炎上系宮廷人 清少納言『枕草子』

◆ご挨拶

こんにちわ、だいなしキツネです。

今日は、清少納言『枕草子』を台無し解説していくよ!


◆清少納言とは?

清少納言は、966年頃(※諸説あり)に日本で生まれた、平安時代中期の宮廷人で、『枕草子』というエッセーを書いたとても有名な作家だよ。お父さんは、清原元輔という貴族で、こちらもとても有名な詩人だね。元輔は「三十六歌仙」の一人で「百人一首」にも選ばれているし、『今昔物語』にも逸話(※馬から落ちた際に冠が取れてツルピカ頭があらわになったけれど、本人は夕日に照らされ爛々と輝く頭のまま堂々と居直って民衆を笑わせたという)が採られている面白い人だったみたいだよ。ちなみにひいお祖父ちゃんの清原深養父も『古今和歌集』の代表的な歌人だね。清少納言の文才は親譲りだったということだけど、親が偉大すぎて清少納言本人には少し引け目があったみたい。


ちなみに、清少納言がどうして清少納言と呼ばれているのかは不明だよ(※諸説ありすぎる)。「清」の字は清原の清だろうけれど、「少納言」はどこからきたんだろうね。少納言は貴族社会では「中臈よりの下臈」をあらわす身分らしいから、清少納言の後宮における立ち位置もその辺なのかなとうかがわせるけれど、その割に尊大なのが面白いところなんだよね。


◆『枕草子』とは?

枕草子は、清少納言が書き散らかしたエッセーで、紫式部の『源氏物語』と並んで平安時代を代表する名作だよ。なんでも、清少納言が仕える中宮定子に紙が献上された折、定子が「これ何に使おう。帝のところでは司馬遷の史記を書き写したみたいだけど…」とぼやいたのに対して、清少納言が「それなら枕でございましょう」とお返事したところ定子が「それだわ! あなたが書きなさい」と命令されて、「んな無茶な…」と思いながらわけのわからんことを書き散らかしたのが枕草子の始まりだそうだよ(※枕草子の後書きに自分でそう書いてる)。

ここで、「枕でございましょう」とは何のことかが問題になるけど、これも諸説ありすぎて意味不明だよ。有力説は、寝具の枕のことだ(※白居易の有名な詩句「書を枕にして眠る」に因んだジョーク)という説、司馬遷の史記を四季折々の四季と読み替えて四季を冒頭にした随筆を書くことにしたという説(※春は曙、夏は夜、秋は夕暮、冬はつとめて……)、作家の参考書である「歌枕」のことだという説など、さまざま。キツネは、これらの説の折衷案でよいと思うね。一つの言葉に複数の意味を読み込むのは和歌の基本だからね。

ちなみに枕草子という名前は清少納言がつけたものではなく、現在キツネたちが読んでいる枕草子も清少納言自身が編纂したものではないよ。原典がどういうものだったのかを復元するのはいつの時代も難しいね。

あと、枕草子を「まくらぞうし」と読んだらエロ本って意味になるから注意してね。エロ本と区別するために「まくらのそうし」と読むようになったという噂がまことしやかに流れているよ。


いずれにしても、枕草子が元は創作ノートだったという視点は後々重要になるから覚えておこう。


枕草子に書かれた内容を簡単に分類すると、次のものになるよ。

1.類纂的章段(※似たものを集めて並べた章)

2.随想的章段(※エッセー。春は曙が有名)

3.日記的章段(※中宮定子の後宮での日々の記録)


どの文章がどの章段に属するかは諸説入り乱れているので、キツネはテキトーに紹介するよ。


◆類纂的章段

類纂的章段は、いわゆる「ものづくし」というやつで、特定のジャンルに属する物事を羅列するくだりだよ。歌枕として、和歌創作の元ネタになるとともに、取り合わせの妙が味わえるね。例えば、


心ときめきするもの 雀の子飼。稚児遊ばするところの前わたる。よき薫物(たきもの)たきて、ひとり臥したる。唐鏡(からかがみ)の少し暗き見たる。よき男の、車とどめて、案内(あない)し問はせたる。かしら洗ひ、化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。


