天道つかさは婚約者だった
ちなみに僕が武家屋敷みたいな、と思った立派なお屋敷は単に古くて立派で伝統があるだけで侍とは関係ないそうだ。
まぁ細かいことはどうあれ根っからの庶民に生まれついた僕こと
天道つかさという女の子と婚約するまでは。
プールデートの翌日に父経由で聞かされた婚約解消の打診は、まず間違いなく彼女の意志によるものではないだろう。
確かにちょっと夜のお誘いを断って傷つけたのでは、という疑念はあるがそれで解消を言い出すほどとは思えないし、何よりおばあさんが許さないはずだ。
であれば原因はまず天道の行状が家族に知れたことによるもので、彼女と連絡が取れないのは、死んではいないにせよスマホを取り上げられて座敷牢にでもぶち込まれているのではなかろうか。あるのかな、座敷牢。
僕は、たしかに天道の性経験を受け入れられなくて婚約破棄を考え、猶予の間にばっちり流されて、そのくせいざお泊りという段になっておじけたヘタレである。
だからといって「彼女が欲しい? 結構それなら孫を嫁にどうぞ」「あ、行状不良だったのでやっぱりなしで」みたいに人生を好き勝手されて黙ってはいられない。
――そもそも僕は婚約の当事者なのだから、これは正当な権利だ。
そう自分に言い聞かせて天道家に直談判に乗り込んだ僕は、相変わらず呆れるほど立派な屋敷に「はえ~」となりつつ庭に面した縁側を歩いていた。
本格的な日本庭園が造られた外とはガラス戸で仕切られており、眩しい日が差し込む床は熱くなっているが空調は効いている。
「大奥さま」
と先導してくれたお手伝いさんらしい中年女性がある部屋の前で立ち止まる。
雪見障子の向こうから「どうぞ」と落ち着いた返事があった。
「失礼します」
戸を他人に開けてもらうという、一般家庭ではできない体験を味わいつつ部屋へと踏み入れて一礼した。
十二畳くらいの和室の中央には黒光りする重厚な座卓がどんと構えてあり、色は地味ながらいかにも高そうな着物姿の白髪の女性が待っていた。
「この度は、わざわざご足労頂いて申し訳ございません、伊織さん」
白髪の女性――天道つかさの祖母である、天道ちとせさんは優雅な所作で僕の方へ向き直り、深々と頭を下げる。
礼節通りのしかしそれだけに若造な僕にとっては手痛い先制攻撃だった。
「あ、いや、その、こちらこそ、急に押しかけて、すみません」
「いえ、本来であればこちらからご説明に伺うべき話ですから」
あれこれ言わねばと勢い込んでいたけど、しょせん一介の学生に過ぎない僕にお金持ちの年長者の相手は荷が重い、しかも丁寧に出てこられればなおさらだ。
結局勧められるままに席につき、高そうなお茶に手をつけ、さぁそろそろ本題にというころには完全にペースを握られていた。
「――さて、まずはっきりお伝えしておきますと、今回勝手ながら婚約を解消させていただきたいと申し上げたのは、うちの孫の素行が原因でございます」
「あ、はい」
「伊織さんはご存じでしょうが、あのようにふしだらな娘を天道家として他人様のところへ嫁に出すわけには参りません」
「ええ、はい」
「しかも我が身可愛さに伊織さんに泣きついて誤魔化そうなどと恥知らずにもほどがあります」
「あー、まぁ、そうですね」
「あまつさえ今となっては好かれているから問題ないなどと言い出す始末で、なんとも情けない限りです」
「はぁ、それはまぁなんとも……」
それを言ったらおしまいってやつだと思うけど、天道って確かにそういうところあるよな……。
「そういうわけでございますから、誠に勝手な話ではございますけれどなにとぞ婚約解消のほどご了承をいただけたらと」
「ええと……」
あれ、もうこれ話終わるのでは?
