だいたい夏のせい
潮の香りと強い日差し、そして風に揺れる帽子を押さえて海を眺める女の子。
渡船場を舞台にした絵にかいたような夏の風景の主題は、僕こと
「――ちょっと暑いけど、いい天気になって良かったわね」
キャミソールにホットパンツとその長い手足を惜しげもなく晒し、上に薄手のカーディガンを羽織って麦わら帽子と大きなジュートバッグをあわせた天道は、今日の空よりも晴れ渡った笑みで僕をふり返った。
「……そだね」
我ながら冴えないと思える返事になったのは、きらめく水面より眩しい婚約者殿の顔面にやられたのではなく単純に船酔いのせいだった。
「――まだ落ち着かない? 船が苦手なら電車でもバスでも良かったのに」
「あんまり乗ったことないから、こんなに酔うとは思わなかったんだよ……」
湾内を南北に縦断するニ十分足らずの航路でも僕を打ちのめすには十分だった。
背中を撫でてくれる天道の気遣いはありがたいが、弱ってるときに優しくされると弱い系男子としてはちょっと止めて欲しくもある。
婚約者になった直後はいざ知らず、夏祭りでキスされたり、半裸も同然の水着姿をおがんだ今となっては特にだ。
これもう僕責任取らないと駄目な奴では?
「――良し、そろそろいこっか」
「焦らなくても、落ち着いてからでいいけど?」
「優しくしないでほしい」
思わず本音が駄々漏らしになると当然のように不思議そうな顔をされた。
相変わらずどんな表情しても顔が良い、そりゃあアピールするのもわかる。
「いや、ぐらぐらしてる感じはおさまったし、あとはシャワーでも浴びたらすっきりすると思う」
「そう、無理しないで辛くなったら言ってね」
僕が吐いたり倒れたりして迷惑をこうむるのは天道だし、同行者として当然の気遣いだろうけども、やっぱり嫌な顔ひとつしない態度には好感度があがる。
「気をつけるよ」
立ち上がり左手を差し出すと、天道は嬉しそうに右手で僕を引き、くるりと踊る様なステップで隣におさまった。
「――そんなに近いと暑くない?」
男女で歩くときは手をつなぐか腕を組むのが当然と思っている節のある天道は、最近では僕の左が定位置になっている。
「あのね志野くん、薄着の可愛い女の子にくっついてもらったときはもっと嬉しそうな顔をするものよ」
「ソッカー」
僕の知らないマナーだな。
実際のところ腕に触れる柔らかな感触とか、髪をアップにしてるせいで目立つ白い首筋とか、あとなんかいい匂いとかで暑さなんか些細なことに思えたけど。
まぁ一番は至近距離からくりだされる偏差値激高の顔の破壊力だが。
プール用なのか普段とはまたちょっと趣の違うメイクをした今日の天道は、その大人びた繊細な美貌に、子供のように無邪気な笑みを浮かべている。
それを見れば今日という日をどれだけ彼女が楽しみにしているのか、わかろうというものだ。
たとえ年貢を納めるつもりが無かろうと、それを曇らせるような真似ができるほど血も涙もない婚約破棄マシーンには、僕はなりきれなかった。
「楽しみだね、つかささん」
であれば不景気な顔をしてないで、こっちも心から今日を楽しむべきだろう。
「ええ」
そういう僕の気持ちがつたわったのか、天道の声は弾むようだった。
§
太陽が高くなるにつれジリジリと気温は上がり、プールサイドに点在していた影も少しずつその面積を減らしていく。
顔を洗ってすっきりしたおかげで取り戻した元気が、天道の着替えを待つ間にじわじわと奪われていく。
「おまたせ、志野くん」
もう一回引っ込んで顔を洗ってくるかな、と思いはじめたころプールのさざめきを割って天道つかさが僕を呼ぶ声が聞こえた。
「――――」
そうして彼女の姿を視界に入れて、絶句した。
クロシェとかいう編み目の隙間がセクシーな白のビキニは、お願いした通りに面積的にも事故率的にも童貞に優しいものだったけれど、それをプールサイドで見た時の破壊力は想像を絶していたのだ。
試着の時の画像なんて魅力の三分の一だって引き出せていなかった、貸しロッカーの赤いキーバンドさえアクセントに天道つかさは眩いばかりに輝いている。
「……! ……!?」
思わず周囲を見渡すも、連れを待っているらしき人も、合流してプールに向かう人たちもときおり天道に視線を送ることはあっても、そこまで僕らを気にした様子はない。え、なんで? これくらいの女の子って珍しくないの?
