第5話 フィオリーナの記憶
「・・・フィオリーナ?」
僕は目の前にいる有機アンドロイドの少女を見つめた。
その少女は透き通るような声で答えた。
「はい。あたしに何か御用でしょうか?」
フィオリーナは困惑気な表情で言った。
その表情は僕がよく知っているフィオリーナなのに。
「・・・フィオリーナ。僕の事を憶えてないの?」
僕は引きつったような笑顔で言った。
フィオリーナを怖がらせてはいけない。
僕の声は絞り出すようにか細い声になっていた。
「あの、大変申し訳ないのですが。どちら様でしょうか?」
フィオリーナは困惑から少し怯えた表情になっていた。
記憶が、AIの中の記録メモリーが無くなってしまったのか?
なおもフィオリーナに詰め寄ろうとした時だった。
「その辺にしておけ」
僕らに近づいて来た権藤の声が響いた。
「権藤先生!」
フィオリーナは僕から逃げるように権藤のもとへ駆け寄った。
なんだ?
権藤の記憶はあるのか?
それなら僕の記憶だけが無いのか?
僕は頭が混乱して来た。
「先生。あの方は?」
フィオリーナは権藤に尋ねている。
「彼は10日くらい面会謝絶になっていたんだ。それで混乱してるんだろう。怖がる事は無い。彼は優しい人だよ。それはお前にだって判るだろう?」
「・・・あの方が面会謝絶になっていた方でしたか。はい、あたしにも判ります。あの方が優しい良い方だって。え、あれ?」
フィオリーナは混乱した表情になった。
「・・・あたしはあの方を知っている。それなのに、あたしのメモリーにあの方の情報が無い。どうして? どうしてなの?」
フィオリーナは頭を抱えてうずくまった。
とても苦しそうな表情をしている。
「フィオリーナ!」
権藤の大きな声が響く。
フィオリーナがビクッと身体を震わせる。
権藤は今度は優しい声で言った。
「お前もスリープ状態だったんだ。今日はもう部屋で休みなさい」
「・・・はい。先生」
フィオリーナはゆっくりと立ち上がった。
少し足元がおぼつかない。
僕は出来るだけゆっくりと声をかけた。
「・・・フィオリーナ。僕は今日、退院したんだ。お祝いの握手をしてくれないか?」
フィオリーナは不安気に権藤を見上げる。
「ロッシュ、本当に握手だけだぞ。判ってるな」
「あぁ。判ってる」
僕は権藤に答えた。
今はフィオリーナの方が混乱してるんだ。
僕が取り乱してる場合じゃない。
「フィオリーナ、大丈夫だから。握手をしておあげ」
権藤の声にうなづくとフィオリーナは僕の方へ近づいて来た。
しかし、そのブルーの瞳は不安気に揺れ動いていた。
僕の近くまで来たフィオリーナはそっと右手を差し出した。
「・・・あの、退院おめでとうございます」
「ありがとう」
僕は壊れ物に触れるようにフィオリーナの右の掌を優しく握った。
「あ!」
フィオリーナは小さな声をあげた。
「この掌の感触をあたしは知っている。貴方の事はメモリーに無いのに。何故? どうして?」
フィオリーナはまた頭を抱えて苦しそうにしている。
「権藤!」
僕が叫ぶより早く権藤はフィオリーナの肩を掴む。
「落ち着いて。落ち着くんだ、フィオリーナ」
権藤が軽く掴んでいる肩を揺する。
それによってフィオリーナは我に返ったようだ。
今度は両手をぶらりと下げている。
「さ、フィオリーナ。今日はもう部屋で休もう」
権藤の問いかけにフィオリーナは軽くうなづくが足元がヨロヨロとしている。
すかさず権藤は自分の端末に呼びかけた。
「誰かラボに来てくれ。早く」
しばらくすると看護婦姿の有機アンドロイドが現れた。
勿論、合法の。
「何かございましたか?」
有機アンドロイドが冷静な声で問いかける。
このような時に合法の有機アンドロイドは便利だ。
感情が無いから動揺する事も無い。
「この子を部屋まで連れていってくれ。少し混乱している」
「かしこまりました」
合法の有機アンドロイドが非合法の有機アンドロイドを抱き抱えると静かにラボから出て行った。
「ふぅ」
フィオリーナを抱き抱えた有機アンドロイドが出て行くと権藤は大きなため息をついた。
「どうなる事かと思ったぞ。フィオリーナのAIが暴走したらこの施設は壊滅だ」
「・・・フィオリーナのAIは暴走などしない。暴走する前にシステムダウンするように設計してある」
静かに話す僕に向かって権藤は大きな声を出す。
「その設計通りに作動するのか? 彼女は非合法なんだぞ!」
「非合法でも基礎的な安全回路は合法と同じだ。人間を物理的に傷つける事は出来ない」
権藤はやれやれとため息をついた。
「お前さん達、科学者って言うのはいつも冷静だな。そんなに自分の造ったものを信用してるのか?」
「それはお前だって同じだろ」
僕は可笑しくなって少し笑い声になった。
「俺も同じだと?」
権藤は目を向く。
「あぁ。お前の治療を見てると「無茶をする」と思う事があるよ。それでもお前が治療した患者は皆ちゃんと回復してる」
「当たり前だ。俺は俺の信念に基づいて治療をしてるんだ。そこが・・・あっ!」
権藤は何かに気づいたように声をあげる。
そして、バツが悪そうな顔で僕を見る。
「・・・そう言う事か」
「そう言う事だ」
僕は自分が座り込んでいた事に気づいて立ち上がる。
そして、ズボンをパンパンとはたく。
「フィオリーナと握手して判った事があるんだ」
「やはりお前は何らかの目的があって彼女と握手したんだな。それで何なんだ? 判った事ってのは」
僕は権藤の問いに答える。
「僕はフィオリーナが爆発物処理室に入る前に皮膚のコーティング設定をしたんだ。しかし今、握手した彼女の掌は設定が解除されていた。彼女の様々な設定は僕しか出来ないのに。これが何を意味するのか判るか?」
「知るか。俺は医者だ、アンドロイド工学者じゃない」
僕は苦笑した。
「そうだな。これから有機アンドロイド製造施設に行って僕の仲間達に詳しい話を訊いてみるよ。でも、その前に」
僕は権藤に向かって右手を差し出した。
「フィオリーナを保護してくれてありがとう。彼女の情緒が安定していたのは君のお陰だろう?本当に感謝している」
「よせよ、俺は俺の出来る事をしただけだ」
そう言いながらも権藤は僕の掌を握り返して来た。
「もう少し、フィオリーナを預かって貰えるか? 君なら僕も安心できる」
「預かるも何も」
権藤は僕の掌を握る力を強めた。
「あの嬢ちゃんは元々医療スタッフと言う名目だ。俺が面倒みるのは当然の事だ」
「・・・そうだな。フィオリーナをよろしく頼む」
僕の言葉に権藤は「任せろ」と言わんばかりのウィンクをした。
「じゃあ、僕はこれから製造施設区間に行ってくる」
そう言って僕はラボの出口に向かった。
その途中で僕は立ち止まり権藤を振り返った。
「権藤、1つ言い忘れてた」
「なんだ?」
怪訝そうな表情の権藤に僕は言った。
「男のウィンクなんて気持ち悪いから辞めた方が良いぜ」
何やら喚いている権藤を無視して僕はラボを出て行った。
つづく
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