」
「その注釈必要あった?」
いや確かにきゅっとあがった素敵なお尻だけどさ。
車止めの柵に腰かけた天道の言葉はもっともだけど、まぁ僕だっていつまでも気の利かない元童貞と言う評価に甘んじているつもりはない。
「じゃあこれ使って」
「あら、珍しく荷物が多いと思ったら」
なんて意地悪に笑う天道に百均で買っておいた携帯用のクッションを手渡す。
少々収まりは悪そうだけど、あると無しじゃ大違いだろう。
「ありがと」
「大事なお尻だからね」
「ええ、あとで好きなだけ楽しんでね」
うーん、勝てない。
しょうがないので腹いせと腹ごなしにおにぎり(明太子)をガサゴソ袋から取り出した。
「ね、伊織くん」
「
「食べながら喋らないで、なに、そんなにお腹すいてたの?」
結局叱られてしまった直後に空が光って、ドンと低音が鼓膜を揺らした。
わあ、とそこかしこから歓声があがる。
僕ら二人も自然と視線を空へと向けた。
夏の夜空に咲いた華は、鮮やかな光と開花の音を振りまいてそのついでに夜の街に複雑な影を浮かび上がらせた。
音を聞きつけて通りに出てきた近所の人のうち、ちっちゃな子供たちは僕らに気づくとすぐに視線を外し、直後に綺麗な二度見を天道へ向ける。
子供は正直だ、そりゃ突然こんな浴衣美人に出くわしたらそうなるよな。
だからそのあと僕を見て不思議そうに首を傾げるのはやめて欲しい、おにぎりか、おにぎり食ってるからかな?(自己欺瞞)
ばらららと大雨が屋根を叩くような音を立て、にわかに光の雨が降った。
ぱっと光って花が咲く、わっと子供が耳を押さえる、遠ざかっていく車の音、夜空に薄く煙が漂って無数の花火がまたそれを彩る、犬が吠える、子供が泣き出す。
終わりを迎えつつある夏の夜を、光と音と混とんが賑やかに満たしていく。
そんな中で天道つかさは、ただただ静かに美しく僕の横でたたずんでいた。
「――ずるいわ伊織くん」
ぽう、と珍しく気の抜けた表情で空を眺めていた彼女は、視線をそこに向けたまま僕の肩に身を預けてそんなことをつぶやいた。
「こんないい席独り占めしてたなんて、なんで去年呼んでくれなかったの?」
「いや、そのころはばっちり他人だったじゃん」
「そうね、そうだった――」
柵に置いていた手に、天道の手が重なる。細く長い指がきゅっと絡んでくる。
「――――」
「え、なに?」
次の言葉は花火の打ち上げと重なって、かき消された。
苦笑いを浮かべた天道は僕の耳に顔を寄せる。
「去年より、素敵な思い出でしょ?」
「まぁね」
なんとなくそれは本当に天道が言いたかったことではないのだろうな、と思う。
顔が良くて気が強くて自信家でお尻が素敵な彼女も、それでも完全無欠に無敵な存在じゃあ、ない。
空の光を映して輝いて見える白い顔には、なんとなく後悔とか寂しさとかそういうネガティブな感情が透けて見えるようで、それでも変わらず美しかった。
そうして生憎と僕には女の子の気持ちを察してうまいこと言える才能も経験もない、天道ほど複雑な過去と怪奇な個性の美人ともなればなおさらだ。
「――つかささんがいてくれて良かった」
「そう」
「まぁ別に去年は去年で楽しんだけどね」
「それは言わなくてもいいの」
「や、あれだけで寂しい男扱いされたのは不当だって」
「なら世に問うてみたら?」
「言い方ェ……」
言われないことを察することはできない、だったら言いたいことを言うだけだ。
そうして言って欲しいことをなんとなくで、探り合う。
多分まぁ恋人であろうと他人とつきあうってのはそういうものなんだろう。
「――綺麗ね、伊織くん」
今度は「うん」という僕の返事が花火にかき消された。
天道は力を抜いて僕にもたれかかっている。浴衣越しの体は柔らかく暖かくってじわり汗をかくほどに絶大な存在感があった。
「でも――」
「うん?」
花火には触れられない。
その美しさは一瞬で消えるものだ。
だけど、この人は手の届くところにある、触れ合えるところにいてくれる。
ひと夏の思い出よりももっとずっと、長くそばで見ていられるのだから。
「つかささんの方が綺麗だよ」
「――――」
正直に伝えたら怒られそうな式で導き出された答えでも、それが相手にとっても快いものなら、きっとそれでいいだろう。
そんなことを思えて、言える自身の変遷を確かに感じる。それでも、変わってしまった元の自分などよりもこの人の方がよっぽど大切なのだ。
まあちょっとクサすぎた、とは思うけど。
滑ったかな、といい加減不安になりそうな長さの沈黙のあとで、僕のシャツの肩を軽く引っ張った天道は顎を少しあげると瞳を閉じた。
「――なら、行動でも示して?」
ちら、と周囲を見渡すと幸いみんな空を見上げている。
これが小心なのか、出来て当然の気配りなのか、それも変わっていくのだろうか、ぐだぐだと悩みながら唇が触れ合うだけの健全なキスをした。
「んっ……」
ベロつっこんでくるのではと少し恐ろしかったものの、天道は離れ際名残惜しそうに僕の下唇に緩く吸いつくだけで勘弁してくれた。
「――ええと、伝わった?」
「ええ、伊織くんが身構えてたのもね」
「そこは伝わらないで欲しかったな……」
うーん、本当に格好つかないな、僕は。
なんて思っていると腕を取られて、天道の肩にセットされた。
気持ち抱き寄せるように力を入れると、熱くて柔らかい体はぴたりと密着してきてついでに太ももに手が置かれる。
さわさわするのはやめていただきたい。
「ね、伊織くん、来年も一緒に見てね」
「いいよ」
「それから、海にも行きましょ」
「分かった」
「ナイトプールは?」
「善処します……」
「イヤそうにしないの」
訥々と未来を語る天道は無邪気で、楽しそうで、綺麗という形容が普段は似合うのだけれど、正直可愛らしかった。
「それから――」
あんまり似合わない真似をした甲斐もあったな、と和んでいるとくすくす笑っていた彼女が表情を艶のあるものに切り替える。
周囲をはばかるように僕の耳元に顔を寄せ、ぞくぞくするような声で囁いた。
「――部屋に帰ったら、たくさんえっちしてね」
「雰囲気ぶちこわしじゃん」
なんてこと言うんだと思いながら、頷かない選択肢は僕にはない。
結局この日は、ある意味で今年の夏の集大成みたいな夜になった。
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