「志野くん? どうして私に声をかけるより前に周りを見るの?」
「え、いや、これって合法?」
「……熱中症? それともまだ気分悪い? 頭大丈夫?」
さりげなく酷いことを言われた。
言われたけども今なら何言われても許せるくらいに天道の水着姿は可愛かった。
「や、ごめん大丈夫」
うろんな視線を向けてくる彼女にそう言って、深呼吸を繰り返す。
これ頭あついの多分日差しのせいだけじゃないな……。
「よし、落ち着いた。ちょっとびっくりしただけだから」
「私の魅力に?」
「うん」
「そ、そう……」
普段なら何事か言いたくなる自信家っぷりにも、今ばかりはなにも言えない。
というか周りの男たちはなんで平気な顔してるんだ僕ならガン見してるぞ。
「ならきょろきょろしないで、感想――」
「めっちゃ可愛い、すごく可愛い、超似合ってる、ありがとうつかささん」
「え、うん……?」
彼女の両手を握りしめ、ぶんぶんと上下に振りながら礼を言う。
なんかおかしなことしてるな、とは思うけれども、珍しく誉め言葉に赤面してる天道も普段と違っておかしいので多分これ夏のせいだな。
「まぁ、喜んでくれてるならいいけど……」
「めっちゃ嬉しい、すごく嬉しい」
「ちょっとテンション高くない? 志野くん本当に大丈夫よね?」
「失礼な」
いっつも褒めて欲しそうなのにいざ褒めるとこれか。
もっとありがたがればいいのに、
その通りだぞ。
「その百面相も止めて、もう、体調が悪いんじゃなきゃ行きましょ」
ぐいと実質半裸みたいな水着姿の天道にひっぱられて、下だけで実際に半裸の僕はぴたりと寄り添う様な形でプールへと引きずられていく。
「つかささんって、肌白いね……」
「今更? それを志野くんのために日に晒してるんだから感謝してよね」
「うん、ありがとう、そしてありがとう」
「……やりづらい!」
「ぃっだい!」
混乱した様子の天道に、ばちんと裸の背を叩かれる。
かなりはしゃいだことをしている気がしたけども、周囲はやはり気にした様子もない。どうやら僕が思っていたより世間はバカップルで溢れているようだった。
§
ふよふよと流れるプールを跳ねながら流されるうちに――ついでに二度ほど天道の頭冷やしたら? というありがたい提案で潜った結果、僕の頭は常の鋭さを取り戻していた。
「~♪」
そうして鼻歌歌いつつ跳ねて、トップに重ねたクロシェ編みの短いキャミソールをふわりと水中にひろげる天道の姿に一層の冴えを求めて水中に頭を叩きこむ。
「……志野くん、水が跳ねるからそれ止めてもらえない?」
首から上はあまり濡らしたくないらしい天道は、僕の腕や肩を支えにふわふわと漂いながらそんなことをのたまう。まぁ髪濡れると大変だろうしなあ。
「サーセンした」
「言い方……!」
はあ、とため息をつきながら天道は右から左へ、跳ねる僕の肩を伝ってぐるりと一周する。先ほどからどうも足をつかずに回れるかという遊びを試しているみたいだが、細い指で肩を直に触られるとぞくぞくするから止めて欲しい。
つくづくフィット感強めのインナーはいててよかった。
「志野くん、今日はいつにも増して変だけど、そんなに水着姿が良かった?」
「うん」
多分、冗談のつもりだったのだろう天道が小声で「ええ……」とか呟いて固まった。正直すぎる自分が憎い。
「――ナイトプールは死ぬって言ってたけど、普通のプールでも許容値越えてたんじゃない?」
「ちょっとそんな気はしてきた」
呆れた声でに言われても反論の余地がない。
どうも知らぬ間に顔の良さに慣れてしまって、くわえて先の浴衣で僕はすっかり油断してしまっていたのだろう。
どう考えても本来天道つかさは、女子と付き合ったことのない男子が二人きりでプールに来ていい存在ではなかったのに。
