第129話 初めてのキス
綾乃に一緒に来て欲しいと言われて零斗が連れて来られたのは、祭り会場の近くにある山だった。それなりに舗装された道があったとはいえ山道を登るのはしんどかったのだが、浴衣を着ている綾乃は存外ひょいひょいと登り慣れた様子で山道を進んでいた。
「なぁ綾乃、どこまで行くんだ?」
「んー、もうちょっと先かな。でも後すぐで着くよ」
そしてそんな綾乃の言葉通り、目的地にはすぐにたどり着いた。
そこは山の中にあって少し開けた場所。山を登る途中に設けられた休憩所のような場所だった。そこは町を一望できるようになっていて、下で行われている祭りの灯りも見えて幻想的ですらあった。
「これは……すごいな」
「ふふ、でしょ。子供の頃に見つけた穴場スポットなんだけど。この様子だとまだ誰にもバレてないみたいだね」
「まぁ登ってくるのもそれなりに大変な場所みたいだからな。小さい子供なんかは登ってこないだろうし。大人もわざわざ来ないだろうしな」
「だね。来るとしたら中学生とか私達みたいな高校生だけど、そういう子達はもうちょっと上の方に行ってるだろうし」
「上にもこういうスポットがあるのか?」
「うん。この上には神社があるからね。大半はそっちの方に行ってるかな。でも今日は運が良かったよ。いつもならここにも何人か居たりするし」
「で、この景色を見せるためにわざわざここまで来たのか?」
「それももちろんあるんだけど。でも……うん、そろそろ始まるよ」
そんな綾乃の言葉通り、遠くから聞こえてきた大きな音と共に夜空に大輪の華が咲いた。綺麗に晴れ渡った夜空を覆い尽くすように広がったその華は瞬きの間に広がり、キラキラと降り注ぐ。
それは美しく、目を奪われるような光景だった。
「なるほど、花火か。ここからだとこんな風に見えるんだな」
「うん。さっきの祭り会場から見る花火もすごく綺麗なんだけどさ。私はここから見る花火が好きなんだ。町も見えて花火も見える。一石二鳥って奴だよね」
「確かにこの光景は贅沢だな」
眼下に広がるのは綾乃が育った町。そして夜空には大輪の華。それは言葉にできないほど美しい光景だった。
「……どうしてここに俺を連れてきてくれたんだ?」
「どうしてって、なんで?」
「この場所って綾乃にとって大事な場所なんだろ? たぶん、というか間違い無くあの黒井と見つけた場所なんじゃないのか?」
「あはは、やっぱりわかる? まぁそうなんだよ。小学校六年生の時にこの場所を見つけて、それ以来ずっとこの場所で花火を見てるんだけど。バレてるなら白状するけど、零斗の言う通りこの場所は私にとってすごく思い出深い場所だよ」
手すりにもたれかかりながら綾乃は思い出を語る。
それは零斗の知らない綾馬と春輝の思い出だ。
「じゃあなんてそんな場所に零斗を連れてきたのかって話なんだけど。これは私の我が儘かな」
「我が儘?」
「綾乃としてここに来るのは初めてだから。その初めては零斗と一緒がいいなって思っただけ。新しい思い出は零斗と一緒に積み重ねていきたいって思ったから。ね? 我が儘でしょ。ただの私の自分勝手。もちろん零斗にこの景色を見せたかったのは本当だけど」
「それは……確かに我が儘だな」
「……あのさ、零斗はこっちに来てどう思った?」
「どうって?」
「家族のこととか、私の昔のこととか。今回の帰省で私の昔のことについては教えれるだけ教えたと思うんだけど……」
「確かに、色々教えてもらったな。昔の綾乃の写真なんかも見れたしな」
「それはあんまり思い出して欲しくないんだけど」
編んだ三つ編みの先を弄りながら恥ずかしそうに顔を伏せる綾乃。実家に連れてきた時点である程度覚悟はしていたものの、見せたくなかったというのが綾乃の本心だ。
もちろん零斗が昔の姿を見て心変わりしてしまうような人で無いことはわかっていたが、それはそれ。恥ずかしさは拭いきれるものではない。