カタログ的な羅列は、組合せ次第でそれ自体が詩文になる。キツネが思い出すのは、ボルヘス「エル・アレフ」だね。

ちなみに類纂的章段には、中国の李義山『雑纂』という元ネタがあると噂されているよ。中国古典を念頭に置きながら日本的にアレンジするというのは、日本の古典にはよくあることなので、むしろどのようにアレンジしたのかを考えたいね。


類纂的章段には毒舌まみれのくだりもある。


見苦しいもの 色黒の醜い女が、ガリガリの男と真夏に昼寝しているのは、まじでみっともない。不細工なんだから夜寝ろよ。夜ならその不細工面も見えないのにさぁ。身分の高い人なら昼寝してても風情があるけど、醜いやつがてらてら光って歪んだ寝顔をつきあわせているのを見ると、生きてる価値ないよ。


(※ 見ぐるしきもの 色黒うにくげなる女の鬘したると、髭がちに、かじけ、やせやせなる男と、夏、昼寝したるこそ、いと見ぐるしけれ。なにの見る甲斐にて、さて臥いたるならむ。夜などは、容貌も見えず、また、皆おしなべてさることとなりにたれば、我はにくげなりとて、起きゐるべきにもあらずかし。さてつとめては、とく起きぬる、いと目やすしかし。夏、昼寝して起きたるは、よき人こそ、今すこしをかしかなれ、えせ容貌は、つやめき、寝腫れて、ようせずは頬ゆがみもしぬべし。かたみにうち見かはしたらむほどの、生ける甲斐なさよ。)


言い過ぎだね。現代なら炎上必至だね。他には、「かたはらいたきもの」として、可愛くない赤ちゃんを可愛がって物まねしている母親にはイラッとするとかいうものもあって、……容姿差別だ、炎上必至だね。ただ、炎上前提のコミュニケーションを清少納言自身が目指しているのではないか、というのがキツネの見解で、これは最後に述べることにするよ。


◆随想的章段

随筆的章段は、現代でいうところのエッセーで、自然とか人生について真正面から批評したものだよ。案外、穏やかな内容のものが多く、学校で習う枕草子は概ねこのイメージに基づいているんじゃないかな。

超絶有名なのは、冒頭の、


春は曙。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明かりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りてゆくも、をかし。雨など降るも、をかし。

秋は夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。

冬はつとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またされでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がりになりて、わろし。


注目したいのは、自然風景に対する白眉な視界、聴覚触覚に対する鋭敏さ、散文とは思えないほどの引き締まった文体、そして特に冬の段において素朴な生活感への賛美を含んでいるところだよ。

随想的章段は、元は歌枕のように詩の素材を羅列しただけのものだったのかもしれない。けれど、ここに清少納言の詩的なセンスと人間的な直観が加わったことで、歴史に残る逸品へと昇華されたんじゃないかな。


◆日記的章段

日記的章段は、清少納言が仕えた中宮定子のサロンでの日々を日記的に記録したものだよ。清少納言が仕えていた間に、中宮定子は後ろ盾だった父親の藤原道隆を亡くしてしまい没落、20代半ばで崩御してしまうのだけど、枕草子の中にはそうした悲観的な事情はほとんど記載されておらず、定子と清少納言の穏やかな日々、ちょっとした仲たがいや仲良しこよし、清少納言の機転を利かせた自慢話などが満載なんだ。ここに政治的な都合を読み込むか、清少納言の前向きな心意気を読み込むかは受け手によって異なるけど、ユーモアに満ち満ちた内容であることは衆目の一致するところかな。逆に、好き嫌いが分かれる部分でもあるかもしれない。清少納言をいけ好かないゴミムシであるかのように論じる人もいれば、定子の寵愛に甘えていつも得意げにはしゃぎ回っている大きな駄々っ子だと愛する人もいるよ。


キツネが笑っちゃったのは次のくだりだね。(※類纂的章段に余談として追記されている。)