腰が細いのと美脚ときゅっと持ち上がったお尻は知っていたつもりだったが、おっぱいも結構あったのだ。とてもじゃないが半裸で触れ合えるはずもない。
なんで僕は水着買いにいったときにそれに気づかなかったのか……。
「最近はAEDの準備も良いだろうし、心臓が止まりそうになったら教えてね。人工呼吸は私がしてあげるわ」
そうしてテンパった僕に比べ、天道はこちらの動揺に察しがついたらしくその口は滑らかだ。
「濡れてる人に電気ショックって良いの?」
「さあ……あっ」
後ろから流れてきた人にぶつかりかけた天道をぐいと引き寄せる。
「サーセーン」
僕らくらいの若い男は、片手をあげて軽く詫びる。危ないけどまぁこれだけ人いればなあ、とこちらも右手をあげて応えた。
「だいぶ人も増えてきたね」
そうして天道に視線を戻すと、彼女はなにやらぼうっとした様子でこっちの胸板をぺたぺたと触ってきた。ちょっとくすぐったい。
「つかささん?」
「――あ、ごめん、志野くんって結構筋肉あるなあ、って」
まったく悪びれない様子にこれで僕が胸さわって結構あるよねって言ったらどうなるんだろうか、と一瞬魔が差したけどもどう考えても立場が悪化するだけだ。
恐ろしい夏の罠だった。
「ねえ、志野くん。ちょっと疲れてきたし、おぶってくれない?」
「ええ……」
「なんでそんな嫌そうな顔するのよ!」
まぁ確かに? 女の子を背負ってキャーキャー言わせながらざぶざぶ水をかき分けてる男子は結構いるけどもそんなことを僕にしろと?
背中の幸せへの接地面積が大変なことになって心房細動起きたらどうするんだ。
「というか疲れたならちょっと上がろうよ、結構長いこと浸かってるし」
そう言ったところで、タイミングよく係員から休憩時間のためプールを上がるように声がかかった。
「あ……そうね」
手を引いてプールサイドに向かう、疲れたというのは案外嘘でもなかったのか彼女の動きは緩慢だった。
§
体は冷えても日差しの中運動していたことに変わりはなく、水分は取っておいたほうが良いだろうとトイレのついでに飲み物を買って戻った僕が見かけたのは、いつぞやのように誰かに話しかけられている天道の姿だった。
前と違うのはそれが男女入り混じったグループで、なにやら天道も話を切り上げづらそうにしていることか。
「つかささん」
「――あ、志野くん」
天道と共にぱっとこちらを振り向いた一団の印象は「リア充だな」だった。
どうやら男三人女二人のグループで、恐らく僕らと同じ学生だろう。年齢は少し上かもしれない。
「つかさちゃん、この子が彼氏クン?」
「あ、はい、えっと」
そうしてリーダー格っぽい爽やかマッチョが挨拶するでもなく、なれなれしく天道にそう聞いたのでおおよその人となりは察した。
はてさて、どう切り抜けるのが良いのか。
「はじめまして、つかささんの婚約者の志野です……この人たちは?」
ひとまず挨拶は大事だってことを覚えて帰ってもらおう。
こちらは敢えて堂々と身分を明かした上で、同じように聞いてやる。
「下の姉の知り合いの方たち、こちらが――」
天道が律儀に紹介してくれたので、頭だけは下げておくが聞いたそばから名前は忘れておいた。
僕の今日のメモリーに無礼な連中の個人情報など残したくないのだ。
口ぶりから別にお姉さんの親しい友人というわけでもなさそうだし、スルーでよさそうだけども……あー、親しくない分かえって切り上げづらいのかな?
「いやー、つかさちゃんが一人でいるからどうしたのかなって思ってさ。どう、彼氏クンも一緒にまわらない?」
「このあとBBQの用意もしてんだけどー、急に一人休みになって肉とか余っちゃってさー」
婚約者って言いましたけどお!?