全体的に分かりみが深い正論すぎてとっかかりが無かったぞ。
なるほどロジハラだと僕に訴える天道はこんな気分だったのか……。
「あのー、おっしゃってることは、もっともだと思うんですけども……」
「もちろん、振り回された伊織さんからすればご納得いただけないでしょう。本人からも謝罪させますが、なにぶんまだ反省の色が見られないもので……重ねて恥をさらすようではありますけれど、もう少しお時間をいただきたく思うのです」
「いえ、でもですね、つかささんにも、彼女なりの葛藤というものがあったと」
「お優しい言葉をありがとうございます。確かに、家の都合で嫁がせることに思うところがなかったわけではありません。だからこそ孫には今まで自由にさせていたのですけれど、わたくし共はつかさを甘やかしすぎたのでしょう。ここで断固とした態度を取らねば、孫の為にもなりません」
詰んだ。
ここ数か月の天道との思い出が走馬灯のようによみがえる。
ふり返れば思い出の彼女は良く笑っていた、そこに絆された面もあるのだが何わろてるねんとちょっと思ってしまう。
「――分かりました、婚約については一旦白紙に戻すということで」
「誠に申し訳ございませんが、そうしていただけますか」
「はい。父も祖父も、僕が話を聞いて納得できるのなら、と言ってましたし――そもそも、事の起こりからして僕と父の間にも行き違いがあったもので」
元々がこうなんか事故か間違いみたいな話だったのだ、仕方がない。
そもそも僕はそんな成算の立たない延命策のために来たわけではないのだ。
僕が本当にすべきこと、片付けなくてはいけないことは他にある。
「ただ、ですね。今回こういったことになりましたし、過去の話を理由に、お孫さんの未来を縛るのはもうおやめになってはいかがでしょう」
言った。
言ってしまった。さぁもう後戻りはできないぞ帰りたい。
それでもやっぱり僕と、そしてなにより天道の人生を振り回してくれたこの一件に目をつぶったままでは引き下がれなかった。
「――お若い伊織さんには、中々ご理解いただけないことかもしれませんが、貴方のおじいさまから受けた恩はそれはそれは大きなものです。ことは天道家の名誉のにかかわります。はい分かりました、とは申し上げられません」
ぴしゃり、と。
ちとせさんはそれほど厳しい風でもないのに、圧を感じる声で言い切った。
あらためて見れば、その顔立ちには天道つかさと似たところが多い。
とくにややツリぎみの目とそこに宿った不敵な光が。
体は小柄で瘦せていて、けれども姿勢は良くて、髪が真っ白になり、顔にしわが刻まれた今でもなお美しさを感じる人だった。
若い頃もさぞかし美人だったんだろう。そりゃあじいさんも求婚するよな。
「――その結果でお孫さんが自暴自棄になって道を踏み外しても、ですか?」
「それはあくまでつかさ個人の問題と言えましょう」
「でも、彼女を追いこんだのが婚約者の存在なのは事実です」
「おなじ立場のりょうは真っ当に生きています。そも伊織さんご自身もつかさに短慮だと諭されたと聞いておりますよ」
ハイ、今も話を聞けば聞くほどそう思ってます。
なんで僕は天道の擁護なんて世にも不毛なことしてるんだろうな……。
「他にやりようがあっただろうとは、僕も思います。でもつかささんはおばあさんを怒らせたら自分は死ぬかもしれない、とそう怯えてました。まぁそれはいくらなんでも大げさでしょうが、それくらいの圧力を感じていたのは事実です。そんな人間に果たしてまともな判断が出来るでしょうか」
「それは、確かにわたくしにも原因があるかもしれません。つかさはどうにも昔から自分の容姿を理由にワガママを言う癖がありまして、その度に厳しく言い聞かせていたものですから」
それは怒られて当然では? なんだってこう天道は背後から撃ってくるのか。
婚約継続も無理なら、情に訴えるのも失敗。
想像してはいたけども、自分の無力さをひしひしと感じる。もしこれが天道を取り戻すための戦いだったら絶望してたな。
「ではその、なぜ婚約者の詳細について話さなかったのでしょうか? 僕にせよ、兄にせよ、彼女が悲観していた相手像とは離れています、知っていればもう少し、その違っていたんじゃないかと」
「――そうですね、思い込みの激しいつかさには伝えておくべきでした」
まぁその場合、天道に兄と比べられて「こっちの方か」みたいな顔されて僕が致命的な致命傷を負っていた可能性もあるけど。想像するだに辛い。
「けれどわたくしの娘、つかさの母は伊織さんのお父様には選ばれませんでした。嫁ぐつもりでいたあの子は、面識があるだけに長く引きずったものです、そうなるよりは、と志野さんとも話し合って孫たちにはあえて伝えませんでした」
「あ、え、そうなんですか?」
「ええ。もちろん娘にはあくまで先方が望まれたら、と言い聞かせていたのですが、それでも幼少から想っていた方に選ばれないとなれば、痛む心はありますから」
「それは……お察しします」
非モテの僕の場合はいらない心配だったと思うけど、兄は実際恋人つくってるわけだしな……。というかお金持ちの実質許婚を振ったなんて聞いてないぞ父。
そりゃ母娘そろってソデにされたとなると、お母さんのトラウマをほじくり返すことにもなりそうだし可能性を考えれば仕方なかったのか。
「――ですが、やはりそれこそ問題を表してませんか? つかささんも、お母さんも、婚約話に振り回されて余計な苦労を背負わされたわけじゃないですか」
