第123話 二人の間違い
〈綾乃視点〉
今言うしかないと思った。このタイミングを逃したらもう二度と言えないと思ったから。
「ずっと……ずっとハルに言いたかったことがあるの。今更なにをって思われるかもしれないし。というか、ホントに今更なんだけど……私、ずっとハルに謝りたかった! あの日のこと、ずっとずっと謝りたかったの!」
やっと言えた。ようやく言えた。オレがずっと胸の内に秘めていた想いを。
オレの言葉が予想外だったのか、ハルは驚いて目を丸くしていた。まぁそれも仕方無いと思う。でもこれはオレの嘘偽りのない気持ちだ。
「なんでお前が謝るんだよ。謝るのは俺の方だ。お前を傷つけるようなことを言って……お前のことを突き放した」
ハルの瞳に浮かぶのは深い後悔の色。これまでずっと気づかった。気付こうとしなかった。ハルはずっとこんな目をしてたんだろう。だけど怖がってたオレは目を逸らしてばかりでハルの目を見ようともしなかった。
いや違う。見ようとしなかったのはハルの目だけじゃない。心もだ。ハルだけじゃない、他のみんなの心もだ。
オレはバカだったから。
「確かに、あの日オレは傷ついた。でも違う。あの日傷ついたのはオレだけじゃない。ハルもそうでしょ」
「っ!」
「私……何もわかってなかった。自分のことばっかりで、自分のことしか考えて無かった」
そうだ。あの頃のオレは『性転換病』に罹ったばかりで自分のことだけで精一杯だった。他人のことに気付く余裕も無かった。気付こうともしなかった。あの日、それまでの日常が変わったのはオレだけじゃないってことに。家族みんなの日常も、そしてハルの日常もオレは変えてしまったんだ。
「……あの頃の私はさ、なんで自分ばっかりって思ってた。急に女の子になって、自分の当たり前を全部奪われた。バカみたいな話だけど、自分だけが不幸なんだって本気でそう思ってた」
全てが目まぐるしく移り変わっていくなかで、オレが求めたのは変わらない、当たり前の日常だった。そしてそれに応えてくれたのがハルだった。
「みんながオレを見る目が変わるなかで、ハルだけが今まで通りの接し方をしてくれた。オレに変わらない日常をくれた。でもそれは歪な日常だったんだと思う」
変わってしまった時点で今まで通りなんて無理なのに。オレが求めたその無理は、オレ自身じゃなくハルに負担を与える結果となった。
「あの時期さ、ハルはクラスのみんなから色んなこと言われてたでしょ。私が女になったから手を出そうとしてるとか、やっぱりあの二人ってそういう関係だったんだとか。それだけじゃなくて、私に興味本位で手を出そうとする人を止めたりもしてくれた。だけどオレはそれに対して何も言わなかった」
求めてたのは当たり前だから。そういう当たり前じゃないことからはずっと目を逸らし続けてた。ハルにかかる負担にも。
このままいれば上手くいくと思ってた。だけどオレがハルに与えた負担は、ハルの心にもダメージを与えてた。当たり前だ。ハルだって普通に男の子なんだ。みんなからいろいろ言われて平気なわけがない。
「ハルはずっと耐えてくれてたのに。私はそれに甘えて、依存するばっかりだった。もしきっとあの日が無かったとして。私達が同じ高校に行ってたとしても、きっとどこかで同じことが起こったと思う」
そしてその時のダメージはきっとあの日の比じゃ無いくらいのものになるはずだ。もう二度と立ち直れないくらいのものになってたかもしれない。
だから、あれがギリギリのラインだったんだ。
「だから……ごめんなさい。私はもっとちゃんとみんなに目を向けるべきだった。そしたらハルが無理してることにも気づけたはずなのに。あの日のことはハルは悪くないよ。あの時があったから今の私があるの」
気づけば涙が零れていた。なんとか言葉にはできたけど、あの日から今までのことが走馬灯のように頭の中を駆け巡って、心の中がぐちゃぐちゃになって。全部を言葉にできたわけじゃない、言葉足らずかもしれない。でもこれがオレの今伝えられる精一杯だった。
「……本当に、変わったなお前は。強くなった」
「ハル?」
「俺は……何も変わってない。ずっとあの頃のままだ。俺は、あの日のことをずっと後悔してた。お前は俺が悪くないって言うけど、そうじゃない。やっぱり謝らなきゃいけないのは俺の方だ。俺は俺自身のためにお前を傷つけたんだから。あんなこと言えばどうなるかなんてわかってたはずなのに。でも俺は……怖かったんだ。あのままお前と一緒に居たら、俺の中の何かが決定的に変わってしまいそうで」
そしてハルは教えてくれた。あの日の真実を。
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〈春輝視点〉
あの時の感情に言葉をつけるとするならば、一目惚れっていうのが一番近かったのかもしれない。いや、たぶんそうなんだろう。
そう簡単に処理できるような感情じゃなかったから俺は見ないことにしたけど。それが俺の間違いの始まりだった。
「お前が『性転換病』に罹ってから初めて会った日のこと覚えてるか?」
「それは……覚えてるけど」
「あの日、俺の目にはお前がどうしようもなく女の子に見えた。でもそんなこと言えるわけなくて。だから俺は、お前の幼馴染みであることを優先した」
それが綾馬に求められてることだってわかったから。そして俺自身が望んだことでもあった。
「そうなったお前と一緒に学校に通うようになって、確かに色んなことは言われた。でも俺はそれを負担に感じるのと同じくらい、優越感に浸ってたんだ」
綾馬に頼られることに、依存されることに俺は優越感を覚えてた。他の誰でもない俺を頼ってくれることに。それを思えばクラスメイトや学校の連中から言われることには耐えることができた。
でもそれは、俺が綾馬のことを『綾馬』として見れていない証明でもあった。そんな自分のことが嫌で嫌で仕方無かった。
「求められてたのは幼馴染みとしての俺だ。そんなのわかってた。俺もそうあろうとした。でもお前と居れば居るほど、俺の心はかき乱されて……気付いたらお前と居るのが苦痛になってる自分が居た」
言葉にできない感情が俺の中にはあったのに。綾馬は無邪気に『幼馴染み』としての俺に甘えてきて。それが嬉しくて、同時にどうしようもないくらい悲しかった。
「このままじゃダメだと思ったんだ。このままリョウと一緒に居たら、きっと俺は取り返しのつかないことをする。そう思った。だから……」
『俺はお前のことを今まで通りの友達だとは思えない』。
そんな言葉で綾馬のことを遠ざけた。あいつの傷ついた顔から目を逸らして。
「だから、悪いのは俺なんだ。リョウじゃない。最初から俺がちゃんと言ってればこんなことにはならなかったんだ」
俺の悔恨の言葉を綾馬は黙って聞いてくれた。
そして――。
「それじゃあ……私達、最初から間違ってたんだね」
「そう……だな」
軽蔑されただろうか。結局俺は最初から綾馬の求めた『幼馴染み』じゃ無かったんだから。
でも――。
「じゃあ……お互い様だね、私達」
そう言って綾馬は――目の前の女の子は笑顔を浮かべた。
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