それに僕「も」一緒にってのはなんだ、天道のついで扱いか、別にそう思われるのはいいけども口にされると腹が立つ。
あと欠員一人ってことはバランス的に女の人だろう、天道で穴埋めをしたいと。
別にそこまでやましい企みがあるとも思えないし、パリピってのはこういうものかもしれないけども普通デートで来てる子を誘うものかね。
「すみませんがお気持ちだけ頂いておきます。つかささんのご両親にも『婚約者として』僕がエスコートするよう言われてますし、せっかくのデートなので」
お姉さんの知り合いなら天道家の事情も知ってるだろうし、ここまで言えば男女のグループで食い下がることもないだろう。
天道も何も言わないってことはこの対応でいいのだろうし。
「ああ、そう? かたいねー、彼氏クン」
爽やかマッチョは面白くなさそうに口元をひきつらせたけども、僕の知ったこっちゃあない。
「はい、大事なお嬢さんをお預かりしてるので。では、皆さんもどうぞごゆっくり――つかささん」
「あ、うん――失礼します」
せいぜい身内でウェイウェイアゲアゲしててくれ、という気持ちで天道の腕を引きながらその場を後にした。
「――志野くん、どこまで行くの?」
ハッ。
そうしてぐいぐいとなんとなく人の少ない方少ない方に進んでいたら、ずいぶんと園のはずれまで来ていた。
「や、ごめん、ついうっかり」
ぱっと手を離して振り返ると天道はなにか複雑な表情をしていた。
「ねえ、志野くん」
「いや、こっちに名乗りもしないでつかささんに話してるのがムカついたって言うか、そもそも婚約者だって言ってるのに彼氏彼氏って軽んじる態度がいけ好かないって言うか、お姉さんには悪いけどちょっと失礼な人たちだったなって――」
「まだ何も言ってない」
含み笑いの天道の声は実に楽しそうだった、ぐぬぬ。
「しかも、なにその口数の多さ。まるで言い訳みたいね」
「そんなことないですけどォ!?」
「勢いで誤魔化せると思ったら大間違いよ」
なんかそれ前に僕が言った気がするな……。
「――水を差されたみたいで、面白くなかった。ちゃんづけとか馴れ馴れしいなコイツってイラっとした。理由は自分でもよくわからない……これでいい?」
「拗ねないでよ、別に全部言わせようと思ったわけじゃないの」
でも、と小声で続けて天道は胸の中に飛び込んできた。
「私も二人だけが良かったから。うまくおさめてくれてありがとうね」
「う、うん」
裸の胸に押しつけられる意外としっかりしたクロシェ編みのトップと、その下の柔らかな「なにか」の感触。
背中に回された滑らかな細い腕、肩あたりに触れる頬、目の前の濡れていない明るい茶色の髪。
触れあっているところから、じわりじわりと汗が浮いてくる。
腕のやり場に困ってしばし上げ下げしたあと「ママー」とどっかから見ていたらしい子供がいけませんされる声で覚悟が決まった。
「あっ……」
天道が漏らした息が首筋をくすぐる、肩の上から抱き返した彼女の体は細くて、でも柔らかかった。
いつぞや自爆したように、一度触れてしまえば欲求は膨れ上がっていく。
美しい背の線をなぞる様に右手は下に、左手は首筋をなぞってきっちりと編み込まれた髪に触れる。
少し身を震わせて、それでも天道は拒まなかった。
「志野くん……」
熱っぽい声を、桃色の唇が吐き出す。
彼女はなんとも嬉しそうな、蕩けた顔をしていた。
子供のころ以来の全身で誰かを抱きしめる体験は大きな安心感と、そしてそれを上回る欲求をもたらすものだった。
それに従って一層強く、細い体を抱きしめた。
ぴたりと全身が密着しもどかしげに身を揺らす天道が脚を絡めてくる。
――もっと触れたい、触れられていたい。
満たされてはじめて、自分の中にそんな
自分一人では決して解消できない衝動。
天道もきっと同じことを感じていて、なにより
僕は初めてその過去を本当の意味で理解して、そうしてもう自分でも否定できないくらいはっきりと嫉妬した。
僕より先に、この美しい人に触れた男たちに。
今の自分にそんな資格などないと知ってはいるけど。
「志野くん、くるし……」
「あ、ごめん」
力が入り過ぎたのか、天道がうめくような声をあげたので慌てて腕をほどく。
手をどこにやったものか戸惑う僕を、熱っぽい目でじっと見つめた彼女は「もう」と小さく呟くと伸びをして唇に軽く触れるだけのキスをしてきた。
太陽は頂きにさしかかろうとしている。
夏の暑い日はまだまだこれからだった。
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