「いいえ、余計ではなくそれは当然のことなのです、伊織さん。貴方のおじいさまに助けられていなければ、今のわたくしもなければ家もない。天道の家に生まれ、その恩恵にあずかるのならば、これは果たすべき義務なのですよ」
静かな、けれど断固とした宣言だった。
ちとせさんも血も涙もない子孫婚約マシーンというわけではないのだろう。
ただ、約束を果たせなかったことが、いまだに果たされていないことがこの人を頑なにさせている。
そういう意味ではちとせさんもまた、自分の意志で相手を選べなかった悲劇の犠牲者なのだろうか。
「分かりました、僕だって約束を守れないのはいやだっていうのは納得できます」
「お分かりいただけたならなによりでございます」
まぁ元々自分より年長の人を言葉だけでどうこうできるとは思ってなかった。
大事なのは状況の把握と、何よりも言質だ。
天道の家に生まれたものとして果たすべき義務。
それは、そう言ったちとせさん自身も当然例外ではないだろう。
「――なので僕なりに
言いながらすでに通話状態にしておいたスマホを「どうぞ」と卓の上に置いた。
「――――」
言葉もない様子のちとせさんは、まるで初めて見た物のようにスマホと僕の顔とに交互に視線を送る。
「ご承知の通り、僕の祖父です。どうぞお二人で、話をつけてください」
再度促すとようやく震える手がスマホに伸びた。
天道のおじいさんは、ちとせさんよりも大分年上だったそうで、小学生になる前に亡くなったと聞いている。十年は喪に服した期間としては十分だろう。
ならばこれは僕と次女のりょうさんで話を仕切りなおしたり、ひ孫世代に話を引き延ばすより、ちとせさんにとって確実で即座の
断ることは難しいだろうし、少なくとも話を聞く気にはなるはずだ。
「もしもし――ええ、ええ、お久しぶりです……」
それは静かな声だった。
同時に計り知れないくらいの大きな感情がこもった声だった。
正直、横で話を聞いているのが申し訳なくなるくらいの。
なので僕は放っておいたお茶うけに手を伸ばした。
「……御冗談は止してください、私は、すっかりおばあさんですよ」
このようかんおいしいな、お茶も香り高いし、さすがお金持ちの家だ(逃避)。
そしてじいさんもすごい、なんか反応を見るにようかんより甘そうなこと言ってそう。父と言い兄と言い、なんで僕以外の男衆は女性に免疫があるんだ……。
「はい――――では近いうちに、ええ、ええ……はい、また」
長かったような短かったような通話を終えて、ちとせさんは静かに息を吐く。
理屈をこねることはできても、まだ二十歳にもならない僕には理解も共感もできないだろう年月を積み重ねた思いがそこには詰まっているように感じられた。
「――はじめから、これが狙いでいらしたの? 伊織さん」
ずいぶんと柔らかい、先ほどまでとは違う人間味を感じる声。
呆れたような感心したような苦笑いは、僕のよく知る女の子を思い出させた。
受け取ったスマホから漂う上品な残り香に気づいて、なんとなく天道とじいさんの二人に罪悪感を覚えてしまうほどに。
「ええ、まあ。元々が祖父から始まった話なら、二人の間で片付けてもらうのが本道じゃあないかと思っただけですが」
「自分の祖父を引っ張り出してくるなんて、若い方はすごいことを思いつくのね」
「こちらも必死なので、まぁ、これくらいは」
正直孫までいる人たちが互いのことをどう思ってるのかなんて想像もつかない。
ただ、それが実際には友達みたいな付き合いで終わるとしても、本来関係ない僕らをくっつけようとするよりは健全だろう。それだけの話だ。
まぁその発想はなかった、みたいな顔されるとドヤ顔したくはなるけども!
「――それで、恩返しの方法を提案してくださったのは、ただの親切というわけではないのでしょう? 伊織さんはなにをお望みかしら?」
多分モロに顔に出ていたのだろうけども、そこは大人の余裕というやつで特にツッコまれることもなかった。
無事に話がまとまったことにホッとしつつ、ようやく今度こそ、一番言いたかった本題を切り出す。
「――つかささんの今までのこと、あんまり叱らないでやってもらえませんか?」
家の都合で振り回された、美人でお金持ちでスタイルが良くてそれを思いっきり鼻にかけた悪名高い、でも可愛いところも沢山ある僕の元婚約者。
こんな事でもなければ縁はなかっただろうけど、こんな事があったばかりに三桁近い男と寝るなんてこともした女の子。
当人が後悔してるんだかしてないんだかは分からないけど、責められればまあ、辛いだろう。めちゃくちゃびびっていたし。
一緒のベッドは無理だったけども、これくらいのことはしてあげたかったのだ。
「それと、できれば今後も自由を尊重してあげてください」
「承知いたしました、お約束しましょう……つかさに、会っていかれます?」
「いえ、座敷牢には興味ありますけど、今日のところはやめておきます」
「そうですか……座敷牢?」
首を傾げられてしまったので残念ながら座敷牢は無かったらしい。
もう婚約者ではないのだし、この状況で若いお二人でごゆっくりされるとどうしていいかわかんないし、まぁ用事があれば天道から連絡してくれるだろう。
夏休みが終われば、講義で顔をあわせることもあるし。
「ようかん、ごちそうさまでした。お茶もおいしかったです」
ちとせさんは何か言いたそうにしていたけども、僕はすっきりした気持ちで礼を言って天道家を後にした。
僕と天道つかさが婚約者でなくなったその日も、夏らしく暑い日だった。
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