「そうだな……率直に言うなら、いい家族だなって思ったよ。朱音さんのことは前から知ってたけど、幸太君も、ご両親も、いきなり来た俺のことを受け入れてくれたわけだしな。むしろこっちがみんなのお眼鏡にかなったかって方が心配なんだが」
「それは大丈夫。絶対大丈夫。お母さんはこの浴衣貸してくれたし。お父さんも頑張ってこいって言ってくれたし。姉さんと幸太は言わずもがなだよ。だから後は私の問題なんだけど……ここまで来たんだからあと一歩なのに……」
「ん? どうした。最後の方なんて言ったか聞こえなかったんだが」
「なんでもない! とにかく、私の家族はみんな零斗のこと認めてるから。そこは心配しなくていいよ」
「ならいいんだけどな」
そんな話をしている間にも花火は続き、夜空を綺麗に染め上げる。そっと綾乃の隣に立つ零斗は花火を見上げる綾乃の横顔に思わず見惚れる。
花火よりもむしろ隣にいる綾乃に零斗は目を奪われてしまった。
「綺麗……」
「あぁ、ホントにな」
そして気付けば零斗は引き寄せられるように綾乃に近付いていた。それはさながら篝火に惹かれる虫の如く。
「えっ、え?」
急に近付いてきた零斗に綾乃は驚き、目を白黒させる。
しかしそんな綾乃に構うことなく零斗は綾乃のことを抱きしめる。
「なぁ、ここに来たのが綾乃の我が儘だって言うなら俺の我が儘も聞いてくれるよな」
「わ、我が儘って?」
突然のことに頭が沸騰しそうな綾乃はなんとかそう返す。頭の中は驚きと戸惑いでいっぱいだった。
「綾乃の考えは理解した。新しい思い出を俺と作りたいって言ってくれたのは嬉しい。でもまぁそれでも俺の中にちょっとしたモヤモヤはあるわけでな」
綾乃が初めてこの場所に一緒に来たのは春輝だ。それは仕方のないことだと頭では理解していても心では納得してきれていない。
「綾乃の初めてが欲しい」
「はじっ!?」
ドストレートな零斗の言葉に綾乃の表情が真っ赤になる。しかしその意味がわからないほど綾乃は子供では無い。
もはや花火すら目に入らないほど、綾乃の視界も頭の中も零斗でいっぱいになってしまった。しかしこれは綾乃にとってチャンスでもあった。
まさか零斗の方から詰め寄られるとは思っていなかったが、そもそも綾乃も零斗と一歩踏み出したいと考えていたのだ。
「……ぃょ」
「なんて?」
「い、いいよ……それが零斗の我が儘なら……私は受け入れるよ……」
消え入りそうな声で、死ぬほどの恥ずかしさを堪えながら綾乃は言う。そんな姿を見て零斗もいよいよ我慢できなくなる。
これまでだってずっと我慢していたのだ。そこに本人からの許可が出た。そうなれば我慢する道理などありはしない。
それでも最後に残った理性を総動員して零斗はゆっくり綾乃に顔を近づける。
「……ん」
綾乃が目をつむり、そっと顔をあげる。
そして二人の唇が重なる。綾乃にとってそして零斗にとって初めてのキスだった。
ただ唇を重ねるだけの行為。しかし綾乃と零斗は心の底から温かくなるような感覚を覚えた。それは人を狂わせる魔性の温もりだ。もっと欲しいと我慢していた分だけ強く求めてしまう。
時間にすればそう長くはなかったのかもしれない。それでも二人にとっては永劫のような時が流れた後、二人は惜しむように唇を離す。
「えへへ、キス……しちゃったね」
耳の先まで真っ赤にしながらはにかむ綾乃。零斗も同じように耳まで真っ赤になっていた。
「一回で終わりにするのは……もったいないよな」
「え?」
「受け入れてくれるって言ったもんな。今更やっぱ無理は聞かないからな」
「んぅっ」
一度ついてしまった火を消すのは容易なことではなく。これまで溜まっていた想いをぶつけ合うように二人はキスをする。
そんな二人だけの時間は花火が終わるまで続いたのだった。
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