「御嶽参りをするとき、身分の高い人まで質素な恰好をしているというのに、佐宣孝(すけのぶたか)という男はやたら派手な格好であらわれたのでみんなびっくりした。彼が言うには「粗末な恰好をするなんてつまらん。いかした格好でくれば神様だって喜ぶだろうよ」。それにしたってド派手でみんな呆れていたよ。とはいえ彼はその後ちゃっかり昇進していったものだから、みんな「本人の言う通りになったなぁ」と思ったんですわ」


この佐宣孝というのが紫式部の夫だったんだね。後年、紫式部が『紫式部日記』で清少納言のことをこきおろすのだけど(※「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬことおほかり。」)、案外これが原因だったかもしれないね。とはいえ、清少納言自身は佐宣孝のことをさほど悪く思っていなかったようにも見えるかな。


あと、忘れてはならないのは、以下のくだり。


「文盲の下男が慌てふためいて寄ってきて、我が家が焼けちゃいましたと泣き喚いたので、女房みんな笑ってしまった。私が「みまくさを燃やすばかりの春のひによどのさへなど残らざるらむ(※飼い葉を燃やす程度の火で立派な家が全焼するとは何事でしょう)」と書いて渡すと、その男は文字が読めないものだから、「これは何をくださるお書付なのでしょう」などとのたまうので、誰かに読んでもらえ(何ももらえねーがな)と追い返した。みんな大笑いした」


底意地が悪すぎんか。


◆批判的コミュニケーション

以上、枕草子の構造と代表的な例文を眺めてきたけど、みんなはどう思ったかな?

こいつぁ思ってたよりタチが悪いと感じた人もいるかもしれないけれど、少なくとも認めなければならないのは、枕草子には毒舌と愛嬌が同居していること、言い換えると、自分と他者に対する批判的な眼差しがあることだね。

枕草子には清少納言の自慢話が多いけれど、自己批判も意外と多い。


有名歌人であった曾祖父の深養父や父の元輔の名誉を汚すまいと、自分ではなるべく和歌を詠むのを控えているという告白がある。また、他人の容姿をあげつらう一方で、自分の容姿にも自信がないと落ち込んでみせたりする。清少納言自身、他人を批判するとともに自分も批判される覚悟をもっていたんだろうなと思わせる節がある。


実際、枕草子はその後、文学的には批判的に流用されることになる。

前出の紫式部も源氏物語の中で枕草子の描写を巧みに援用してみせているし、その他に代表的なところでは、後鳥羽天皇の有名な春の歌、


「見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけん」


夕暮れは秋がいいという枕草子の一説を念頭に置きつつ、これを裏切ってみせた一句ではないか。


また、藤原清輔は、


薄霧の籬(まがき)の花の朝じめり秋は夕べとたれかいひけん


秋の朝は素晴らしいでしょ、誰だよ夕暮がいいって言ったやつ、という。これも枕草子との批判的なコミュニケーションがあって初めて生まれる名句だね。

枕草子が「枕」となることで、その後の数多の文学的達成がなされることとなる。そうしてみると、清少納言のある種の暴力的表現も、ニーチェにみられるように、真摯に受け止めたり共感して涙する類いのものではなくて、むしろ読者が反論して初めて成り立つものではないのだろうか。

和歌が苦手といった清少納言も、老年になると巧みな和歌を詠んでいたことが『清少納言集』によって知られている。枕草子の思い出は、清少納言にとっても人生の枕となるものだったのかもしれないね。


以上、今日は清少納言『枕草子』を解説してみたよ。

ちゃんと台無しになったかな??

それでは今日のところはご機嫌よう。

また会いに来てね! 次回もお楽しみに!


◇参考文献

清少納言『枕草子』(小学館)

岸上慎二『清少納言』(‎吉川弘文館)

丸山裕美子『清少納言と紫式部-和漢混淆の時代の宮の女房』(山川出版社)

ドナルド・キーン『日本文学史 古代・中世篇 三』(中央公論新社)

山口仲美『清少納言『枕草子』』(NHK出版)

亀井孝他『日本語の歴史3 言語芸術の花ひらく』(平凡社)


◇動画

https://youtu.be/wIoRQanV9Pk

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